+グリーンローズ 16


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 ザックの予想ではモローの第一声は「なんだこれは、いったいどうなっているんだ」というところかと思われた。実際、モローの反応はその予想どおりだった。


 ローズは束の間だけザックに目をやったあと、車椅子に固定されたモローの正面に立って告げた。


「おはよう、ミスター・モロー」


 対するモローは慌てて声のしたほうへ顔を向けた。しかし彼には周囲の景色は見えていない。恐怖を演出するため頭から麻袋を被せてあるのだ。


「おい、誰だそこにいるのは!」


「……それを訊いて私たちが答えると思うのか?」


 彼女の声は変声機によって歪められていた。男女の別はもちろん、おおまかな年齢すら特定できない声色だ。


「いいかモロー、これだけは教えてやる。お前は我々に拉致された。ここにはお前を助ける者はいない。悪いがこれから少し付き合ってもらうぞ。お前が過去に犯した罪について、じっくりと話し合うためにな」


「罪だと……? ば、馬鹿を言うな! こんな悪ふざけに付き合っていられるか、このサイコ野郎ども――」


 と彼が声を荒げた瞬間、ローズは鋭い平手打ちをモローの頬に見舞った。不意を突いた一撃が密室に鈍い音を響かせる。


 次いで今度はローズ自身が怒鳴り声をあげた。


「これが悪ふざけだと思うのか! 自分の置かれた状況をよく考えろ。お前を生かすも殺すも今はこっちの自由なんだ。今度無駄口を叩いたらその指をへし折ってやる!」


 彼女の激昂が演技なのか素なのかはザックにも判断がつかなかった。僅かな危惧はあったもののともあれこの時点では、彼はローズのやり方に口を出す気はなかった。途中参加者は途中参加者らしく振る舞うべきだ。


 さておき最前の一発がよほどこたえたのか、モローはそれまでとは打って変わっておとなしくなった。ようやく自分の立場を理解したのだろう。


 今にも震えだしそうな様子のモローにローズはなおも言葉を続けた。


「よろしい。話を聞く気になってくれてうれしいよ、ドレイク……ではさっそく本題に入るとしよう。いま言ったように我々はお前の過去にまつわる話をしたいと考えている。お前がその身に負った罪、かつて犯した過ちにかかわる語らいだ」


「それは分かったが……しかし、せめてこれだけは外してくれないか、頭から被せられているこの袋だけは――」


「無駄口を叩くなと警告したはずだぞ。また殴られたいのか?」


「お願いだ、頼むから外してくれ。これじゃあ動揺してしまって、は、話どころではないじゃないか」


 そこでローズはザックを見た。意見を求めているのだ。


 ザックはすぐにうなずいた。そのための防護服、そのための付け髭だ。


 ローズは小さくうなずき返すと、虜囚との会話を再開させた。


「いいだろう。まともに話をするためだと言うなら」


 続けざま麻袋を乱暴にはぎ取る。その下から現れたモローの顔はひどい有様だった。髪は乱れ、眉は苦痛に歪んでいる。半開きになった口の端には、さきの平手打ちで生じたらしい生傷が確認できた。


「これで文句はないだろう?……よし。具体的な事柄としては、我々は八年前の出来事を問題にしている。サクラメントの近く、片田舎の農場で起きた出来事だ」


「サクラメント……八年前……? あんたいったい何を言って……いや待てよ、農場か……そうか、お前が言いたいのはあの事故のことなんだな? 俺が車で畑に突っ込んだ時のことだ」


「ご名答。ちゃんと覚えているようで何よりだ」


「しかしなぜだ? あんな昔の事をどうして今になって? あんたとあの事故と、いったいどういう関係があるんだ?」


「それは……」


 ローズが言葉を詰まらせる。これでは自ら正体を明かすようなものだ。


「残念だ。もう少し頭の切れる男だと思っていたが」


 ザックは二人の会話に割り込むようにして言った。彼自身の流儀には反するが、ここは助け舟を出すのが得策だ。


「ずる賢いのも賢いのうちだからな。だが、どうやら買い被りだったらしい」


「なんだと?」


「お前は馬鹿みたいに質問を繰り返してばかりいる。話の流れが見えていない証拠だ。なあロイ、こいつの頭でも分かるようはっきりと言ってやったらどうだ? こいつが抱える罪状についてな」


