ゾンビとエルフ 3

 旧魔王領と聞くと、人々は危険と不安を連想する。その想像自体は正しくはあるが、決してそれが全てという訳ではない。

 私以外の生き物全ての吐く息が白く揺らめくこの凍える銀世界を一目見せれば、誰もがほんの少し考えを改めることだろう。


 アルテミア王都より遠く離れた大陸の真北、厳しい寒さがそびえ立つ峰々を独特に染める寒冷な山岳地帯。通称『白銀の鳥籠』。

 通称とは言っても、ここまで旧魔王領の奥地だと、よほど特殊な立場の者でもない限り存在すら認知してないだろうけどね。


 旧魔王領は冒険者の中でも『銀級シルバー』以上でなければ踏み入ることすら許されない指定危険領域だ。冒険者以外だと、王族貴族のお偉い様やそれに仕える騎士でもなければ白銀に色めくこの美しい景色を、眺めるどころか知ることすら出来ない。

 陽射しを浴びて幻想的に輝く雪景色。アルテミア国内でこれほど雪が積もることなんてまずない。こういう幻想風景を拝むたび、冒険者の役得ってものを感じるな。




「……悪いなゾンビ」

「ぐぇぐぅいぃーぐぉ」

「……本当に、なんて言ってるのか全く分からないな。…まあ、いいか」


 雪丘の冒険に適した重装備のヴェルデに歩調を合わせていると、唐突に謝罪の言葉が投げかれられる。主語のない謝罪、おそらく自分のミスで達成出来なかった依頼クエストのやり直しに付き合わせていることへの謝罪だろう。パーティ仲間なんだから、そんな些細なこと気にしなくていいのにさ。


 そう、私達が今この積雪と急斜面の悪路をあくせく登っているのは、先日ヴェルデが受注してた宝輝草の採取依頼をやり直す為だ。


 たとえ依頼クエストに失敗したからといって、はい止めたって投げ出していいはずもない。そんな無責任な真似したら、ギルドの沽券に関わる。

 失敗した冒険者が依頼クエストを再受注するなり、別の冒険者が引き継ぐなり、他のギルドに引き渡すなり、何かしらの対応をとって必ず完遂するのが冒険者ギルドの基本だ。

 なんであれ、一度受けた以上どんな形でもやり遂げろってことだね。


 今回はヴェルデのうっかりミスが原因であって実力に問題があった訳じゃないから、再受注という方法を取った。

 まあ、この依頼クエストなら私も何度か受けたことあるし、『銀級シルバー』冒険者と私とでならよっぽどのトラブルでもない限り苦もなく果たせるだろう。


「…………」


 一言謝罪を口にして、ヴェルデはまた押し黙ってしまった。ようやく話してくれたと思ったら、すぐ口を紡ぐ。こんなやり取りが何度か繰り返されたけど、そこから全然話が繋がらない。

 まあ、ロクに喋れないゾンビと寡黙なエルフとでは話が広がらなくても仕方ないっちゃ仕方ないけど、広げる努力はしたいかな。

 パーティの仲間としてキチンとコミュニケーションを取りたいし、何より黙って並んで進むだけじゃあつまんないしね。フィルティとは二人きりでも十分会話が成立してたし、ゾンビでも根気よく頑張ればなんとか──


「ぐぇえ、がぐぅぐがぁぃ?」

「……?」

「ぐぉうぎょうぐぃ、ぐぃおぐぅげぐぇ」

「………」


 ……ダメだ。悲しいくらいに通じる気がしない。肯定や否定、あるいは短い単語くらいなら通じるだろうが、自発的に喋らないヤツが相手じゃそれも叶わない。フィルティと会話っぽいやり取りが出来てたのは、あくまで私が受け身の立場でいられたからだな。


 うぐぐ……沈黙は苦手なのに、困ったな。筆談でもしようかな? いや、流石にこんな場所で筆談しながら歩くのはバカのやることだ。でもなぁ、何でもいいから話してほしいんだよなぁ~。好きな食べ物とか、冒険者になったキッカケとか、そんな他愛のない雑談でもいいからさ。


 一応ヴェルデとパーティを組むにあたり、彼のことを多少、いや結構調べた。

 『エルフの里』の出身で、名前はヴェルデ。冒険者になるため王都の城下町へやってきた弓術を得意とする端正な顔の青年。いや、青年といっても、人間よりずっと寿命の長いエルフ基準での話だけど。

 実際は百歳くらいゆうに越えているのかも。ゾンビとどっちが年上かな?


 結構調べたのに、分かったのはたったこれだけだ。ダリオルに訊いても、他のエルフに訊いても、ろくな情報が得られなかった。

 人気の少ない早朝にやって来て、用を済ますとすぐいなくなる亜人のソロ冒険者。うん…こんなの誰にとっても親しくなりようがないし、情報不足もやむ無しだな。


 依頼クエストよりも、ヴェルデに仲間として受け入れてもらうことの方がよっぽど困難かもなぁ。


「おい……おいっ」

「ぐぇっ?」


 腐った頭であれこれ思考をこねくり回していると、急な呼び止めにビクッとしてしまう。

 あら? ひょっとして、ようやくこの気まずい沈黙に業を煮やしたのかな。だとしたらありがたい。どんなしょうもない話題でもいいから、親睦の足掛かりとしようじゃないか!


