ゾンビと聖職者 2

 マトモに喋れないというゾンビ最大の欠点についてだけど、実は解決手段が全くないって訳じゃない。


 それが、『明光』のラーナが大戦の最中に編み出した魔法である回復魔法だ。

 ラーナの死没後は『ラーナ教』の教会関係者にのみ継承される、権威の象徴として扱われるようになった力。このラーナの置き土産があったからこそ、未だに『ラーナ教』は国教として政治的な影響力を強く持ち、その信仰は廃れずにいる。


 生前のラーナが未来をどう思い描いていたかは知らないが、彼女が創った『ラーナ教』が、清廉な聖女の逸話とは程遠い権威主義と魔術独占によって成り立つ、腐敗と歪みを内包した組織に成り果ててるのは純然たる事実だ。

 もちろんこの内部腐敗の事実は、『ラーナ教』を国教だからと曖昧に信仰する民草には知りようもない。

 貴族のお偉いさんか裏事情に通ずる一部の冒険者でもなければ、知る術のないこの国の暗部。


 私は『ラーナ教』の在り方があまり好ましくは思えない。別に利権に腐敗すること自体を非難する気はないけれど、回復魔法という強力無比な魔法体系を占有していることが気に食わない。もし……もっと多くの魔法使いが回復魔法を使えていたら、多くの冒険者の役に立ってただろうし、何より私にとってとーっても有り難かったのにさ!


 腐った私の身体に回復魔法を使うと、理屈理論はさっぱりながら、面白いことが起きる。


 腐敗した私の身体が魔法によって治癒されると、まるで「人間のような」身体になる。あくまで回復魔法をかけている間だけの一時的な変化だけど、その時ならマトモな会話が可能だ。

 なんたって私を悩ませる腐った喉も、人間と同じ腐敗無いモノになるのだから。


 もしも、回復魔法が魔法使いの間で一般化され、多くの冒険者が魔法による治癒を可能にしたならば、ゾンビの言語伝達問題も今よりかはずっと些細な障害になってたのにさ。

 教会の腐敗に足を引っ張られて、私の腐敗による支障がより大きな問題となるなんて、ゾンビの腐敗した腹でも立腹する許しがたいことだ。


 いくら『冠付き《クラウン》』の冒険者とはいえ、結局は一小市民の亜人でしかない私には政治的腐敗に異を唱える権力なんかないから、この腐敗を指を咥えて眺めてるしかないのももどかしい。


 そんな世知辛い理由があって、回復魔法を使える冒険者は殆どいない。そりゃ教会の聖職者と冒険者とを兼ねる奇特極まりない異端者なんかそうそういないさ。


 ただ言わずもがな、何事にも例外は存在する。少なくとも一人、私はその例外に心当たりがある。

 ……たとえ能力が理想でも、内面までも理想に沿ってくれるとは限らないって教訓を心に確と刻み込んでくれた、数少ない苦手な冒険者のことを。




 ここ数日、私は戦々恐々の日々を過ごしていた。

 いつ「彼女」が私の前に顔を現すか、現した時にどういう対応をするべきか。警戒と準備に心を磨り減らし、さしものゾンビも顔色相応に疲弊してしまってる。

 疲労が蓄積するはずもないのに、心なしか鉛が内側で沈殿してるみたいに身体が鈍い。心の重さが肉体に反映されている。ゾンビにも、心身の相関関係は成り立つんだなぁ。


「んー……ゾンビさん、最近どこか挙動不審じゃないですか? 普段の死体みたいにギョロっとした目が、いつも以上にギョロギョロしてるような」

「ガッハッハッ!! 確かに、アイツの目が不気味なのも挙動が人並み外れてるのもいつものことだが、ここ数日特に不審極まってたなあ。ぐぇっふっ!」


 『灰兎亭』一階のカウンターで私について会話するアリアとダリオルの声が、二階にいる私の鼓膜にまで届いてくる。警戒心が視覚と聴覚を過敏にしているからか、小声で囁く噂話まで耳が拾ってきてしまう。

