第5話

 共同スペースに戻ると、寮生と思しき人がソファに座ってテレビを見ながら煎餅を食べていた。後ろからでも、バリバリという堅そうな音がする。

 私の足音が聞こえたのか彼女はパッと振り返った。挨拶をするべきだろうなと思い、私はソファの近くに寄る。…と、ソファに隠れて見えなかっただけでもう一人いた。こちらは寝ている。


 「うっす。…ん?お客さんか?」


黒髪ストレートを高い位置でポニーテール。服は白いTシャツにうちの高校のと思われるジャージを着ている。


 「はい。中等部三年の式波柊です。」


 「ふーん。アタシは八重崎。八重崎莉音やえざきりおん。高一な。よろしく。」


 「よろしくお願いします。」


気さくな先輩だ。姉御肌なんだろうか。八重崎先輩は隣にいる女の人のシャツをぐいぐいと引っ張った。


 「なぁ、起きろよ。お客さんが来てんぞ。」


 「…んぅ…。オレになんか用…?」


 「アンタにっていうかこの寮に来てんだよ。ほら、挨拶。」


八重崎先輩にせかされたその人はちらりとこちらを見た。めったに見たことのない燃えるように赤い瞳。髪は真っ白でふわふわとあっちこっちを向いている。かわいらしい顔立ちの彼女はゆっくりと口を開いた。


「あぁ…どうも、初めまして…オレの名前は向坂斗真さきさかとうまだよ。高校二年生。見ての通り、ちょっと特殊な体質なものでね…病気にかかりやすかったりする。よろしくね。」


「あ、はい。よろしくお願いします。」


見ての通りとは髪と目のことを指しているのだろうか。一般的にはこのような特徴をアルビノと呼ぶ。それにしても改めてみると高二とは思えないほど小柄な人だ。

 

 一通り挨拶をし終わったところで、八重崎先輩がもっと話そうと提案をしてくれた。


 「式波も煎餅食うか?」


 「あ、ありがとうございます。頂きます。」


煎餅を一枚頂いて、先輩たちの横に座って煎餅を食べた。少し甘くてでもきちんと醤油を感じる煎餅の味。


 「これ、すっごく美味しいですね。」


 「だろ。これはマコっちゃんが出張先で買ってきてくれたお土産なんだぜ。」


 「マコっちゃん…?」


 「あー、ほら寮母の。式波も会っただろ。」


 「あぁマコトさんが。働いていらっしゃるんですね。大学生くらいだと思ってました。」


 「まあ、見た目若いからな。でも今確か25歳くらいじゃねーかな。」


 「へぇー。」


 それでも十分に若い。この寮ではあの人が一番年上ということになるのだろうか。


 「そーいや、今日式波はなんでこの寮に来たんだ?入寮希望か?」


 「あ、いえ。偶然矢神さんが具合悪くしているのを見かけたので、ここまで背負ってきました。」


 私が答えると八重崎先輩は驚いたような顔をした。あり得ない、という顔だ。


 「レンが?そりゃあ凄いや。レンは滅多に人を頼らねーから。」


 


 私が矢神との話をすると大体の人は驚くのだなと思いながらふと、ここではどういう風に彼女が過ごしているのか知りたくなった。

 

 「あの、ぶしつけな質問かもしれないんですけど、矢神って寮ではどんな風に過ごしているんですか?」


 「んー。そうだな。…あくまでアタシから見た話だけど、少なくともほとんどの寮生に可愛がられてはいるな。」


 「可愛がる?」


 「ああ、なんたってほとんどの寮生がアイツより年上だからな。年下は中二のエルだけだよ。」


 「なるほど。」


 「まぁ、お話しするとかそういう意味でもそれなりには仲良くやってると思うよ。例えばアイツのクラスメイトとかよりは、うちらとの方が仲がいいと思うし。」


 そういってから先輩はため息をついた。


 「けどまぁ、正直まだ壁をちょっと感じるというか、本気で頼られたことはないな。」



 そういいながら、寝ている向坂先輩の頭を撫でている。共同スペースの窓から暖かい色の光が差し込み、私たちをやさしく照らす。その光の差し込む角度で、気づけばもう夕方だと知る。


