道.1

「進路か……」


 進路希望調査票と大きく書かれた紙を見つめながらため息をつく。

 私は昔からそういう欲がなかった。ああしたい、こうしたいと思ったり、なにか目標を持ったり、これまでの人生そういう願望とは無縁に等しかった。

 遥香ちゃんに対する憧れだって、遥香ちゃんみたいになりたい訳じゃない。自分ではどうしたって遥香ちゃんみたいに出来ないけど、全てが理想で。

 あんな風に出来るのが正解だけど、だからといってそうしたいとは思わない。私にとって遥香ちゃんは、いつまでも理想のまま。


 進路希望調査票を片手に固まる私に、雪穂は心配そうに呟く。


「菜瑠美ちゃん、やっぱりまだ決まってなさそうだね……」


 そんな雪穂とは対照的に、沙綾は腕組みをしながら言った。


「取り敢えず、進学なら目星くらいつけておいた方がいいんじゃない?それ次第で今の勉強量も変わってくるでしょ」


「でも、本当になんの目標もないんだよね……」


 再度ため息をつくと、また紙とにらめっこを始める。沙綾は既に大学で深く学びたいことがあって、どこに行きたいかも決まっているらしい。雪穂は塾に通って、県外の有名な女子大を目指している。

 私が何も決まらない間にも、みんな進んでいる。焦る気持ちはあっても、どうしても書けるほどの希望は見つからなかった。



  放課後になり、いつものように咲良のクラスまで行くと、咲良の隣には見慣れない子が立っていた。私の視線に気づいたその子は、きっちりとした動作で会釈をする。


「あ、どうも。私、西ノ宮さんの友達の美澄理果みすみりかです」


「ど、どうも……」


 少し驚きながらも会釈を返すと、美澄さんは慌てて付け足した。


「あ、西ノ宮さんとはお互い名字で呼び合ってますけど、ちゃんと友達ですよ」


 それだけで友達じゃないなんて疑ったりしないのにな……と思いながらも、自分も名乗ろうとする。


「私は東条――」


「東条菜瑠美さんですよね。いつも西ノ宮さんから話は聞いてます」


 言い終わるより先に言われてしまった。眼鏡の奥のつぶらな瞳がじっと私をみつめる。まるで品定めされているような感覚がして、少し居心地が悪い。

 咲良は一体、私のどんな話を美澄さんにしてるんだろう。気になりながらも、改めて並ぶ二人を見る。

 咲良にも私の他に友達がいるのは当たり前のことで。それなのに、なんだか急に遠くへ行ってしまったような、そんな気持ちになるのは何故なんだろう。沙綾や雪穂で同じ状況になっても、こんな風には思わないのに。

 内心戸惑っていると、美澄さんは何かを察したように私を見た。


「私西ノ宮さんとは帰る方向逆で、いるのは校門までなので安心してください。今日は急遽美術部が休みになったので、西ノ宮さんに東条さんをこの目で見てみたいと言ったら、今こうなってます」


 早口に言い終わると、また私をじっと見つめる。目を逸らすのも悪い気がするし、でもそろそろ美澄さんからの視線に耐えられない……そう思っていると、


「帰ろう」


 咲良はそんな私達を置いてゆっくりと歩き出した。

 私と美澄さんは慌ててその背を追いかける。咲良が先に行ってしまったため、狭い廊下では必然的に私と美澄さんが隣に並ぶ形になった。

 放課後のざわざわとしている中、咲良に聞こえない程度の声で、


「西ノ宮さんをよろしくお願いしますね」


 美澄さんがその言葉をどういう真意で言ったかは分からない。でも、何かを認められたような、そんな気がした。


「うん、もちろん」


 任せて、と言わんばかりに大きくうなずくと美澄さんはそこで初めて微かに笑った。

 校門を出ると美澄さんは手を几帳面に振ってから、


「それではごゆっくり」


と、まるで何かの支配人かのような仕草で言い、そのまま背を向けて歩いていった。

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