景色。

 一人と一匹が二手に別れてからしばらくすると森の中に響き渡る『音』。


 ──バサァ……ひらひら。


 暗闇の中、突如目の前で舞い上がった木の葉達。


「フ、フゥウゥゥウ……!?」


 意味のわからないその現象に身動きを止める巨大なトロール。そんな彼の目には反対側からキラリと光り輝く光が入り込むと次にその方向へと視線を向けます。


 ──スウゥ……


 視線の先、剣の形に沿ってゆるりと静かに闇夜に消えていく青い光。


「……フウウゥッ!!」


 トロールはその光にアナスタシアの存在がまだそこにある事を認識すると唸り声を上げました。

 

 そう、これがくろうさぎさんの考えた『ストレス作戦』の全貌でした。自身は怪奇現象を起こし相手の不安を煽り、アナスタシアは常にその存在を相手に意識させる。トロールに警戒を解く間を与えない事でその精神を疲弊させる作戦です。それをこれから何時間も何時間も『時間』をかけて行っていくのです。くろうさぎさんはトロールの現状を確認すると自身の生み出した仮説に『裏付け』をしていきます。


「トロール。今のキミの心中はきっと穏やかではないだろうね。アナスタシアに常に狙われているという意識と、この森で見たこともない得体の知れない『葉っぱの生物』が繰り出す意味不明な奇怪な行動……」


 それは実際にやってみた事で初めてわかること。

 揺るぐことのない結果という名の真実です。


「……それに対してキミが下手に動く事をしないのは『いつ何があるかわからない』からで、キミが今『慎重』の一手を選択しているからだ。だから、キミのペースは間違いなく僕達に合わせるかたちで時を刻んでいる」


 そうする事で更にそこに生み出されていくストーリー、新しい仮説。

 くろうさぎさんは確かな手応えを感じていました。


 そしてそれからも一人と一匹は同じようにトロールを威嚇し続けます。くろうさぎさんは自慢の跳躍力を活かしトロールの眼前を一瞬で横切ると、アナスタシアはその剣を勢いよく鞘から抜きその『音』で自身の存在を意識づけます。


 ──ぴょーーん。


「フウゥウッ!?」


 ──スィン。


「グフフゥウッ!!」


 …………


「ンヌウウゥウウウッ!!」


 ──ダンダンダン!!


 その場で大きな棍棒を振り回しながら唸り声を上げ地面を激しく踏みつけるトロール。思わせぶりな素振りだけで一向に向かってこない相手に対してへの彼のフラストレーションは限界を迎えるとそれは彼自身の行動に反映されるのでした。ですが一人と一匹はまだ動きません。くろうさぎさんは更に考えを深めると目を閉じてトロール自身の気持ちを想像します。


「トロール。キミはいつ襲われるかわからないこの状況で唸り声を上げ激しく威嚇はしても自ら動き出さないのは何故だろうね? その問いに、それも『慎重』が故の行動かと答えれば、それはきっと違う。今のキミにとっては『慎重』よりも『ストレス』の方がきっと邪魔な存在な筈だからね……だから、この長い時間で動きのないこの状況に積み重ねられた『ストレス』、そのもどかしさを取り除く方法があるならこの現状を打破するしか他にない」


 くろうさぎさんは目を開けると再び目の前で苛立ちを露わにするトロールを見て言いました。


「だけどキミはそれをしない。この状況を変える為にはもう自分から動き出さなければいけないと頭ではきっと理解しているのに、それをキミはしないんだ……何故だろう? ……きっとそれはしたくないからだ。だから、その苛立ちを体で現す他にすべがない……キミの中にある僕達に対する『恐れ』と『畏れ』が、キミの心の根底にある『臆病』と引かれ合ってかたちになった証拠だ」


 そこに描き出すストーリー。くろうさぎさんの思い描くその解釈。それは自身に都合の良いように結び付けられたストーリーのようでもありましたが、それでもそのストーリーを否定するだけの材料が見えないこの状況に自信は確信へと変わっていきます。


「……うん。キミの警戒心はキミの強みで、だから弱点だ」


 そうして再び繰り返されるストレス作戦。放り投げる松ぼっくりは次第にその距離感を詰めていきます。松ぼっくりに反応はすれどその反応速度を明らかに鈍らせていくトロール。そんなトロールの姿を反対側で見ていたアナスタシアは一人静かに呟きます。


「こんな戦い方もあるんだな……」


 アナスタシアはこれまでの戦いを思い浮かべながら今ある現状を見つめます。今までも一人と一匹、手を取り合って戦ってきた中でただ一つ今日という日に初めて体験した事。それが彼女にとってはとても新鮮でとても魅力的に映ります。


「……剣は振るうだけが使い方じゃない、か」


 アナスタシアがこの作戦を行うにあたってくろうさぎさんから言われた事、それは剣を振るわない剣の使い方でした。月明かりを反射させて注意を引いたり、剣を抜く音だけでその存在を示したりと、振るわない剣の使い方がそこにはあったのでした。そしてその作戦はものの見事にその効果を発揮するとアナスタシアは自身とくろうさぎさんという存在を重ねて想います。


「……どうしてかな、私とキミ。こんなにも見てるものが違うのは……同じ場所にいる筈なのに見てる景色はまるで違う……ぶつかり合うだけが戦い方じゃない。戦わずして戦うこともまた私達は出来るんだな……」


 アナスタシアは戦いの頭上に広がる夜空を見上げて呟きました。


「……月明かり、今夜はよく星の見える綺麗な空だ……」


 そしてそんな月明かりの綺麗な夜も終わりを迎え。

 誰時たれときの朝焼けが空を優しく染める頃。

 ついにその瞬間は一人と一匹の前にやって来のでした。


 ──スィン。


 アナスタシアが再び鞘から剣を抜くとその音に即座に反応するトロール。


 その瞬間。

 反対側から放り投げられた松ぼっくり。

 緩やかな放物線を描きながら落下するそれは。

 トロールの警戒網をすり抜けた先で。

 遂に彼の頭へと命中したのでした。


 ──コツン。

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