不思議な子

 着いた先は一軒家で、表札には「西ノ宮にしのみや」、そう書かれている。

 玄関の屋根があるところまで辿り着くと、「じゃあ」と言って格好つけながら去ろうとした。すると、ドアの閉まる音がしたと思ったら、追いかけてきた彼女に服の裾をくいっと引っ張られる。


「雨宿り、してった方が良いよ」


 真摯な瞳に見つめられ、お言葉に甘えて家にあがらせてもらうことにした。

 彼女はぱたぱたとタオルを持ってくると、それぞれ私とたろまるにあてがう。タオルはとてもふかふかで、使わせてもらうのが申し訳なくなるほどだった。


 思っていた以上に服も髪もずぶ濡れで、「温まって」と、お風呂場まで背を押される。躊躇いながらもシャワーだけ借りると、彼女のものだろう清潔感のある部屋着が用意されていた。何故かどぎまぎしながらも着替え終えると、彼女の部屋に案内される。

 想像していたのとは対照的な、きちんと整頓された生活感のない部屋だった。

 ぽつんと置かれたテーブルの周りに、淡いブルーのクッションが二つ。その一つに私を座らせて、もう片方はたろまるに座らせる。そして彼女は、白い無地のカーペットが敷かれた床にそのまま座った。


 雨は窓をたたきつけるように、依然として降っている。


「あなたの名前、教えて」


 甘くて、耳心地の良い彼女の声が静かな部屋に響く。


東条とうじょう菜瑠美なるみ。あなたは……?」


西ノ宮咲良にしのみやさくら。さくらの漢字は、春の桜の方じゃないよ」


 彼女……咲良がそう言い終わると同時に、たろまるは彼女の膝に飛び乗った。そして、自分の定位置だと言わんばかりに丸くなって、そのまま微動だにしない。


「その子……たろまる、だっけ?よっぽど西ノ宮さんのこと気に入ったんだね」


「咲良でいいよ」


 微笑みながら見つめられ、妙に緊張してしまう。


「私も、名前で良いよ」


 少しの沈黙の後、


「菜瑠美」


 咲良の静かな甘い声が、私の名を呼ぶ。それだけで、何故だか満たされた気持ちになった。


 そんな私の頭を現実に引き戻すように、たろまるが鳴く。


 冷静になろうと、咲良が用意してくれた温かい紅茶を口に含んだ。なんだか……初めてかもしれない、こんな感覚になるのは。


 もう一度咲良の方を見ると、微笑み見つめ返される。シャワーを借りて温まったときよりも、全身が熱い。


「そ、そろそろ乾いたかな……」


 声がうわずりながらも、咲良が干してくれた制服を見に行こうとする。


「まだ雨も降ってるし、もう少し後でもいいんじゃないかな」


 咲良のその一言で、立ち上がりかけていたのを辞め、もう一度クッションに腰を下ろした。たろまるは相変わらず咲良の膝から動かない。


「その、ご両親は……?」


 話題が見つからず、さっきから気になっていたことを口にする。私の家はお母さんが専業主婦で帰るといつも迎えてくれる。だから、咲良の家のなんとも言えない静けさが異様に感じられた。


「お父さんはお仕事中。お母さんは……空から見守ってくれてるよ」


 聞くべきではなかったことを聞いてしまった。瞬時にそう思い、慌てて謝る。


「ご、ごめん……余計なこと聞いちゃって」


 配慮の足らない自分に嫌気が差す。

 俯く私に、咲良はのんびりとした口調で言った。


「連絡先、交換しよ?」


「えっ……あ、うん」


 まさか咲良の方から言われるとは思わなくて驚いてしまう。緊張しながらもそれぞれスマホを取り出し、無事交換を済ませた。咲良のアイコンは、満開の桜だった。


「良かった。菜瑠美にまた会いたかったから」


 スマホを両手で持ち、嬉しそうに微笑む咲良。まるで花が咲いたようで、目が離せなくなる。


「制服同じだし、咲良も清女なんだよね?」


「うん」


「だったら……多分また、すぐに会えるね」


 清女……清華せいか女子高校は学年ごとにリボンの色が違う。私と咲良のリボンは、同じ檸檬色だった。


 きづけば、雨の音も静かになり、咲良の膝上で丸くなっていたたろまるも暢気にあくびをしている。


「……そろそろ帰るね」


「うん、また会おうね」


 私が立ち上がると、まるで約束をするように咲良は言った。


 制服が乾くまでと着せてもらっていた咲良の部屋着。洗って返そうと思ったのに、やんわりと断られる。すっかり乾いた制服に袖を通し、玄関前でたろまるを腕に抱く咲良に見送られ、私は家へと帰った。

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