第32話

(32)


「比嘉さん」

 僕は言う。

「決してこちら側に来ないように」

 僕は石を拾い集めながら、男に声をかける。視線は向けない。

 緑の光沢を放つ石が投げ込まれて、消えてゆく。

 彼にはその姿が見えているだろうか。全身を這う様に伸びて来て魑魅魍魎は今や比嘉鉄夫の鼓膜の奥を舐めているかもしれない。生の温もりというこの世の名残を忘れた魍魎共の生贄に比嘉鉄夫は成り果てようとしている。

 だが、僕には分かる。

 魔人としての誇り(プライド)が奴を再び激情の中に陥れ、やがて怯むことを許さぬ心のリミッターを切るだろう。

 あれほどの力を持ったものが蔑んだ小物に足元をすくわれることが、彼自身の中で魑魅魍魎に包まれながらも、今や爆発寸前なのは、空気の中で分かる。


「さわるんじゃねぇえええええええ!!!」


 来たな。

 リミッターが切れたのが分かる。


 狂気の叫びで魑魅魍魎を引きはがしてゆく比嘉鉄夫。

 だが僕は見向きもしない。

 何故ならもう見向きをしなくても僕は既に勝っているのだから。

 無残な敗者へ、見送りは必要無い。


 魑魅魍魎を背負い歩いてくる比嘉鉄夫。まるで巨大な魚を背負って歩く漁師のようにずるずると音を立てて歩み寄ってくる。

「テメェ、テメェ、良くも良くも…俺をこんな無様な姿にさせやがったな。俺はなぁ…誰にも今まで媚へつらったことは無い…」


 するずると足を引きずるようにサンダルの音が石の上に響く。賽の河原を歩く魔人が言う。

「俺はなぁ…本当に自分の仕事に誇りを持っていた。人生の負い目は美しいネジやボルト、そうした物を汗水垂らして旋盤期や金属加工機で磨き上げて造り出した時には報われていった。誰にもできないことを俺は成し遂げて社会に輝く存在なんだ。それこそ俺の恍惚境地(エクスタシー)だった。だが、そんな俺の人生を映し出した顔は汚れているのか?醜いのか?え??なんだ『妖怪(バケモノ)』って!!」

 サンダルが石を踏みつぶす。

「彼女は本当に俺にとって聖母だ。ここ折れて社会から脱落した俺に手を差し伸べた。新しい力を手に入れたあなたは『新世界』でいきる為の存在、祓魔師(エクソシスト)だと!!」

 僕は振り向かない。何も聞こえない。敗者の妄言なんぞ。

「もういい。惑星落下(メティオ・ストライク)を発動できなくとも、俺はお前の肉体をこの指で、歯で、引きちぎって『彼女』の前に差し出してやる!!」

 比嘉鉄夫は肩にのしかかる魑魅魍魎を引剥ぐと足を強く踏み出した。緑色の光沢が足元で放ったのが彼に見えただろうか。

 噛黄金色の眼の中で深紅の瞳孔。だが、今僕が言ったこちら側に足を踏み入れた彼に僕は魔人とはもう言わない。

 戦場では冷静さを失ったものが勝利を失う。

 鉄則だ。

 彼は魔人ではなく、猿になったのだ。そう猿のように顔を紅潮させて僕に襲いかかって来た。

 その瞬間、僕は呟く。


「――僕の魔術、コンプリート」

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