【第三話】 その奥にあるもの。

 ──空の色が綺麗な茜色に染まる頃。


 最後の標的を目指し森の奥へと進む一人と一匹は、その道中、幾度か野生のモンスター達と遭遇しながらもいつもの如く戦闘を避けながら目的地を目指していました。次第にモンスター達の気配は鳴りを潜ませると森の雰囲気は異様な空気に包まれ始めます。


「やけに静かで気味が悪いな……」

「そうだね。恐らくここはもう彼のテリトリーの範囲内……気は抜けないね」

「ああ……そうだな」


 そうして更に森の奥へと進んで行く一人と一匹の前に遂に彼は姿を現します。


「……クロエ、いた、アイツがそうだろう?」


 茂みに身を隠し小声で呟くアナスタシアにくろうさぎさんは手元の依頼書を確認し答えました。


「うん。そうだね。彼で間違いないみたいだ」


 そこにいたのは灰色のボロ布切れを身体に纏った巨大なゴブリンの姿にも似た一匹の巨体なトロールです。その緑色の顔や布切れから見える地肌に多くの傷痕を持った彼は沢山の大きな骨付き肉を一匹貪り食しているところでした。


「……傷だらけのトロール……やはり今も周囲に他のモンスターの気配は感じられないな」

「そうだね。ここに来る途中からずっとそうだった……もしかしたらそれは彼の力のあらわれなのかもしれないね。強さ故からの群れをなさない単独行動……」

「自分は特別……か」

「アナスタシア、落ち着いているね」

「ああ、クロエのお陰様だよ。先程までとは違う。勢い任せに飛び出していないのがその証拠かな」

「うん。そうやって肝心な時に合わせてくるのがアナスタシアだから僕は好きだよ。今のキミなら大丈夫そうだね。それじゃあ、少しここで一緒に考えよう」

「ああ、わかった」


 先程『無謀を取る』と決めた一人と一匹でしたが、その作戦の持つ真意、『いつも通り力を発揮する』という意味を理解した上でのアナスタシアの行動は逆に慎重になる。ここに来てアナスタシアとくろうさぎさんは自然とその方向性を合致させます。


 すると、そんな一人と一匹が見守る中、森の中に風が吹き込み草木を静かに揺らしました。


 ──ヒューー……ガサガサ……。


「……グフ?」


 風に吹かれ草むらが揺れるとトロールはその音に即座に反応し、手を止め、骨付き肉を口に咥えたまま大きな棍棒に手を当てます。その様子を見ていた一人と一匹はその状況から出来る限りの予測を立てます。


「酷く警戒心の強いトロールだな……」

「うん……トロールにしては珍しくとても繊細な行動だね」

「……何かに怯えている?」

「か、もしくは、身構えているか、だね」

「……身構えて?」

「うん。そう。これを見て」


 くろうさぎさんはクエスト依頼書を取り出すとアナスタシアの方に向けます。


「……クエスト依頼書? それがどうかしたのか?」

「うん。よく見て。このクエスト依頼書と今目の前にいる彼。その容姿に何か違いがあるとは思わないかい?」


 アナスタシアはもう一度よくクエスト依頼書に目を向けるとそこにある違いに気がつきます。


「……傷が、全くない?」

「そう、傷がない。たったそれだけの事だけれどその違いの持つ意味はとても大きいと思うよ。それに……」


 更にくろうさぎさんはクエスト依頼書の下部に記されている数字部分を指差します。


「……日付け?」

「うん。日付け。このクエスト依頼書の発行された日から今日まで結構な日にちが経っている。それにも関わらず彼はクエスト依頼書の示す場所から寸分の狂いもない場所に今も留まっている。彼はずっとこの場所に居たんだよ」

