43. 魔女のはらわた
アルバートは「他の部屋と同じだろう」と早々に決めつけたが、リンデは慎重に部屋を歩き回り、本棚の前で立ち止まった。彼女は適当に本を取ってぱらぱらとページを繰ってから、しゃがみ込んで床をじっと見つめる。
「たしかに……エルの言うとおりかもしれません」
立ち上がると、本棚の端に手をかけてこちらを振り返った。
「これを動かしたいのですが、手伝っていただけますか?」
棚は見た目よりもずっと軽く、簡単に移動させることができた。そうして現れた本棚の後ろの壁は、他の内装とは大きく趣が異なっていた。
「なんだよ、これ」
その部分だけ銀色の金属のような材質で作られていて、表面には大きく図形が彫り込まれている。円と直線だけで描かれた単純な図形で、中央にある大きな円の上から等間隔に八本の線が外に向かって伸びていた。長い線と短い線が交互に配置されていて、それぞれの先端が折れ曲がって鍵のような形になっている。
「これは――」
リンデは驚いたように目を見張り、金属の壁を見つめた。
「これがなにか、知ってるのか」
そう問いかけたエルに、リンデは曖昧な答えを返した。
「知っているわけではありませんが……ですが、もしかするとこれは当たりかもしれません」
「当たり?」
「わたしの探しているものが……ブレースがこの先にあるかもしれない」
彼女は金属の壁の右端に手を伸ばすと、縦長の長方形に盛り上がっている部分にぴたりと手を当てた。そのままじっとしていたが、やがて壁の模様が淡く、青く光り始めた。次第に光は目が眩むほど強くなり、やがて弾けるようにして部屋中を青く染めた。
直後、壁に変化が起こった。ガタンという音とともに金属部分がこちらへ浮き出し、重々しく奥へと開いた。壁の裏には空間があって、入ってすぐのところに下へと続く急な階段がある。あまりにも突飛な展開に言葉を無くしているエルとアルバートとは対照的に、リンデは奥を覗き込み、階段や内部の壁を調べはじめた。
まもなく、アイクたちが部屋に入ってきた。念入りに調べ続けているリンデの代わりに、エルが起こったことを説明した。
「隠し部屋とか、いよいよおとぎ話じみてきたな」
話を聞いたジャッキーが冗談めかして言った。
「わたしも信じられません。まさかこのような廃墟に、こんなものが隠されているなんて」
リンデは振り返り、少年たちを見まわした。
「ここから先、なにが待ち受けているのか予想がつきません。できればここで――」
「待っていろ、なんて言わないでくれよ」
エルは昨夜の森でのやり取りを思い出しながら、先回りして言った。
「君が危ないと判断したら、俺たちはすぐに引き返す」
他の少年たち――ロビィを除いて――もエルと同じ気持ちだったらしく、それぞれに同意を示した。彼女はなにか言いかけたが、彼らが譲らないことを察して諦めたようだ。
「分かりました。では、注意しながら進みましょう」
階段は屋敷の中よりもずっと暗かったが、それも最初だけだった。先頭を歩くリンデが数段下りたところで、ふいに足元に明かりが灯った。左右の壁の下部に小さな電球が付いているらしく、彼女が進むごとに明かりが順に点灯していくのだ。彼女の話によれば人の動きを感知して自動的に明かり点くということだったが、エルたちはそんな不思議な電球の話など今まで一度も聞いたことがなかった。
二十段ほどの階段を下り終えると、そこは半円形の広いスペースになっていた。壁面は入り口のものと同様に金属でできていて、正面にはドアのようなものがあったが、どこにも取っ手らしきものが付いていない。きょろきょろと周囲を見まわしている少年たちをよそに、リンデは正面のドアのほうへ近づいていった。すると、ぬるいソーダの瓶から気が抜ける時のような音を立てて、ひとりでにドアが横滑りして開いた。
「わっ、開いた!」
ロビィが驚きの声を上げる。
「誰か……そこにいるのか」
リンデ以外の全員が身構えたが、そうではありません、とリンデはドアの中へ一歩踏み入った。少し遅れて奥の空間にも明かりが灯り、白い通路が現れた。
「誰もいませんよ。こうして近づくと、勝手に開いてくれるんです。こういったものは、サントークにはありませんか」
アルバートが勢い込んで答えた。
「あるわけない。近づくだけで勝手にドアが開くなんて、そんなのドアの意味がないだろう」
リンデはアルバートの正論になぜだか苦笑いを返すと、通路を奥へと進みはじめた。エルたちもあとに続いた。
