第23話

 十階建ての廃ビル。午後十一時ごろ。


 十数メートル離れたところで結愛ゆめは様子を窺っている。


 深夜ということもあり、さすがに人通りは少ない。


 取り壊し予定のこの廃ビルに絹衣をさらった『盲愛のハゲワシ』がいることはすでに調べがついている。


 あとは助っ人を待つだけ。


 結愛はスマホで時間を確認する。約束の時間になったと同時に、後ろから「おーい」と密やかな声で呼ばれた。


 結愛は振り向くと、そこにはサングラスにマスク着用で黒パーカーの人間がいて、警戒心が全身を包んだ。


「不審者!」


「あ、ちょっと待てって。俺だよ。俺。俺がわからないか? 俺、俺」


「悪い人はそうやって詐欺するん、ウチ知ってるんやから」


「ほら、俺ぁ飆灯だから。その危なっかしい童器しまえ」


 九重はマスクをずらして、サングラスを取る。


 顔が見えると、結愛は短く息をつき、


「……不審者や」


「おい、なんで評価が変わってないの? 俺の顔が不審者だっていう悪口?」


「だってそんな格好で普通来ようとせえへんやろ」


 結愛の言い分は間違っていない。


 九重はサングラスにマスク着用で黒のパーカー(フードはしっかり被っている)で現れたのだ。


「だって変装つったら百人中九十九人がこんな格好だろ?」


「ひとりだけ常識人! やなくて、ナチュラルに嘘吐くな!」


 呆れてため息をつく結愛。結愛の方はいつもの無童係の黒の制服ではなく、パンツスーツ姿でキリッと決めていた。フレームの細い眼鏡は彼女を知的に魅せている。


「とにかく、その格好じゃ怪しまれて潜入しづらいし、何とかしてくれへん?」


「何とかって……」


 九重は不承不承にマスクとサングラスを外す。


「それで? あの廃ビルに二島がいるのは間違いないんですかい?」


「間違いないで。無童係におる位置特定専門の優秀な童貞からの情報やからな」


 結愛のさらさらな銀髪が風になびく。


 見張りがいるので、九重たちはもう少し待ってみようと考えた。


 九重は眉をひそめて、疑問を投げかける。


「でもそこまでわかってて、なんで俺に助けを求めたんだよ。無童係が対処するのが筋ってもんじゃねえのか?」


 結愛は視線を落とす。


「慎重になっとるんよ。以前から盲愛のハゲワシを討伐しに向かった隊員が次々と殺されている事情を鑑みて、無童係は万全の対策を整えることに従事してるんや」


「それって……」


「見殺し……とまではウチも言わへん。彼らだってできるだけ早く準備を整えて、救助に向かおうとはしてる。そやけど、それじゃあ遅いんよ。こうしてる間にも絹衣ちゃんは苦しんどるねん。手ぇ届くのに伸ばさへんなんてウチにはできへん」


 熱い眼差しだった。


 銀色の綺麗な前髪で目元は若干隠れてはいるが、絹衣を想う気持ちは微塵も隠しきれていなかった。瞳に宿る熱は彼女の雪のような美しさを溶かさず、むしろ輝かせていた。


 九重はいつになく真っ直ぐな目を彼女に向ける。


「どうしてそこまでして二島を助けたいんだよ」


「ウチ、前はいじめられとったんよ」


 結愛は追想に耽る。


「嫉妬され、服を引き裂かれたこともあれば、前髪をぱっつんに切られたこともある。男社会に身を置くモンやから、女はどうせロクに仕事できないとか好き放題言われたこともあった。でも、そんなウチに手ぇ差し伸べてくれたんが絹衣ちゃんやってん」


 結愛はその時のことを思い出し、口角をフッと上げる。


「絹衣ちゃんは言ってん。『あなた、そんなに人に構ってもらえるなんて人気者ね。わたしにも少しくらいおこぼれ寄こしなさいよ』って」


「あいつ昔から人に飢えてたのかよ」


「フフッ、せやろ? そんでな、それからウチがちょっかいかけられる度に絹衣ちゃんは相手に必ず暴言吐いとったわ。絹衣ちゃんはエリートやったから誰も言い返せへんかったんが滑稽でな」


「なんか目に浮かぶな、その光景」


「絹衣ちゃんらしいけどな。いっぺん訊いてん。ウチに構ってたらそれこそ人寄りつかへんでって。ほんなら『マイナスは足せば足すほど大きなマイナスにしかならないでしょ? 2+1=+3なんだから結愛といる方がいいに決まってるわ』ってすました顔で言いよるねん」


「めっちゃ理系チックな考えだな」


「せやねん。しかもその後『ちなみに1は結愛で2はわたしだから、ふふんっ』って胸張って言ってきてさ。すんごいかわええやろ?」


「ああ、かわい――い、いいヤツだな、二島は」


 勢いで可愛いと言ってしまいそうになった九重。


 女子は軽率に可愛いという言葉を用いるから困る。


 言い直した九重の様子が可笑しかったのか、ニマニマしながら結愛は続ける。


「これがピンチの絹衣ちゃんに手を差し伸べたい理由やけど、まだおかわりいる?」


 まるでまだまだ語り足りないかのように自慢げに話す結愛。


 理由なんて何となく訊いただけだったが、絹衣に対する評価が上がり、共感もできたため、九重の使命感も濃くなった。


 結愛を一瞥し、頭を掻く。


「よし、ほんじゃま、そろそろ殴り込みといきますか」


「念のために言っとくけど、潜入やからね。交戦はあくまで最終手段。絹衣ちゃん助けたらすぐに帰るんやからね」


「あいよ」


 九重は拳をポキポキと鳴らす。


「俺でよけりゃあ、おっさんのパンツん中でも手ぇぐらい伸ばしてやるよ」


 うわぁ、という結愛の視線と共に、ふたりは二島絹衣奪還作戦を開始した。

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