 ザックが『ロイ』と呼びかけた相手は言わずもがなローズだ。彼女が〈ロイ〉。ザックが〈アームガード〉。変装に際して設定した仮名だ。


「……分かったよアームガード。この際まどろっこしいのは抜きにしよう……率直な話、お前はくだんの事故についてどう思っている、ドレイク? 自分がしでかしたことに罪悪感を覚えているのか?」


「それは……もちろんそうだ。農場主には迷惑をかけたと思っているとも」


「そうか? そのわりには当時から随分とはしゃいでいたそうじゃないか。お前の古い友だちが教えてくれたぞ。モローは不起訴が決まったその日にド派手なパーティーを開いたんだ、とな」


「そ、それは……そんなことまで調べてあるのか……」


「あまり我々を見くびらないほうがいい」


 言いつつ〝ロイ〟は足元の工具箱に手をかけた。やがて取り出されたのは工作用のカッターナイフだった。


 続いて彼女は、恐怖心からか大声で喚くモローを抑えつけ、彼の左前腕を切り裂いた。


 薄暗い倉庫にまたもローズの声が響く。谷底に吹く冷たい風のような声が。


「嘘も誤魔化しもなしだ。真実だけ、それだけが私の――我々の要求を満たす。いいかげんに理解しろ」


「わ、分かった! 分かったからもうやめてくれ、正直に話すから! ああ、クソ……そうだ、お前の言うとおり、俺はあの件について特別に思うところはない。俺も若い時分はいろいろと無茶をやっていたからな。あの手の事故は日常茶飯事だったんだ」


「日常茶飯事だと?……貴様…………自覚がないのか! お前はあの夜、一つの命を奪ったんだぞ! 一度失われれば最後、二度と戻ることのないかけがえのない命を!」


「何を言ってるんだ、子どもは無事だっただろう! 俺が駄目にしたのは何かの畑とスクラップ同然のアンドロイドだけだったはず――」


 とモローが言うが早いか、ローズは目にも留まらぬ速さで右手を振りぬいた。血の滴る刃物を握りしめた、彼女自身の右手を。


 よもやと思ってザックは肩を跳ねさせたが、ローズにもいくらか自制心は残っていたらしい。鋭い刃は虜囚に対して振るわれることなく、一方のコンクリート壁に投げつけられた。樹脂製のボディが砕け散るほどの勢いだった。


 彼女は激情に身を震わせながら、しかし何も言わなかった。いま口を開けばタガが外れると自覚していたのだ。


 その彼女に代わってザックは叫んだ。


「お前のような人間がいるから!」


 最初はローズを補佐するつもりでの行動だった。


「お前のような人間がいるから、アンドロイドはいつまで経っても『作業機械』扱いのままなんだ。分からないのか? 人造物とはいえ彼らにだって知性はある。まだ人間のそれには及ばないかもしれないが、他人の感情を汲み取り、思いやる力だって持ち合わせているんだ」


 だが言葉を続けるうち、彼の脳裏にふと浮かび上がるものがあった。


「時として彼らは人間の友にさえなれる。ただ与えられた命令を実行するだけではなく、お互いを支えあう仲間になることだってできるんだ」


 無口だが表情豊かな相棒。安心して背中を任せられる相手。平気で嘘がまかり通るこの世にあって、心から信頼できる稀有な男。気心の知れた親しい友人。


 ザックにとってノーランとは、まさしくそういう存在だった。


「俺たちと『彼ら』とは分かり合える。全部が全部とはいかないかもしれないが、それでも信頼関係を築くチャンスはある…………いいか、ドレイク・モロー。お前が葬ったのはその信頼関係の一つだ。一人の少女と一体のアンドロイドがともに過ごすなかで育んだ深い愛情のつながりだ! どうして……どうしてお前にはそれが分からないんだ……」


 気づけば、サックは爪が食い込むほど拳を握りしめていた。


 それゆえか、彼は失望を禁じえなかった。その次にモローが見せた態度と言葉とに対して。


「そうか、分かったぞお前ら……お前たちは人権団体の過激派だな? アンドロイドの権利がどうのと、そんな理由でこの騒ぎを起こしたんだろう。まったく馬鹿どもが……正気じゃないぞ、こんなやり口は」


 結局言うだけ無駄なのだ。どこまでも傲岸不遜なこの男には、相手の主張に真摯に耳を傾けることは期待できない。


「……もういい」


 ぽつりと零したのはローズだった。

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