猫と女子大生

 兎山とやま克彦かつひこは倒れた。

 不謹慎なことではあるが、二階堂にかいどう六華りっかは安堵の気持ちでその様子を見守る。大事があって欲しくはないが、当面は自分の勝ちなのだ。驚異的な底力を見せた兎山に追いつかれなかったことには安心感しかなかった。

 そして、その感情に気づくと、六華は自分を恥じる。銀メダリストであり、激辛アスリートである自分が他人の不幸を喜ぶとはあってはならないことだ。


「兎山さん、あなたの分も私が力を振るいますのよ」


 そう新たに誓う。そのまま、青い辛いラーメンの10杯目をズズっと啜り、ゴクゴクと飲み干す。

 そんな六華の前に現れたのは赤いラーメンであった。メニューが変わっている。ニラとネギがまぶされたそのラーメンに見覚えがあった。辛い痺れ味噌ラーメン。激辛であるのはもちろんのこと、山椒と花椒がふんだんに使われたラーメンはただの激辛ラーメンではなかった。


「ふーん、次は痺れ勝負なのねえ」


 六華の前に座った女性がそんなことを呟く。漁り猫チャコール・グレイ・フォルクローレ来海沢くるみざわ撫子なでしこだ。

 だが、彼女が食べているのはまだ青い辛いラーメンである。どうにか、周回遅れにさせたままなのである。このリードを譲るわけにはいかない。


「兎山はわけわかんなしい、高梨たかなしはぼけ~っとしてるし、正直勝ち目ないかな。でも、良かった。痺れ系の味、私、激辛より得意かも。4人目枠なら狙えそうね」


 撫子はそんなことを言う。

 あなたに日葵ひまりの何がわかるのよ。六華に怒りの感情が巡る。だが、ここで冷静さを失うわけにはいかない。


 ズルッ――ズルズルッ


 慎重になりながらも、麺を啜る。辛い。だが、そう大したことはない。辛さでいえば、青い辛いラーメンの方が辛かった。

 さらに麺を啜る。味噌の旨味がしっかり活かされた美味しい味噌ラーメンだ。ほっこりとした温かささえ感じるほどである。しかし、徐々にその牙は侵食を始める。舌が味覚を感じなくなってくるのだ。


 ――もう、味を感じなくなってきた。早い。さすがは辛い痺れラーメン。けど、それは織り込み済みよ。


 痺れなどものともせずに、六華は麺を食べ続ける。こんなものは気にさえしなければいいのだ。舌がユワンユワンと揺れ、もう味を感じない。水を飲めば、ユワンユワンとした違和感だけを感じることだろう。

 だが、この1杯はそれでいい。このラーメンの完食を次席のチームメイトに伝えられればいいのだ。


「六華さん、がんばって! このまま、一人で優勝できますよ~」


 にこやかな笑顔の東雲しののめ芍薬しゃくやくの能天気な声が響いた。

 これは天然ではない。煽っている。過去の経験から六華は学んでいた。しかし、その物言いに反感を抱かずにはいられない。

 そうしている間にも、撫子は青い辛いラーメンを食べ終え、ついに辛い痺れラーメンに手を出し始めた。リードが詰められている感覚に焦燥する。


「もう、がんばってますのよ。それに、まだ二人いるのに託しちゃいけない理由なんてないんじゃなくて」


 ズズズ


 辛い痺れラーメンをどうにか食べ終える。しかし、もうそれ以上に食べ進める気はなくなっていた。


「はい、担々麺一丁」


 そう言ってラーメンをドンと置いた料理人のことを六華は知っていた。

 鹿島かしまみつる虎島食堂とらじましょくどうでカレーを作っているはずの男であった。なぜ、こんなところで担々麺を作っているというのか。

 いや、そんなことは今は問題ではない。先ほどとはまた違う切り口の激辛痺れラーメンが出てきたということだろう。そうなると、取るべき最善手は一つだ。


「選手交代しますわ。芍薬さん、お願いできますわね」


 六華はそう宣言した。芍薬がどんな表情でそれを受けたのか、彼女にはわからない。

 だが、漁り猫スナドリネコの撫子と量産型女子大生エンド・オブ・サマー・バケーションの芍薬の激闘が始まったことだけはわかった。

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