奇妙な空間だった。幅広の白い通路で、天井や壁などもすべて白で統一されている。床は歩いても足音が鳴らず、靴裏に奇妙な反発感がある素材で作られていた。人の気配は全く感じられず、息苦しいほどの静寂に包まれている。通路は十メートルほど真っすぐに伸びていて、突き当りから左手へ折れている。通路の途中には先ほどと同様のドアがひとつだけあった。
ドアの方は後回しにして、先に通路の奥を確認することになった。左手に折れる通路はすぐに行き止まりになっていた。だがそこは今までのような白い壁ではなく、細長い金属を横向きに何十枚も積み重ねたような、不思議な構造の壁になっていた。リンデはそれをシャッターと呼んだ。
「ここにもあの模様があるね」
フレディが言ったとおり、屋敷の本棚の裏にあったドアと同じ模様が中央に大きく描かれていた。
「きっと、『危険だ』って意味なんだよ。大きな目の怪物が中にいるとかさ」
そう怯えた声で言うロビィをからかうことはできなかった。誰もが緊張しているのは明らかで、普段ならすぐにロビィを茶化すジャッキーも今は黙っていた。
エルはスカーの向こうで襲い掛かってきたグロテスクな敵のことを思い出していた。リンデは整備用クラスタと呼んでいたが、エルたちにとってあれは紛れもなく怪物であった。もしあれがこの先にいるのだとしたら――そう考えると、エルの不安は急速に高まっていった。
「これ、なんだろう」
アルバートのそばの壁に、三十センチ四方ほどのパネルが埋め込まれていた。リンデがそれに触れると表面が光り、いくつかの文字が浮かび上がった。
「これはおそらく、このシャッターを動かすためのコンソールです。これを操作すれば――いえ、その前に先ほどの部屋を調べてしまいましょう」
それに従って彼らは通路を戻り始めたが、アイクだけはその場に佇んだままシャッターを見つめていた。
「なぁエル、これに似たものをどこかで見たことないか」
「どうだろう。アイクはなにか心当たりがあるのか」
「分からない。でも……なにか思い出せそうな気がするんだ」
眺めながらもう少しだけ考えてみる、というアイクをその場に残してエルはみんなに合流した。
「アイクはどうしました?」
「すぐにくる。先に中を調べよう」
「一人にするのは心配ですが……分かりました。入りましょう」
今度のドアは近づいただけでは開かなかった。ドアの右側に長方形に盛り上がっている部分があって、最初のドアのときのように手を当てなければ開かないようだった。手を伸ばしかけたリンデを、アルバートが止めた。
「俺が開けるよ」
彼はリンデの押しのけると、恐る恐るといった手つきでそっとドアに触れた。だが、しばらく待ってみても一向にドアは応えなかった。
「ちょっと、いいですか」
リンデがアルバートと代わったが、やはり開かなかった。
「壊れているのかもしれませんね。とても破壊できそうにはありませんし……ここは諦めましょう」
ふたたびシャッターのほうを調べようと通路を歩き始めたところで、ちょうどアイクが戻ってきた。エルはドアが開かなかったことを話してから、あの模様のことを思い出せたか聞いてみたが、アイクはゆるく首を振った。
「後でもう一度じっくり考えてみるつもりだ。なにか思い出したらお前にも話すよ」
シャッターまで来るとリンデはパネルの前に立ち、人差し指で枠内を触りはじめた。彼女が触れるたびに、パネルに浮かび上がる文字が次々に変化していく。
「不思議なものばかりだね。こんなものがあるなんて今まで想像もしたことなかった」
フレディがエルの耳元で囁いた。
「こうしていると、リンデが僕らとは違う人間なんだってことを実感しちゃうな」
たしかに彼女は自分たちが知らないことを多く知っている。だがエルには、彼女が自分とは違う人間だとは思えなかった。
キャッチボールをして笑い、母のハムエッグバーガーを食べて喜び、シャワーを浴びたことに感動して、少し泣いたと彼女は言った。使命だとか任務だとかいう難しいことさえ背負っていなければ、きっと彼女はどこにでもいる普通の女の子なのだとエルは思った。
「ダメですね、動作しません」
彼女はパネルから離れ、小さく息をついた。
「内部のプログラムが壊れてしまっているようです」
「よく分からないけど、それって直せないのか」
問いかけたエルに、わたしには直せません、と彼女は断言した。
「もう調べるところはありませんね。上へ戻りましょうか」
「やった、さっさと出よう!」
ロビィは歓声を上げると、一人で通路を駆けだした。
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