第四集 霧中の夢

 まい城の包囲が始まって半年が経ち、疫病の流行も多少は落ち着いた物の、これまでの間に多くの者が死んでいった。純粋な病死の者もいたのだが、病人である自分たちが少ない食糧を浪費するわけにはいかないと言って、多くの者が自ら命を絶っていたのである。

 李秀りしゅうは彼らを止める事が出来なかった。代わりに手厚く弔い、その都度に涙を流した。


 それでも尚、城内の食糧は今やほぼ枯渇し、民も兵も雑草を抜き、ねずみを焼いて、その日の飢えを凌いでいるという有様であった。


 城壁の上に、矢避けの為に盾や戸板を組んで作った小さな見張り小屋が建てられていた。戯れか威嚇か南蛮兵が時折射かけてくる事で、小屋には何本もの矢が刺さっている。

 厚い雲に覆われた漆黒の夜空からは、静かに雨が降り続けていた。既に秋も深まっており、温暖な寧州も冬に向けて徐々に気温が下がってきていた。


 王載おうさいは城壁を登り、見張り小屋の中で物思いに耽っている李秀に声をかける。


「少しは食べないと、お前も倒れちまうぞ」


 そんな王載の言葉を聞いているのか否か、心ここにあらずと言った様子で小さく頷く李秀。その眼は森の向こうに布陣しているであろう敵本陣に向けられていた。この半年の間に敵本陣の位置は掴んだのだが、その内情や攻勢の手段に苦慮していたのである。

 だが冷え込んできた気候、そしてこの長雨も穏やかになってきた事を見て、李秀は決意を固めた。


昇之しょうし、明日だ……。明朝に勝負をかける。勝つも負けるも、明日で決まる」




 味城を包囲する南蛮軍を率いているのは、于陵丞うりょうじょうと言う男であった。一口に南蛮と言っても、集落単位で大小の部族が割拠しており、民族として統一した国家ではない。その状況こそが漢人によって支配される原因であると于陵丞は考えていた。何とかして南蛮を統一してまとめ上げ、国として自立できない物かと。各地で他の民族も漢人に対して反乱を起こしている今は絶好の機会なのだ。


 半年前、そんな于陵丞に共闘を持ちかけて来たのが、益州で反乱を起こしたてい族の使者だった。寧州刺史を攻撃して足止めをしてくれれば、以後の共闘を約束すると。互いに勝利した暁には盟を結んで共に国として自立しようという話であった。

 その依頼を受けた于陵丞の頭には、百年ほど前に一度だけ南蛮を統一した王の事が浮かんだ。


 南蛮王・孟獲もうかく……。

 蜀漢しょっかん諸葛亮しょかつりょうと盟約を結び、その後ろ盾を以って南蛮諸部族をまとめ上げた伝説の大王。

 もしも氐族が蜀の地を押さえて地盤を築く事になれば、蜀漢と孟獲の関係をそのまま引き継ぐ事が出来ると于陵丞は考えていたのである。


 包囲から半年、味城は既に食糧が枯渇し、陥落も時間の問題である。そこへ蜀からの知らせが届く。氐族の頭領である李雄りゆうが、漢人の軍をことごとく破って成都せいとに入城したとの事だった。全ては計画通り。于陵丞は思わず笑みを浮かべた。これで我々もようやく自立が出来る。全てはこれから始まるのだ……。


 そう思っていた矢先、于陵丞は部下の叫び声で叩き起こされた。いつの間にか眠っていたらしい。何の騒ぎかと飛び起きて軍営を出ると、そこは真っ白な世界であった。濃霧である。密林を濃霧が覆い尽くし、数歩先すら見えない状況となっていたのだ。


 馬のいななき、干戈かんかの音(武器を交える音)、そして悲鳴と怒号が四方から響き渡っているが視界が全く効かない。唯一分かる事は、敵にしてやられ、乱戦に持ち込まれたという事だけだった。もはや食糧も尽き、戦う余力などないと敵を侮っていた己を悔いる于陵丞。


「何をしている! 敵は少数のはずだ! よく相手を見ろ!」


 そう叫んだ于陵丞は、突如として背後に殺気を感じて総毛立った。


「見つけた……」


 それは若い女の声。

 冷たく、落ち着いた、そして強い意志を秘めた声。


 于陵丞が振り返ろうとした瞬間、刃が鞘から抜き放たれる音がした。首に冷たい物が触れたような感覚。何事かと首に意識を向けた途端、今度は逆に燃えるような熱さを感じる。声が出ない。既に真っ白だった視界が、更に白くなっていく……。


 あぁ、漢人から独立して国を建てたら、どんな国号を付けたらいいだろうか。そういえば聞いた事があった。何百年も昔、この土地にも国があったそうだ。同じ国号を名乗ろう。

 そうだ、我々の作る国の国号は「てん」にしよう……。




 どこか穏やかな表情のまま絶命した于陵丞の首を手に取った李秀は、それを頭上に掲げて勝鬨を上げた。


「敵将、討ち取った!!」


 その声で一気に形勢が変わり、南蛮兵は状況を把握した者から次々と逃げ去って行ったのである。


 この濃霧の中で行われた奇襲は、李秀にとって大きな賭けであった。食糧が尽きた今、今日の機会を逃せばこうして奇襲攻撃を仕掛けられるだけの体力はもう残らなかったであろう。

 ましてや敵情偵察が不完全で、敵の大将が陣にいるかどうかすら分からぬままの突撃であったのだ。だが李秀は見事、賭けに勝ったのである。






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