「………ゾンビ、足元」

「? ──がぅえぇ!?」

「崖が……」


 ──足掛かりを失い、落ちた。全身へしゃげてバラバラになって……私以外だったら確実に死んでたよ。私の不注意が原因とはいえ、もっと早く言ってくれればいいのにさぁ。



 私の再生を待って、また無言の気まずい冒険が再開する。

 目指す目的地はこの先、『白銀の鳥籠』の山頂付近。空気すらも凍てつき枯れるような厳しい環境にだけ繁殖する宝輝草を求めて歩みを進める。


 採取依頼のターゲットって、なんでこんな過酷な環境にばかりあるんだろう。ゾンビな肉体でもなければ、辛いったらないだろうな。

 灼熱、豪寒、猛毒、落雷、どれも意に介さない私には関係のない話だが、ヴェルデはそうじゃない。空気がより冷え、薄くなっていくこの状況、経験済みとはいえ苦しくない訳がない。息は上がり、端正な顔は少し苦痛に歪んでいる。


 どうにかしてあげたいが、残念ながらどうにも出来ない。ゾンビの無敵さは、あくまで自分に対してだけ。仲間にはどうもしてやれない。

 仲間が苦労している中私だけが平然としていると、何故だか孤独を感じる。仲間との溝というか、壁というか……。私がいつまで経ってもパーティを組めずにいるのは、この隔たりを私以上に皆が感じているからかもしれないな。


 うう、くそぅ! もしそうだったとして、じゃあどうしろってんだ。回復魔法でも使えれば仲間の苦労を癒してやれるんだろうけど、私にそんな才も知識もない。


 もしもこのまま誰とも固定パーティを組めず、真の意味でも仲間も持てず、一人寂しく冒険を繰り返す心身ともに腐ったさ迷うだけのゾンビになっちゃったら……どうしよう。

 雪を踏みしめる鈍い音が嫌に耳に刺さる。静寂のせいか、この間のフィルティに惜しいとこで振られたのが原因か、心の奥底がネガティブになってるな。


 いや…いやっ! 後ろ向きはいけない。大丈夫! ヴェルデは私を受け入れてくれた。今まで意固地にソロを貫いて来たエルフが、私と組むと言ってくれたんだ。彼と固定パーティを組めれば、万事円満じゃないか。うん!


 ……でも、ヴェルデはなんで──


 なんで私なんかと組んでくれたんだろう?



「……この辺、か」

「ぐぅう」

「ここら辺を、一旦手分けして探す。見つからなければもっと上へ登る。いいか?」

「ぐぃあ、ぎょっぐぉがっげぇ!」

「やっぱりゾンビは、こんな場所でも元気なんだな。……羨ましいよ」


 鋭い向かい風を一身に受けたヴェルの顔は赤く染まっている。元が透き通る程に白いから変化が余計分かりやすい。

 私の顔はどうせ、いつものように緑色だろう。痛みを伴う生きる証の赤色が、やっぱりちょっと羨ましい。


 まるで女神様に、お前は例外だって爪弾きにされてる気分になる。精一杯の空元気で声を上げたせいで、孤独感が余計に増しちゃったよ。


 ヴェルデは重装備の重い足で勝手に私の傍を離れようとする。やっぱり、ちょっと待ってと諫めた私の言葉は彼の耳に正しく入っていない。うう…困るなぁ、もう!

 手分けして探すってのは、たしかに効率の面からいえば正解だ。ヴェルデも先日の経験を糧にこの手段を最善と判断したのだろうが、経験なら断然私の方が上だ。


 考慮外のトラブルがないと仮定するなら、人手を分けるのはありだ。だけどそんな楽観、こと冒険においては愚策と言う他ない。

 無闇に人手を分散しない。こんなの冒険者の鉄則だ。パーティを組んだことのないヴェルデの経験の浅さ、その悪弊が行動の軽率さに現れている。


 まったく、もうっ!


「ぐぉう、がっぐぇっげっ!!」

「……寒いから、さっさと探そう。ゾンビは逆の方を頼む」

「ぐぃあ、がぁーぐぁーがー……」

「……『冠付き《クラウン》』にとって、『銀級シルバー』なんて保護対象にしか見えないかもだけど、大丈夫だ」

「ぎぃいげぇっぐぇ!!」

「………」


 会話にならないから、端から聞く耳を持たない。私を受け入れた癖に、私を拒絶してる。私のせいでもあるけどさ、こんなの……仲間じゃないじゃんか。


 くそぅ、ちょっと…待ってってば!


「ぎょっぐぉ…がっぐぇっげぐぁ!」


 ──待って、という私の言葉を聞き入れたか、ヴェルデの重い足が止まる。

 よかった。心を込めた声ならば、やっぱりゾンビの発音でも伝わるってことか。



 そんな希望まみれの推定は、目の前の光景を見てすぐふっ飛んだ。


 しんしんと雪降る灰色の空に、複数の大きな影。静寂を切り裂く翼はためく音。

 『白銀の鳥籠』には、厳しい悪環境以外にも冒険者の歩みを妨げる一等級の危険が存在する。それは、こんな環境にすら生息出来る強靭で狡猾な、魔物。

 こいつは、その中でも最悪に近いハズレくじ──


飛迅竜ワイバーン……!」


 目の前でこちらを睨み付ける複数の影を唖然とした顔で眺めるヴェルデ。

 ああそう、そうさ。こういうのを考慮外のトラブルっていうんだよ。経験値だけなら図抜けてる私にとって、泣きたくなるほどに覚えのあるアクシデント。


 ゾンビの目には涙なんか流れないし、そもそも泣いてる余裕なんかないけれど。

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