第7話 立つ人跡を濁さぬように


「ありがとねトキヒサちゃん。お陰で荷物がすっかり片付いたわ」


 金貨七十三枚と銀貨五十枚。合わせて七十三万五千デンを二人でやっと袋に詰め終わる。最初は牢屋とは思えぬくらい飾られていたここも、俺の牢と同じく実にサッパリだ。広さはまだ上だが。


「半端な残りはどうします?」

「そうねぇ。……それはトキヒサちゃんのお駄賃としてあげる。これくらいなら良いでしょ」

「まだ多いですけど……有難く頂きます」


 八百十デンはお駄賃と呼ぶにはやや額が大きいが、元が凄いから大したことないような気もする。また譲り合いになるのも疲れるので貰っておこう。その内何かお礼をしないと。


「フフッ。それでトキヒサちゃん。あなたはこれからどうするのん?」

「幸い金を頂きましたから、これでディラン看守に掛け合ってもらうよう頼むつもりです」


 今の所持金は、イザスタさんから貰った分を含めて三千三百二十四デン。日本円にして三万円弱だ。


 これでディラン看守に頼むとして、理想は俺が無罪(不法侵入はまだ受け入れても良いが)で出所すること。だが確約は出来ないと言っていたし、何故俺がこんな扱いをされるのかもひっかかる。


「なるほどね。でも看守ちゃんが失敗したらそのまま特別房じゃな~い? その場合はどうするの?」

「それは……」


 そうなったら脱走も考えないと。いくらなんでも無実の罪で捕まるのは嫌だし、時間も一年という制限があるのだ。場合によっては取り上げられた荷物を持ってきてもらって壁に穴を開けるとか。


「壁に穴を開けようとか考えているなら、やめといた方が良いわよん。この子達が黙っていないもの」


 俺の考えを読んだかのようにイザスタさんは言う。この子? 彼女の視線の先には、


「この子って……ウォールスライム?」


 視線の先にいたのは、牢の壁に擬態していたウォールスライムだった。……ウォールスライムだよね? 見た目壁と変わらないからイマイチ分かりづらいが。


「ねぇトキヒサちゃん。ここはやけに看守が少ないな~って思ったことない?」

「そう言えば……ここに来て四日になるのに、ほとんどディラン看守以外の看守には会っていない」


 強いて言えば、最初にここに来た時に荷物検査をした衛兵と、取り調べ室に行く途中にいた衛兵くらいだが、よくよく考えてみるとそれはおかしい。


 この牢獄は広く部屋数も多い。最大収監人数は知らないが、当然それにあった人数の看守も必要になる。今は人数が少ないからという可能性もあるが、それにしても同じ人が連日勤務というのは不自然だ。見回りも一人では大変だし。


「あの看守ちゃんは実質ここが家みたいなものらしいから。配給や依頼された荷物を運ぶだけなら一人でも可能だし、見回りもあんまり必要ないのよん。だってこの子達が見張ってるんだもの」

「……話が見えてきた。このウォールスライムが本当の看守ってことか」


 こいつらは俺の牢にもイザスタさんの牢にもいた。つまり全ての牢に居て、囚人が何かやろうとする(例えば牢を壊すなど)と襲いかかるといった所か。


「そういうこと。逃げようとしたらいきなり壁が襲いかかってくるなんて怖いわよねぇ。もっとも、殺さずに捕らえるよう指示されているから死にはしないでしょうけど」


 確かに想像すると恐ろしい。逃げ場がない上に普通は気がつかないので完全な不意打ちだ。


「……ちょっと待ってください。何でイザスタさんはそんなことを知ってるんですか? まさか実際に襲われたとか!? それともディラン看守に金を払って教えてもらったんですか?」

「何でって、普通にこの子に聞いただけよ。アタシのスキルでね」


 スキルとはその人の持つ特殊技能のことを指す。イザスタさんと昨日食事をした時に話題にあがったのだが、特定の行動を長くし続けると稀に発現することがあるという。


 大抵は元々出来ていたことが更に上手くなるぐらいだが、時々それ以外の物が発現することもあるらしい。ちなみに加護とは別物で、基本的に加護は先天的、スキルは後天的な物だと言う。


「聞いたってスライムにですか? 本当に?」

「ホントホント。あんまり細かい意思疏通は出来ないけど、ニュアンスは分かるわよん。トキヒサちゃんのこともこの子が教えてくれたの。隣の牢で何かしてるよってね」


 そこでイザスタさんは言葉を切ると、壁に擬態していたウォールスライムに手を伸ばした。そのままそっと触れ、目を閉じて動きを止める。


「…………んっ」


 時間にして数秒程度だったろうか。目を開けると、「この子お腹が空いたって。何か食べ物でもあげたら?」と言い出した。


 今まで動かなかったスライムが、このタイミングで食べ物を食べるのだろうか? 俺は半信半疑ながらも貯金箱を操作し、これまで換金した物の一覧からパンを選択。先ほど二デンで換金したので、手数料(額の一割。十九デン以下の物は一律で一デン)を加えて三デンで買い戻す。


