暗黒騎士

 エレベーターから降りると、むわっとした熱気が伝わってきた。

 そろそろ冬の気配が漂ってくる季節であるとはいえ、あまりにも暖房が効き過ぎている。ビルの空調だけでなく、フロア内には大小さまざまなストーブが配置されていた。電気ストーブが赤く熱せられているし、石油ストーブが所狭しと置かれている。


 二階堂にかいどう六華りっかはタートルネックの薄手のセーターを纏ったパンツスタイルであり、こんな熱気の中に来るとは想定していなかった。高梨たかなし日葵ひまりはダークピンクのカーディガンを羽織っていたが、この暑さには思わず脱いでおり、ベージュのワンピース姿になっている。

 六華はセーターを脱ぐ前提で服を着ていなかったので、脱ぐわけにはいかなかった。


「ようこそいらっしゃいましたぁ。天才の種子ライジング・プロミネンスの高梨日葵様ですね~。お会いできて光栄です。

 それに、お姉様。絢爛女帝トータル・ブリリアント・カリズマティックの二階堂六華お姉様、お久しぶりでございます〜」


 ゆったりとした女性の声が聞こえた。二人が声のした方に目を向けると、涼やかな水色をした半袖のワンピース姿の女性がいた。おっとりとした雰囲気の見て取れる、お嬢様というべき容貌をしている。

 そのそばには、無表情のまま、お嬢様を守るように毅然と立っている女性がいた。彼女は水着姿なのだろうか。胸元の開いた黒いビキニに、肩を出しつつも、フリルで装飾された袖が付いている。黒いミニスカートだが、これも水着のような素材に見えた。


「あ、あなたは……!」


 そのお嬢様の姿を見て、六華は驚く。見知った顔であったからだ。


「失礼いたしましたぁ。名乗らせていただくのが遅れました~。

 私は西美濃にしみの董子すみれこと申します。空中戦ロマンティック・インビジブル・ドリームと呼ばれているんですよ~。六華お姉様の従妹に当たります。

 そして彼女は私の付き人、暗黒騎士ダークバトル・ソルジャーズ喜多川きたがわ葡萄風信子むすかりです。仲良くしてあげてくださいね~」


 六華の首筋から冷や汗が滝のように流れる。それはフロアが異様な高温だからでもあるが、思い出したくない記憶が甦ったからでもあった。

 大食いの実力も激辛への耐性も、董子は六華の足元にすら及ばないものであったが、それにも関わらず六華は董子に勝ったことがない。相性が悪いとしか言いようがなかった。


 そんな六華の感情に配慮したのか、日葵が彼女の前に立つ。六華は日葵のその姿に友情を見た。


「私、お腹ペコペコなんですよ。食事の前にここに呼ばれちゃって。だから、私に先に食べさせてください」


 あたかも、自分の食欲を優先させたかのような物言いであるが、それが間違いだということは六華にはわかっている。六華に負担を掛けさせまいと、わざわざこんな物言いをしているのだ、絶対。


「日葵さん、わかりましたぁ。それなら、タッグマッチですねぇ。こちらも最初は喜多川さん、お願いしますね~」


 タッグマッチとは、選手二人がチームとなり、交代で激辛食品を食べ進めるという試合形式である。交代はいつ行っても構わないが、あからさまに食べ途中のものを食べなければいけない時は嫌な気持ちになるだろう。互いが互いをフォローし合う精神性がなければ、チームワークを失い、勝利への道は遠ざかるものだ。

 つまり、両者の相性、連携がものをいう競技なのである。


「話が早くていいね。じゃ、料理を持ってきてもらおう」


 黒ビキニ姿の喜多川が前に出ると、董子はパチンと指を鳴らした。それに反応し、日葵と喜多川の前に鍋が運ばれてくる。蓋を開けると、ピリピリした香りが充満した。それだけで、その辛さが伝わってくるようだ。

 真っ赤な鍋の中には、牛と豚の薄切り肉、絹ごし豆腐、白菜、小松菜、エノキダケ、長ネギが美しく並べられていた。


「コミッショナーの方ぁ」


 董子が呼びかけると、白髪の老紳士が鍋の後ろに立つ。そして、白手袋で覆われた右手を前に出すと宣言した。


「勝負を始めてください」


 日葵と喜多川が食べ始めた。両者とも、ものすごいスピードで食べていく。匂いだけでも激辛であることが明らかだというのに、それでその食べ進める速度が変わっているように見えない。

 日葵は当然として、喜多川もまた相当な実力者だといっていい。


 だが、そうはいっても日葵は別格だ。オリンピックの大食い競技で銀メダリストである六華と並ぶ実力者なのだ、当然だろう。

 瞬く間に喜多川に差をつけ、ものの数分で、鍋の中身は半分ほどに減っていた。対して、喜多川の鍋は四分の一ほどしか消化されていない。すでに勝敗は見え始めていた。


 そんな時だ。喜多川が突如立ち上がると、日葵の腹に正拳を打ち込んだ。日葵はその場で倒れ込む。胃から食物が戻ってきているようで、苦しげに嗚咽を漏らしていた。

 しかし、喜多川は無言で自分の席に戻り、そのまま鍋を食べ始める。


 人は正々堂々とした相手には注意しづらいものだという。喜多川の行動は異常なものであったが、なぜか正々堂々とした振る舞いに見えた。故に、口を挟むきっかけを得られない。

 六華が声を上げたのは、すでに喜多川が席について数十秒経っていた。


「今のは反則ではなくて! いえ、そもそも傷害罪のはずですのよ! 審判、何をしているんですの!?」


 しかし、彼女の言葉への反応は薄い。


「今のってぇ? なにかありましたかしらぁ」


 ふんわりとした董子の声がゆったりとした口調でとぼける。審判もまた、きょとんとした仕種をしていた。

 日葵はゲホゲホと咳を払いながらも蹲っている。


「イチャモンはやめてほしい。私のモットーは正々堂々。勝負に恥じることは何もしていない」


 喜多川の言葉は実に堂々としたものだった。

 六華はクラっと眩暈を感じる。この状況でどうしてここまで物怖じせず、罪悪感も抱かずにいられるのか。

 だが、このまま手をこまねいているわけにもいかない。六華は日葵の腕を手に取ると、手の平を開かせ、自分の手の平と合わせてタッチする。


「ここからは私が相手ですのよ」


 席に座ると、遠くからでは感じられなかった山椒の香りを感じた。苦手な辛さだ。

 相手は暗黒戦士団の喜多川、それに相性最悪の董子が控えている。六華はゴクリと息を飲むと、日葵の食べ残しに手をつけ始めた。

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