 「でも、安心だな。」


 「え?」


 「だってアイツにも、お前という心を許せそうな相手が見つかったっていうことだろ。背負ってもらうとか、レンがするのは特別だと思うし。

 まあこんなこと言ったら式波にアイツとの友達関係を強制してるみたいになっちまうけど。」 



 「いえいえ、そんな。」


 少し驚いた。周りからはそういうふうに見えているということを喜ぶべきかどうかよく分からない。心を許されては、ない。でも、少しは心に近いところに触らせてくれるようにはなったかな、と思う。






 マコトさんに「ご飯食べてく?」と聞かれたけど、丁重に断って寮を出た。いつも学校から通るときに使う正門ではなく裏門から外に出た。裏門は正門よりもずっと古い。おそらく正門は今の校舎が建てられたときに建て直されたのだろうけど、裏門は今も建て替えをしていないのだろう。現に私の周りの生徒で裏門を利用するという話はほとんど聞いたことがない。


 既に暗くなった空にはぽつぽつと星が見えた。街灯が道を明るく照らし、人々がまばらに歩いているのがよく見える。疲れていそうなサラリーマン風の男性、子供と手をつなぐ夫婦、音楽を聴きながら自転車で駆け抜けていく若者。それらをぼんやり眺めながら私はとりとめもないことをぼんやりと考えていた。


 矢神のことを。


 自慢ではないけど昔から自分が大して動かなくても相手のほうから寄ってきてくれるタイプで、特に女の子にはよく話しかけられた。それに対してできる限り誠意のある対応をしようと心がけてもいる。それは私に女子をとられたと、からかいや妬みをもって寄ってくる男子にも心がけていることだ。そのおかげで私はかなり交友関係が広いほうだと思う。

 その交友関係のおかげで、転校してきてから矢神恋の話は何度も聞いた。


 矢神恋。顔がモデル並みにかわいくて、スタイルもいい。病弱なところが儚げでまたいい。他人とはあまり話さず、無口。


 一貫してこんなような内容だった。みんな彼女にあこがれを持っているようで、しょっちゅう話に出るけど話しかけにはいかない。私が、


 「そんなに気になるなら、話しかけに行けばいいんじゃない?」


と尋ねると


 「畏れ多いというか…。」


とか、


 「話してみたいとは思うけど緊張する…。」


とか、肯定的ではあるものの消極的なものが多い。私はあまり彼女に話しかけるということに畏れ多いとかいう気持ちはなくて、中二の終わりからは割と気にかけて観察をしていた。


 友人たちに連れられて、みんなが言うその矢神さんを見に行った。いつも「一組の人たち」として認識していた中の一人、矢神恋が友人の話の中だけの存在ではなくて実態を持って現れたのだ。

 彼女のクラスの前は私が移動教室の時にいつも通る道だったから特に不自然にもならない。色素の薄い茶色の髪に同じく色素の薄い瞳。背は自分と同じくらいで、黒いパーカーを着ているのが印象的。腕にはリストバンドをしていて、普段は髪に隠れていて見えないが実はピアスをつけているらしい。

 

 で、少しだが話をする機会もあった。帰るときに彼女が道の端でしゃがみこんでいるのを見かけたのだ。その時はうっかり素の口調が出て焦ったが、かえって覚えてくれたみたいでよかった。


 それらの接触を経て気づいたことは、彼女は自分の幼馴染だった人だということである。何せあの時は本名も聞かないまま遊んでいたし、今とは随分雰囲気も違ったから全く分からなかった。しかし、色素の薄い髪と瞳、ついでに笑顔が記憶の中の彼女にそっくりだった。




「ただいま。」


とりあえず家に着いたので、カバンから鍵を取り出しドアを開ける。が、おかえりなどとは返ってこない。玄関もリビングも暗く、人の気配は感じられない。


  

 人にはそれぞれ事情や抱えているものがあって、矢神にもあるだろう。

 そしてそれは私も、例外ではない。

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