「……つまりは、その依頼書が発行されてからトロールは数々の冒険者達とここで戦って来た」

「そして、ことごとくそれに勝利して来たという証、だね」


 その事実にアナスタシアは眉を顰めます。


「アナスタシア、だから彼はもう気づいているんだと思う」

「……気づいて?」

「うん。自分が冒険者達の標的になっていると既にわかっているんだ」

「なるほど……だから、身構えている、か。執拗なまでに周りを警戒しているのも冒険者達からの奇襲を考えての行動……確かにな。アイツのいる場所を中心に円を描くようにぽっかりと広がった見晴らしの良い地形といい、ここがアイツの力をもっとも引き出せる『場所』ということか……」


 アナスタシアは考えます。これまで数多くの冒険者達を返り討ちにして来たであろうトロール、『違和感』を目の前にどう立ち向かえば良いかを模索します。


「……なぁ、クロエ……」

「なんだい、アナスタシア?」

「この状況は逆に好機、とは言えないのだろうか?」

「ん? それは一体どういうことだい?」


 その言葉にアナスタシアは顔の力を抜くとくろうさぎさんを見つめます。

 一人じゃ無理でも二人でなら出来る事がある。

 そこに生まれる無限の可能性。

 一足す一は時に二という答え以上の意味を持つ。

 アナスタシアは今隣りにいるくろうさぎさんに頼る事でこの状況に活路を見出します。


「……クロエ、今この状況で私達が勝っているものは何だろう……?」

「勝っているもの? ……それは……情報量、かい? 僕達は彼を視界に収めていて、彼はその事にまだ気づいていない。それに僕は彼の行動的特徴、警戒心が極めて強いトロールだという事を知っている」

「ああ、あとは単純に数的優位だと私は思う」

「数的優位……?」

「そう。ここには私とキミ、一人と一匹が居る。相手は一匹、この状況を逃す手はないと思う」

「う、うん。それは、確かにその通りだとは思うけれど……」

「それならこの状況が変わる前に行動を起こすのが最善の一手だとは思わないか?」

「ア、アナスタシア? キミは何を考え……」

「数多くの冒険者達と戦い勝って来た歴戦の強者で警戒心の強いトロール。そんな彼に小手先の作戦など立ててもやはり通用しそうにもない。立てるならしっかりとした作戦が必要だ。で、あるならば、大切なのは如何に今ここにある優位な状態を維持したままそれを崩さずに活かし戦えるか。もうすぐ辺りは夜に包まれる。それまでがアイツをよく観察出来るチャンスだ。だから、クロエ、今ここにあるこの『時間』を生かす事が私達にとっての最大の好機だと私は思う……じゃあ後は、キミに任せた、行ってくる」


 ──スィン。


 剣を抜くと有無を言わせず茂みから飛び出しトロールへと向かって一直線に駆け出すアナスタシア。

 彼女の出した答えは『思考』ではなく『行動』の一手。

 今優位にあるこの状況と時間を最大限に活かすという作戦だったのでした。


「グフ? ングヌーー!!」


 ──ガギンッ!!


「……っく、流石にそんなに甘くはないようだ」


 不意の一撃を狙ったアナスタシアの攻撃でしたが警戒心の強いトロールはその気配に気づくと即座に大きな棍棒を手に取り対抗します。しっかりと自身の存在を認識したトロールを目の前にアナスタシアは無闇に飛び込む事はせず一定の距離を保ちつつ牽制し、機を伺います。


「……アナスタシア、キミってやつは。でも、あながちその答えは間違いじゃないかもね。『時間』こそ最高に価値あるもの、か。わかったよ……夕焼けが夕闇に変わるまでの間に僕はここに隠れたままそれを見つけ出せば良いんだね。キミはキミの、僕は僕の出来る事をする……」


 そしてくろうさぎさんはもう一度辺りを見渡し状況を整理します。

 今ここにある現状。

 アナスタシアが動いたからこそ見えて来る相手の特徴。

 それを踏まえた上で導き出される可能性をそこで模索するのでした。

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