 イザスタさんが横で「へぇ~。ホントに戻せるのねぇ」と驚いている。そう言えば物を金に換える所だけしか見せてなかったな。


「……ほらっ。食うか?」


 パンを小さくちぎり、手に乗せてスライムに差し出す。……待てよ。うっかり手ごと食べられたらマズいな。慌てて引っ込めようとした瞬間、


 グニャリ。


 スライムが急に動き出して俺の手に身体を伸ばしてきた。そのままパンだけを巻き込むと、またすぐに壁に擬態して動きを止める。しかしよく見ると、中心の辺りで何か蠢いていた。消化中らしい。


「ねっ。言ったでしょう。お腹が空いてるって」


 クスリとこちらを見て微笑むイザスタさん。どうやらスライムの言葉が分かるのは本当らしい。つまり彼女が聞いた、スライム達こそが真の看守ということも真実。脱走がより難しくなった。


 これはいよいよディラン看守に全てを託すしかないか。そんな考えが頭をよぎり始めた時、イザスタさんは急に真剣な顔をして俺に告げた。


「ねぇ。トキヒサちゃん。もしこれからの予定が決まっていないなら………………アタシと一緒に行かない?」





 これは、この異世界に来ておそらく最初の分岐点。ふいにそんな感じがした。





「一緒に行くって……」

「看守ちゃんの待遇表を覚えてる? 出所は方法により金額は応相談ってあったわよね。あれでトキヒサちゃんを堂々と出所させるわ」

「ちょ、ちょっと待ってください。あれは確か一日釈放だけで一万デンが必要なはずです。出所となったらどのくらいの額になるか」

「そうねぇ。少なく見積もって五十万デンくらいかしら。方法によってはもっといくかも」

「五十万デン……」


 日本円にして五百万。紛れもなく大金だ。とても払いきれない。一年で一千万デンを稼ぐのはまだやりようがありそうだが、こっちは数日で五十万デン。こっちの方が難しい気がする。


「アタシが立て替えるわ。トキヒサちゃんがアタシと一緒に来てくれるなら……ねっ!」

「……質問しても良いですか?」

「良いわよ。どうぞどうぞ。ただし、次に看守ちゃんが来るまでに結論を出してくれると助かるわぁ」


 イザスタさんは座ったままテーブルに肘を置いて頬杖をつく。かなりくつろいだ体勢だ。


「じゃあまず、何で俺を誘うんですか? 仮に五十万デン出してもらっても返せるかどうか」


 まずはこれ。相手の目的が分からないのに適当に流れに身を任せると大抵後悔する。“相棒”に何度も言われていることだ。


「う~ん。加護持ちだし、見た目や性格も好みだし、貴方のことが気に入ったからじゃダメ?」

「それでも良いんですが……やっぱダメです」


 間違いではないのだろう。少なくとも嫌ってはいないと思う。だが理由はおそらくそれだけじゃない。イザスタさんは少し目を閉じて考え込むと、やがてふぅ~と小さく溜め息をついて立ち上がった。


「まぁ秘密は女のアクセサリーとは言え、秘密ばかりじゃ信じてもらえないわよねん」


 そのまま彼女は周囲に目を走らせると、「少し周りを見張っててね」と言ってスライムを軽くポンッと叩いた。するとスライムはずるずると牢の入口に移動する。完全に手懐けてる。


 そして、


「ねぇ。トキヒサちゃん。トキヒサちゃんは『勇者』だったりする?」


 いきなり俺の手を両手で握りしめてそんなことを聞いてきた。


 なんだなんだ!? いきなり手なんか握っちゃって!? イザスタさんは結構な美人だから、急に手を握られて胸が高鳴る。


 いや待て。そうじゃない。召喚に割り込んだという意味では俺も勇者と言えないこともないが、実際はおもいっきし遅刻してるしなぁ。それに全く別の何かかも知れないしどう答えたら良いのやら。


「イ、イザスタさん!? 一体何を!?」

「……その反応。やっぱり無関係って訳じゃないみたいね」


 俺が押し黙ると、イザスタさんはにんまりと悪戯っぽく笑った。この人絶対こういうこと慣れてると思う。これまで何人の男心を弄んできたというのか?


「あの……スイマセン。『勇者』っていうのがよく分からなくて、そこから教えてくれませんか?」

「良いわよん。突然こんなこと言われて困惑してるでしょうし、何でそう思ったかも含めて一つ一つお話ししましょうか!」





 そう言って悠然と微笑むイザスタさんの姿は、どこか獲物を追い詰める狩人のようにも見えた。

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