3.聖ドラグス暦1859年豊穣の月29日と宵長の月8日




 アラン・スミシーからの返事はもらえなかったが、レイチェルはその月の終わりにオスカー・ローラントのもとへ借りた本を返しに向かった。

 お礼の品は無難かと思ったが栞にした。ローラント家が治めるトゥーランは優秀な職人が多くいて、色々な装飾品や細工が有名だ。細工が凝ったものはきっと見慣れているだろうから、トゥーランとレイチェルの実家が治めるメアホルンに流れるトゥーラン河、そのほとりでよく見られる雫草という水色の素朴で愛らしい花を押し花にして魔力を込めて劣化を防ぎ、レイチェルがよく利用する文具店のツテで職人を紹介してもらって作ったものだった。


 王立図書館の近くの魔術師団の施設に行くと、前回訪れた時にレイチェルと侍女の服を綺麗にしてくれた女性魔術師が迎えてくれた。オスカーがいなくても誰かに荷物を預ければいいと思っていたが、ちょうどオスカーは施設に滞在していた。普段は真白の王宮の中にある魔術師団の本部にいることも多いのだが、この頃はよくこの施設にも顔を出すらしい。


 侍女のウィノナと共に通された応接室で待っていると、慌てた様子でオスカーがやってきた。何か作業をしていたのか汚れが目立つローブを着ている。「失礼」と短く言って、少し恥ずかしそうに彼はそのローブを脱いだ。


「今日はどうしたの?」

「先日借りた本を返しに来ましたの」


 「とても参考になりました」と言って本を返すと、「それならよかった」と彼は嬉しそうに笑った。


「それからこれを――本を貸してくださったお礼です」

「えっ? そんな気にすることないのに」


 ぱちりと瞬きをして彼は遠慮したが、レイチェルが薄い包みを差し出したままだったので押し切られるように彼女からのお礼を受け取った。不意に、その数枚の雫草の栞がお礼にしてはみすぼらしいのではないかという気持ちになって、彼が中身を確認して顔をほころばせるまでレイチェルは落ち着かなかった。


「雫草だね」


 嬉しそうにオスカーは言った。


「僕や君の故郷にあやかって選んでくれたのかい?」

「えっ?」

「あっ……」


 レイチェルは瞬いた。確かにその通りだが、彼女は彼にまだ名乗っていなかったのだ。ローラント家や彼自身のようにレイチェルは有名ではないのに、彼は自分を知っているのだろうか?


「わたくしのこと、ご存知だったのですか?」

「この間、初対面と言ってしまったけれどね……」


 オスカーは気まずそうに口ごもった。


「そんなかしこまった口調じゃなくていいよ。君がメアホルンのレイチェル・パーシヴァルだと知っていたし、初対面っていうわけじゃない。僕らの実家は“主家と旗手”の間柄だし……君は覚えていないかもしれないけれど、君が小さい頃に会ったこともあるし、君が家族とトゥーランを訪れた時見かけたこともある」

「そうだったんですね」

「僕のことは知っている?」

「あなたのことを知らない人なんているんですか?」


 皮肉交じりにレイチェルは言った。そのせいでひどい目にあっているというのに――彼はそんなこと思いもしないだろうけれど。






***






親愛なる アラン・スミシー様




 こんなにアラン・スミシーおじ様への手紙の間隔が今まで空いてしまったことなんてなかったので、こうしてお手紙を書くのは随分と久しぶりな気がいたします。月に一回と言われていたのにわたくしはしょっちゅう手紙を書いてしまっていますものね。おじ様はお変わりないでしょうか? わたくしはこのところ色々なことがあって、何からおじ様に話せばいいのかとても悩んでおりますの。


 オスカー様に借りた本のお礼は栞にいたしました。雫草の押し花がついたもので、わたくしが花に魔力を込めたので花が劣化せず使えるのです。いつかおじ様にお会いすることがあったらおじ様にも差し上げたいわ。少し心配でしたが、オスカー様は喜んでくださったように思います。おじ様は雫草の花に魔力を込めると、花弁が本物の水滴のようになるのをご存知でしたか? わたくし、オスカー様にそれを教えていただいてはじめて知りました! 彼は若くして魔術師団長になるだけあって本当に色々な魔術のこと、魔力のことにお詳しいんです。


