最後の種子は未来に花開くか

 未来人セレクト・ユア・ファイナル・ディシジョン巳螺野龍哉みらのたつやが何事かを呟く。すると、急に高梨たかなし日葵ひまりうずくった。腹痛に襲われているのだろうか。

 漁り猫チャコール・グレイ・フォルクローレ来海沢くるみざわ撫子なでしこは同じように腹を押さえながら、その様子を忸怩たる思いで眺めていた。


「日葵め、巳螺野の術中に嵌っちゃってるんじゃないの」


 巳螺野の技を何度も間近に見て、実際に自分も喰らっている。その上で、撫子はそのからくりにはようやく気づくことができていた。しかし、それを伝えられなかったのだ歯痒い。今の今まで、あまりの満腹感と腹痛と口内の痛みにより、ろくにしゃべることもできなかったのだ。だが、しばらくジッとしていることでどうにか回復しつつあった。

 未来人セレクト・ユア・ファイナル・ディシジョンの二つ名が意味するとおり、予言の言葉を投げかける。そして、それは的中する。とはいえ、実際に未来を見てきたはずがない。それは催眠術のようなものだろう。肝心なのは何を契機にして、それを仕掛けているかだが……。


 そんな場合ではない。


「日葵、そんなの気のせいよ! 意識を強く持って! あなたはお腹を痛めてなんていない」


 結局はそれしかないのだ。精神力で乗り越えるかしない。それは、激辛アスリートにとってもっとも重要なものだ。日葵ほどの剛の者が生半なまなかな気力しか持ち合わせていないはずはない。すぐに持ち直せるはずだ。

 しかし、日葵はいまだに腹を抱えて蹲っているままだ。


 撫子はやきもきするが、幸いなことにというか、実に間抜けなことに、巳螺野もまるでラーメンを食べ進められていなかった。

 しかし、笑うことはできまい。宇宙一辛いラーメン・ほむらはその派手なネーミングに負けないくらい、恐るべき激辛フードなのだ。その辛さは一口で舌を痛みで多い、喉を焼き付ける。飲み込むだけで、気だるさとともに目の覚めるような激痛が襲ってくる。

 巳螺野が食べ進められないでいるのも、むべなるかなというべきだ。日葵はそんなラーメンを嬉々として食べていた。恐るべき激辛適正といえるだろう。


「日葵さん、私はあなたより早く宇宙一辛いラーメン・ほむらを食べることができますよ」


 巳螺野の声が聞こえた。その言葉に違和感を抱く。嫌な予感がした。

 次の瞬間、あれだけラーメンを食べることを躊躇していた巳螺野が物凄い勢いで食べ始める。日葵のスピードに負けず劣らずというべき速さだ。


「やばっ! 日葵、あんた負けちゃうよ」


 撫子の声援はまるで届かない。彼女の脳裏に焦りが浮かんだ。


「死んだ兎山とやま克彦かつひこの仇を取らなくていいのかよ!」


 自分でも変なことを言ったと思った。兎山は別に死んじゃいないし、そもそも、独り言が多いし、根性もない、ちょっと気持ちの悪い男だ。そんな男の仇なんてわざわざ取りたいと思わないだろう。

 しかし、日葵に反応があった。ピクッと顔を上げると、苦悶の表情の後、怒りとも憐憫とも取れない奇妙な顔をする。そして、箸を取り、宇宙一辛いラーメン・ほむらを食べ始めた。


「日葵、あんたはあんな気持ちの悪い男を……」


 その様子を見て、撫子は彼女が復活した理由にピンと来た。無論、勘違いであるのだが。

 日葵の亡き師匠、西園寺さいおんじヤスヒコ泰彦に名前が似ているというだけで、兎山にシンパシーを感じ、その倒れる様子に哀しみを抱いていたなど、撫子が知る由もない。


 それからの日葵の食べ進める速度は脅威的だった。巳螺野も凄まじいスピードで食べているのだが、それを圧倒的なパワーで差を縮めていく。

 言うなれば日葵は天然の激辛グルメファイター。養殖ものの食士に過ぎぬ巳螺野では役者が違うというべきだろう。


 日葵が1杯目を瞬時に食べ終える。次の杯も、その次の杯も瞬く間に消えていった。

 その間に巳螺野はようやく1杯目をどうにか平らげていた。日葵に遅れビハインドがあるとはいえ、その差が埋まるのも時間の問題に思えた。


「かくなる上は――」


 巳螺野が動く。予言催眠術を使う気なのだろう。


「そうはさせない」


 チームの控え席から撫子は何かを日葵に向けて投げつけた。


「あなたはしゃっくりが止まらなくなるだろう」


 巳螺野の言葉が日葵に届く直前だった。撫子が投げたものが日葵の頭にぶつかり、そして、弾けた。それはメレンゲの爆弾。こういう事態があると予想して、捏ね上げていたのだった。

 メレンゲは日葵の耳に入り込み、その音を遮断する。巳螺野の言葉は日葵に届かなかった。


「巳螺野、あんたは催眠術をかけるとき、複数の動きをしていた。目を見開いたり、手に動きを入れたり。けど、結局音なのね。

 私はあんたに麺を投げつけ、目を封じた。けど、催眠術に効果はあった。つまり、声か手の動きのどちらか。でも、手の動きはわりとサボってた。だから、音さえ遮断すれば催眠術にはかからないのよ」


 撫子の推理は的中した。日葵はしゃっくりをすることなく、ラーメンを食べ進めている。

 それに対し、巳螺野が怨嗟の声を上げた。


「おのれぇ、おのれぇ……。あの目の痛み、まだあるんだぞ」


 わりと正当な怒りの理由だった。


「まあまあ、あれは謝ったでしょ」


 謝ってない気もするが、そう言っておく。

 そんな間にも、日葵は食べ進めていた。すでに29杯目。それを完食である。

 そして、日葵が宣言した。


「選手交代。なんか、お腹いっぱいになっちゃった。あとは撫子ちゃん、任せるね」


 そう言って、撫子とタッチして控え席に戻る。


「はあ!?」


 撫子は完全には癒えぬ身体のまま、宇宙一辛いラーメン・ほむらと再び対峙することになった。

 おそらく、日葵の頭にメレンゲをぶつけたことで、偽りの満腹感を抱かせてしまったのだろう。だとすると、撫子に原因があるとはいえ、一気に苦境に立たされる。


「いや、無理だから。全然、まだお腹痛いし、口も痛いから!」


 巳螺野が必死でラーメンを食べ進める前で、撫子の絶叫が響いていた。

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