第11話

「お、おいしい……」


 じゃがいものみそ汁をすすって、ほっ、と息をつく絹衣。


 ワンルームの真ん中に置かれた、小さな木のテーブルの上に、みそ汁をはじめとした和食が並べられていた。


「この煮魚も身がほろほろしておいし――」


「おいおい。野郎が作った料理の描写なんて、昨今のラブコメには求められてねえんだよ。てことでここのくだりはカットしまーす」


「じゃあわたしが作ったってことにする?」


「卵も割れねえポンコツなんだから、どうせ二ページぐらいで破綻するぞ」


「ケンカ? ケンカだよね? このサバの骨をあなたの両目にねじ込んでもいいかしら?」


「これ、カレイなんだが」


「…………このカレイの骨を――」


「いや、もう手遅れだから! ラノベだったら半ページ持ってねえよ」


 恥をかいた絹衣はそれ以上しゃべることなく、黙々と箸を進めていた。


 ここまで恥を上塗りできるのは、むしろ一種の才能ではないだろうか。


 九重は白米を口に運んでから本題に入る。


「とまあ、こんな感じで二島を家まで招いたわけだが、なんか思い出したことはあるか?」


 そもそも絹衣が『高校時代に、九重と寝たことがある』という謎の記憶を持っていて、その検証のために夕食を共にしているのだ。もちろん九重は童魔を使える、紛れもない童貞であるためこの話は矛盾している。


「いいえ。わたしとあなたが恋人関係で、その上その……あの……」


「ん? なんだよぉ言わないとわかんねえよぉ」


 意地悪く九重は促す。


「あなたねえ……」


 絹衣は肩をプルプル震わせる。


「その……わたしとあなたが……エッッッなことしたなんて微塵も信じられないわ」


「あぁ俺もエッチしたなんて記憶に全然思い当たらねえよぉ」


「ほわわぁあ!? エ、エッッッなんてそんなはっきり言わないでよ!」


「『ほわわぁあ!?』ってお前シンプルに誰だよ。日本の文化にそんな驚き方ねえよ」


 あわてて両手で顔を隠す絹衣。ちょこんと垣間見えている耳は真っ赤に染まっていた。


 少し間を置いて九重は続けた。


「ラメダリでも言ってたように、可能性としては二島の記憶が誰かに改ざんされたって筋だろうな」


「ええ。おそらくその犯人はわたしに接触したんでしょうけど、その時の記憶も消しているからまったく覚えていないんだわ」


「だろうな。でも問題はなぜそんなわけのわからん記憶を二島に植え付けたかというところだな。お前、好きな女にエッチな記憶を植え付けて寝取られ気分にひたるヤツに心当たりはないか?」


「そうそういないでしょそんな変態。まあわたしにセクハラしてきた上司はいたけど」


「あぁそういやそんな話あったな。そいつは怪しくないのか?」


「だってその人、妻子持ちだし。記憶改ざんなんて童魔使えそうにないわ」


 うーん、と九重は腕を組んで考え込む。


「とはいえ気になるな。それに無童係の方が何かしらの有用な情報を持っているかもしれない。二島――」


 そう頼み込もうとし、すんでのところで踏みとどまった。


 いくら報復したといっても以前にセクハラしてきた相手の顔はもう見たくはないだろう。


(強気に振る舞ってはいるが、そういうヤツは大抵心ん中はもろいもんだ)