 とても申し上げにくいのですが、あれからわたくしは何度かオスカー様にお会いしています。前回の手紙に書いた魔術師団の施設にお邪魔させてただいているのでございます。オスカー様はお兄様がいたらきっとこんな感じなのね、と思わせてくださる素敵な方です。魔術のこと以外の勉強も教えてくださいますのよ。おかげで幾何と少し仲良くなれた気がいたします。彼のことを好きになれないと言っていたのに、わたくしったら恥ずかしい限りですわ。令嬢たちが嫌なことをしてくるのに変わりはないのですが、彼と知り合ってからの方がずっとそのことを気にせずにいられるのです。年齢的にはもう成人しておりますし、今年で学院だって卒業するというのに、わたくしは本当にお子様でございます。ハーディモア神に誓って、これからは人を第一印象で判断しないようにいたしますわ!


 令嬢たちのことを除けば学院の最終学年は万事うまくいっていると思います。幾何の成績が上がれば、わたくしも魔術師団に入団できるかしら? 今後に両親への説得はつづけておりますが、どうも両親はわたくしの婚約者探しを本格的にはじめたようなのです。今度の週末はどこぞの伯爵家が王都の邸宅で開く夜会に参加しなければいけませんの。主家のない伯爵家ですが、宝石を扱っている商会を営んでおり、トゥーランにもお店を開いております。

 その伯爵家は男ばかりの三兄弟で、次男がわたくしと年が近いのです。パートナーもなしにそんな夜会に参加したらどうなるか、憂鬱で仕方ありません。一番仲のいいアリア・ベルージが助けてくれると言ってくれましたが、彼女にあまり迷惑をかけられませんものね。

 幾何の成績が上がったり、その夜会で何かあったりしたらすぐにおじ様にお手紙を書きますわ。その次男がおじ様のような素晴らしい方でしたらいいのですけれど。




あなたの レイチェルより






***   ***






親愛なる アラン・スミシー様




 アランおじ様に書くお手紙はいつも読みにくくならないようにとても気をつけているのですけれど、今のわたくしはとても混乱していて、読みにくい文章になってしまったら申し訳ありません。


 わたくし、先週末の夜会に行ってまいりましたの。そう、どこぞの伯爵家の夜会ですわ。両親はやはりわたくしとそこの次男を会わせるのが目的だったようなのです。次男がおじ様のような男性だったらと願っておりましたが、とんでもありません! あんな人を夫にするくらいなら一生独身でいたほうがましですわ!


 でも今日はそんな愚痴をおじ様に報告したいわけではありませんの。一体どうしてこんなことになったのかわかりません。その夜会の少し前、おじ様に前回の手紙を出した後ですけれど、またわたくしはオスカー・ローラント様に会いに行ったのです。それで彼にも夜会のことを話したのですが、彼はわたくしに何て言ったと思います? わたくしのエスコートをしたいと申し出たんですわ! わたくしとても驚いてしまって、ウィノナが肩を叩いてくれなかったらきっとそのまま石になっていましたわ。


 とにかくオスカー様はわたくしのパートナーに立候補してくださったのです。もちろん、彼は今注目の魔術師団長ですから彼のもとにも同じ招待状が届いておりましたの。彼は「たまには虹色の瞳の女性を自分から探しに行かないとね」なんておっしゃっていましたが、きっとわたくしが気を遣わないように冗談をおっしゃってくださったに違いありません。

 とても迷いましたけれど――令嬢たちがそれを知ったら勉強する場所がなくなってしまいそうですし、変な噂を立てられたらオスカー様にも迷惑がかかりますものね。でもオスカー様の親切を、わたくしは受けることにいたしたのでございます。案の定、夜会ではひどく注目を浴びてしまって、週明けから令嬢たちがますます嫌なことをしてくるようになりました。わたくしはいいのです。ただ、ウィノナにも迷惑がかかってしまっていてそれがとても辛いのです。オスカー様に知られたら彼もきっと気になさるでしょうね。とてもさみしいですが、彼と距離を置こうと思います。幾何の成績はやはり期待なさらないで。




おじ様を頼りにする レイチェル




追伸


 令嬢たちは瞳に直接つけるレンズのようなものを使いはじめました。それには色がついていて、瞳の色を変えられるのでございます。元々は魔術医の方が目の悪い方に処方しているもののようですが、彼女たちが使っているものはあまり質がよくなさそうなのです。感じる魔力があまり強くありませんわ。大丈夫かしら?

 仮初でも虹色の瞳を手に入れて、令嬢たちは満足そうにしております。嫌なことも減るとよいのですが、きっと思うようにはいきませんわよね。



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