 小声なのはアリアだけで、ダリオルは傍若無人に轟く大声だけど。……っていうか、他人の噂話を本人に聞こえる声量で語るなよ、バカ酒乱。


 他者に目敏く周囲に敏感なアリアが私の変化に気付くのは当然といえば当然だけど、酒に脳を侵され注意力も思考力も散漫なダリオルにまで気付かれていたとは。

 心の荒れ様が想像以上に表に出ていたみたいだな。まあ、それほどまでにクーリアに対して苦手意識を抱いているってことか……。


 修道女シスター、クーリア。性格も思想もスタンスも趣向も、内面の全てが私と相容れない変わり者。

 他人に嫌われることはあっても他人を嫌うことなんか滅多にない私が苦手に思う、数少ない存在の一人。いや、どう思い返しても苦手なヤツなんか彼女しかいない。

 なるべくは顔を合わせたくはないが──


「くっふふふっ! ゾンビちゃん、ごきげんようっ!」


 背後から長い腕が伸びてきて、私の身体に回される。死人のような透明な気配を持つ、性別の割に筋肉質な腕。

 噂をすれば、悪夢の影。


「あ~もうっ! 相変わらずキュートなお顔でいい反応してくれるねっ。緑で、ボロボロで、むせ返る死臭。ああ~いい香りっ。このむさ苦しい生者の中で、一際輝く深窓の死人! これ以上ない目の保養。ねぇねぇ、体液も浴びたいから、もうちょっとだけギュッとしても…いい!?」


 いい? と訊いた瞬間、回した腕に私の全力の何倍もの筋力が込められる。

 人の何倍も脆いこの身体に、そんな力を加えられて耐えられるはずもない。私の身体は見るも無惨に真っ二つに鯖折りされ、お望み通り腐敗極まる私の体液がクーリアに降りかかる。


 うう…、良いだなんて言ってないのにさ。後でダリオルに小言を言われるのは私の方なんだよ。


「あははっ! ゾンビちゃんの中、やっぱり暖かくって気持ちいいなぁ…。もう、うっとりしちゃう! こんな身体の相性が良い相手、本当に生まれて初めてなんだから。異種ながら、一応は同性なのが悔やまれちゃうわね。いや……同性でも、別に良いのかな? ねっ!」

「ぐぁーげぇーぐぇー!」


 ちょっとした虐殺死体みたいになった私の身体をまさぐりながら、耳元でイカれた甘いセリフを囁く聖職者。

 傍目からみたら、一体この光景はどう見えているんだ? 少なくとも桃色の景色には見えてないだろうな。その証拠に、回りの冒険者達は自分は無関係だと言わんばかりに、冷や汗かきつつ顔を背けている。

 強いていうなら、屈強な冒険者達でも目を瞑りたくなる、そんな残虐極まる赤色の一幕か。


 クーリアの理不尽な横暴にか弱いゾンビの腕で何とか抵抗していると、光悦にまみれた彼女の顔が拳一つ分くらいの距離まで近付く。

 目の下の深いくまと、ゾンビほどではないにせよ不健康な肌色が印象的なクーリアの顔。ただし彼女の顔から下は、そんな不健康な印象とは真逆の強靭さを秘めている。腕も足も、細身ながらに筋力の塊だ。


「ふふふのふっ! そんな嫌がってみせちゃって。嫌い嫌いもなんとやらってやつかしらっ。知ってるんだからね。わざわざバルストイなんかに愛の伝言なんか頼んじゃってさ。あ、ひょっとして、私に直接言うのが恥ずかしかったの? かーわいいなぁ!」

「ぎぃがぐぅっ、ぐぇ!」

「実は私、ゾンビちゃんに避けられてるかもって思ってたから…もう、すっっごく嬉しかったぁ! 嬉しくて嬉しくて、これまで組んでたパーティなんて即解散しちゃった。ゾンビちゃんが私を……私の愛を求めてるなんて聞いちゃったら、居ても立ってもいられないものっ!!」


 くそぅ! バルストイの単純バカめ、一体どんな説明したんだよぅ。


 話がまるで通じない。ゾンビだからとか、そんな以前の問題だ。そもそも意図を汲む気が微塵も感じられない。言葉のコミュニケーションより肉体言語の交わりを重要視していることがひしひしと伝わってくる。


 まさに、破戒の一言。

 クーリアという変人……いや、狂人を端的に表した言葉だ。


 精力的に教会で活動をする修道女シスターながら、冒険者としても一流の活躍をする回復魔法の達人。若く、そして無駄に器量も良いため民の憧れの的でもあり、冒険者としても希少な回復魔法の使い手として引っ張りだこな才女。

 これだけならとてつもなく聞こえが良いし、嫉妬以外で嫌う理由なんて欠片もないのだけど、残念ながら外面からでは測れない破綻した狂気がクーリアの内には巣喰っている。やはりというか、美辞麗句だけで語れる人などいないのだ。