 絹衣を慮った九重は「いや、なんでもねえ」と会話を強引に切る。


 そんな彼の思慮を察したのか、絹衣は、


「別に平気よ。視界にあいつの顔が映ったら蹴り殺すだけだから」


「違う意味で大丈夫なのか、それ」


 カレイの煮魚を静かに咀嚼し、飲み込んでから絹衣は話す。


「まああんな奴の顔なんか二度と見たくないのも事実だわ。だからわたしの友人から情報を仕入れておく」


「お前、無童係に友達いんの――ってあぁ、あの関西美人か」


 思い浮かべるは、炎の悪童と対峙していた銀髪の彼女。名前は結愛だと三じいに聞いた。


「ええ。結愛なら顔も広いし問題なく必要な情報をくれると思うわ」


 絹衣は音を立てずにみそ汁をすすった。


「それともうひとつ、考えておかなければいけない可能性があるわ」


「もうひとつ?」


 九重は玉子焼きにパクつく。


「ええ。それは、実はわたしの記憶が本当で、あなたが忘れている、という可能性よ」


「お前、人のせいかよっ!」


「ひ、人のせいって何よ! わたしだってこんなこと言うの恥ずかしいんだから」


 持っている箸をわなわなと震わせて、絹衣はサッと目をそらす。


 九重はトンと箸を置いた。


「第一、俺と二島は一緒の高校じゃなかっただろ?」


「わたしの記憶によると、他校との童魔における交流会で出会ったっぽいわよ」


「うーん。なら余計に俺にぁ心当たりがないなぁ」


「あら、どうして?」


「高校のそういうイベント事に参加した覚えがねえからなぁ」


「ぼっち?」


「ぼっちっつうか、もうその頃から童貞として働いてたからなぁ。いまいち二島の言い分にはピンとこねえんだよ。あとぼっちって言うな」


 九重は手元の水に口をつける。


 絹衣はあごに手を当て、うなりながら思考する。


「じっと考えていても埒が明かないわね」


 少し沈黙が流れる。


「調査をしましょう」


「調査だぁ?」


「ええ。わたしたちが高校時代に付き合っていたとしたら行ったであろう場所に行くのよ」


「ゆかりのある場所に行けば何か思いだすかもしれないってことか?」


「話が早くて助かるわ。それに意外と乗り気ね。てっきり反発されるかと思っていたのだけれど」


「方針が何も決まらねえより幾分マシだ。んで、場所はどうするよ」


「……とりあえず最初はラウンド○ンでもいい?」


「何か考えがあるのか?」


「……いや、わたしが身体を動かすの好きだし、高校生の時なら行ってそうだなと思っただけ」


「ま、二島って運動が嫌いになりそうな胸……じゃなくて体型してないもんな――って二島さん、手をアイアンクローにしてこっち向けるのヤメテ? 俺フェアリータイプだから効果抜群なんだぁ」


「大丈夫、これドラゴンクローだしあなたには効かないから。効かないから五発ひっかかせて」


「俺が悪かったです。マジすんませんでした。何でもしますんで許してください」


「え? 今何でもするって言った?」


 絹衣は意地の悪そうな目をしていた。ずるがしこくて大人びた目。


 ポンコツな一面を見せた後にこういった大人っぽい表情をされると、ギャップでつい魅力的に感じてしまう。


「じゃあわたしの言うことを何でも聞く忠犬になるっていうのはどう?」


「いいわけあるか! 俺ぁMじゃない、Sなんだよ! 実践したことねえけど……」


「後半の情報は聞こえなかったふりしてあげるわ」


 絹衣は引きつり笑いで、続ける。


「じゃあわたしのいうことを何でもひとつだけ聞くっていうのはどう?」


「んーまあひとつだけなら……ってなんかうまく乗せられた気がするんだが。こういう心理学なかったか? 『ドア越しに覗き見』みたいなの」


「ただの変態じゃない……。ドア・イン・ザ・フェイスでしょ?」


「あーそうそう……ってやっぱ謀ったな」


「謀ったもなにもあなたが失言するからでしょう?」


「ほんとスンマセン……」


 シュンと頭を垂れる九重。こうなってしまったら反抗も何もできない。


 それから九重と絹衣は集合場所や日時を決めた。


 ラウンド○ンに行くどころか、誰かとどこかに遊びに行くこと自体初めての九重からすれば、相手がほぼ初対面の絹衣だとしても、非常に楽しみなのである。


 ましてや絹衣は九重に対して攻撃的とはいえ女の子である。しかもとびっきり美人の。


(これって実質デートなのでは?)


 という九重の思惑は心の内に秘めておいた。


 さらに言えばこれからの日々、『調査』という大義名分を背負って、絹衣と様々な場所へ出かけるということだ。


 もちろん九重はおいそれと童貞を捨てることはできない。


 彼女として絹衣と一緒に遊ぶことはこれからもありえないにしても、やはりずっとひとりぼっちだった九重は、絹衣との調査の日々を待ちわびざるを得ないのであった。




 そんな記憶をめぐる『調査』の日々に、思いもよらぬ危機が迫ることを、この時の九重たちはまだ知らない――

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