 クーリアが教会で働くのも、冒険者をしているのも、そして今こうやって私に暴力的なまでの情熱で絡んで来ているのも、彼女の歪みきった嗜好が起因している。


 単純明快に言うと、クーリアは暴力が好き…らしい。多様な趣味嗜好を認めてあげたい気持ちはあるが、それにしたって彼女は異常だ。

 痛め付けるのが好きで、傷付く姿が大好きで、無惨な死体が何より好きな、破戒の限りを極めた修道女シスター


 そんな異端者がゾンビに好意を向けてくるのは、火を見るよりも明らかだ。いくら壊れても問題ない、死体の生者。暴力愛好者のクーリアにとって、ゾンビという希少な亜人の異常性は何よりいとおしく感じるのだろう。


 うう……久々に会ったけど、やっぱり苦手だな。暴力的で雑だけど強引な手合いではないから、拒んでさえいれば避けられていたのに……バルストイのバカッ!


「あっ! 思いの丈ばかりが先走って、肝心の返事を忘れちゃってたわ。ゾンビちゃん、貴女の告白、喜んでお受けしますっ!」

「ぐぃが、ぎぃがぐぅんがっぐぇっ」

「ゾンビちゃんってば、パーティを組んで群れるのが嫌いなんだと思ってたわ。ちょっと前までは、私が組もうと誘っても全然なびいてくれなかったんだもの」

「ぎぃいげぇっぐぇっ!」

「でもぉ、私としてはぁ、どういう心境の変化からの宗旨変えでも構わないわ。貴女と一緒に血飛沫まみれで死に際ランデブーを楽しめるのなら…なんだっていいの。そのためなら、人の死に顔を眺めたい一心で教会に捧げたこの身を、貴女一人に捧げ直してもいいわ。私も愛のためなら、宗旨変えを厭わない口よ。…うふふふふっ!」


 ダメだ。この破綻者だけは…やっぱりダメ。もう、何から何まで噛み合わない。もはや会話が出来ないなんて次元じゃない。なんか病的に詩的な口調になりだしてるし、迷妄した眼は現実と幻想の狭間で泳いでいる。

 せっかく用意しておいた誤解を解くための筆談用の紙も、クーリアの愛暴混ざりの包容のせいで見せることすらままならない。


 ここまで狂喜をまざまざと見せ付けられると、外野に助けを求めることも無謀に思える。

ほら、皆ドン引きしながら傍観を決め込んでいるもん。


「こうしちゃいられないわね! 直ぐに、直ぐに冒険に出掛けましょ。なるべくゾンビちゃんがズタボロになるような、危険な依頼クエストがいいわっ。そして、ズタボロのぐちゃぐちゃになった貴女の横で、私は優しく添い寝してあげるの。きっと、お互いに素敵な夢が見られるに違いないわっ!!」


 い、嫌、本気で嫌だ。別に痛みは感じないけど、そんなスリルだけのイカれた冒険なんかに付き合うのはゴメンだ。

 私の望みは…望みの仲間ってのは、そんな歪んだスプラッターな関係じゃないんだからぁ!!


 私の心の抵抗虚しく、腰から逆方向にポッキリ折れた私の身体はクーリアの両の腕で人形みたいに運ばれて行く。

 クーリアとの別次元で交錯する異次元対話と比較すると、この間までのヴェルデとの空回りなコミュニケーションが大分マシなモノに思えて仕方がない。

 あはは……。自覚はなかったけど、私って案外高望みしてたのかもな。


 歪んだ愛という虚空を見つめる狂人の瞳には、嫌がるゾンビの姿なんか映っちゃいない。その狂気を孕んだ水晶玉が見据えるのは、偏愛という名の幻想だけ。

 故に、いくら騒いだ所で軟体獣スライムに杭を打つようなものだ。


 ──こんなの、仲間じゃない。仲間じゃないよ……。


 けれど、もういくら抵抗しようが、クーリアの誤解を解き、納得させる術は…私にはない。取り敢えず一度彼女とパーティを組んでしまう方が話が早い気さえする。

 諦念にも似た覚悟だけど、こうなってしまえばもう激流に身を委ねるより他ない。


 それに……もしかすると、一度組んでさえみたら、私の方から組んでくれと懇願したくなるほどのクーリアの美点や利点が見えてくるかもしれない。万が一だけど、それこそイカれた精神の欠陥を加味しても余りあるほどの──


 いや、ないな。うん。いくら私がゾンビといえど、そこまでの下から目線にはなれない。

 私にはクーリアしかパーティを組んでくれる相手がいないだなんて、そんなの流石に認めたくない。そこまで自分を卑下したくないよ。


 されるがままのゾンビの頭には、そんな防腐剤代わりの僅かな自尊心とバルストイに向けた呪詛の念が静かに渦巻いていた。

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