第10話 自己本位な救い

「ニバスの親分ッ! アジトから煙が! 兵団が作戦を開始したみたいです!」


「了解っす。残った連中が時間を稼いでる間に、さっさと脱出しやすよ」


 左右からぴったりと密着どころか、押し付けるように感じる若い女性の体温。元男性であるルミは心臓を高鳴らせる、なんて余裕はない。何故なら両手足を縛られ、正に商品のように馬車の荷台へと積み込まれているのだから。

 ゆっくりと馬車が動き出す。音以外に外の状況はさっぱりわからないが、人売り達が王都から逃亡を図っているのは確かだった。


「どうしよう……っ、どうしよう……っ!?」


 身体の震えを必死に抑えながら、ルミは足りない頭を働かせる。王都の外に脱出されては、兵士や騎士の救助が絶望的になることぐらい素人でもわかる。だから今すぐにでも何か行動しなくてはならない。

 けれども。ルミに戦う力なんてない。だって、か弱い少女でしかない。男性だった頃でさえ、争いなんて無縁の生活をしていたのに、こんな小柄な女性にさせられて戦いなんてできるわけがないのだ。

 悪魔を打倒することができたのも、ただ幸運だっただけ。


 それを本当の意味で自覚させられた今、考え付く抵抗の手段など皆無だった。


「大丈夫よ……! 兵士たちがすぐにでも……っ」


「でもこのままじゃ逃げられて……!?」


 女性たちは誰しも目を伏せながら祈るばかり。無理もない。このような状況で動ける方が珍しい。

 だから、本来は男性であるルミが何とかしなくては。

 けれど最早、女性であるルミにできることなんてなくて。

 それでも動かなければ、このまま状況は悪化するばかりで。

 しかし、か弱い少女の身体は拘束さえ自力では解けなくて。

 

 考えろ。無理だ。動け。動いた結果がこれだ。やるしかない。自分がどんな姿なのか、いい加減に自覚しろ。


 落ち着きのない思考が混ざり、狂い、冷静さが加速度的に失われていって──


「上に──!?」


「うぁ!?」


 御者台から聞こえる驚愕の声。そして、一際激しく馬車が揺れる。女性たちが次々に悲鳴を上げた。それはルミだって例外ではない。混乱の最中でも何が起きたのかは何となく察することができた。

 誰かが荷台の上にいる。何かが荷台の天井に叩きつけられて、少しずつ幕が剥がされていく。誰しもが恐怖と期待を綯い交ぜにした瞳でそれを見つめて。


「──ルミ! いるか!?」


「あべ、る……」


 この世界では数少ない友人が、黒髪の青年が顔を覗かせた。

 またもや彼に迷惑をかけてしまったのか。胸に去来する自己嫌悪。だが、優しい青年が来てくれたことに、安堵を覚えるのは止められなかった。


☆ ☆


 兵士たちがスラム街の建物へ一斉に突入していく。その様子をアベルは遠巻きに眺めていた。

 カインから受け取った資料通りの作戦だ。複数のアジト候補の同時制圧。あの建物もその一つなのだろう。


 本当ならば、アベルだって乱入したい。考えもなしに飛び込んで、友人の姿を探したい。実際、数年前のアベルならばそうしていた。己の衝動に従っていた。

 だが、今のアベルには躊躇いが生まれてしまっている。本当にこれが正しいのか。アベルの介入によって状況が悪化するのではないか。そんな考えが頭を過るのだ。

 そもそもこの場で突撃したところで、兵団に疑われて一緒に捕縛されるのが目に見えている。


「…………」


 だから、この場ではじっと耐えよう。何事もなく作戦が成功するのならば、他のアジト候補も確認してから帰宅する。そう決められる程度にはアベルも丸くなっていた。


「……あれは、カインだな」


 巨大な雷鳴が響き渡り、そちらに視線を動かす。アベルが張り込んでいた建物とは別の地点で、自然現象とは思えない雷が弾けていた。

 あれほどまでの規模で魔法を行使できるのは、それこそ近衛騎士や魔法学会のエリートぐらいなものだ。そのうえで雷撃となれば、カイン以外には考えられない。


 アベルには、逆立ちしても不可能な芸当だ。胸の中に渦巻く黒くドロドロとした感情はとても無視できない。理不尽なカインへの怒りと、己の醜さに吐き気すら覚える。


「ここは外れか。手筈通り容疑者の護送を行った後……」


 建物の外に現れた兵士たちが何やら話し込んでいる。どうやらあの建物の制圧はすぐに完遂したようだった。

 意識を逸らして、手元の地図を確認する。ならば他の地点の様子も見に行ってみよう。最寄りのアジト候補の位置を調べながら歩き始めて──


「……なんだ?」


 目の前を大きな馬車を通り過ぎていく。それだけならば、別に不思議なことはない。商人がスラム街を突っ切るのは迂闊だろうが、急ぎならば仕方がないこともあるだろう。

 普段ならば気にも留めていなかった。けれど、“誘拐犯”を追っている今だからこそ、アベルの勘に引っかかるものがある。


 あの馬車が向かっている方角。それを地図の上で素早く確かめた。


「そうだ……あっちは王都の中心だぞ? 朝一の荷馬車がどうして街の内側に行く?」


 言葉を口にすればより一層、疑念が増していく。明らかに不自然だ。朝早くから出発して隣の都市へ商品を運ぶのならば理解できるし、それならば兵団の検問に引っかかる。アベルが首を突っ込む必要はない。

 だが当然、あの馬車を兵団がマークしている様子はなかった。


 考えすぎかもしれない。しかし、そんな安易な判断が致命的な結果をもたらすかもしれないと、そう思い至ってしまえば。もう、我慢できなかった。


「勘違いなら……弁償すればいいだろう……!」


 左手を振るい己への暗示へ。魔力が願いに呼応し風となる。

 魔法の発動と同時に、アベルは力強く踏み込み──跳んだ。重力が風圧に相殺され、アベルの身体が宙に舞った。


「……くっ」


 目を細めながら馬車を低空飛行で追いかける。自らを雷と化して自由自在に飛び回るカインと異なり。アベルのこれはただ強力な風で自身を吹き飛ばしてるだけの乱雑な魔法だ。

 細かい制御なんて利かない。咄嗟に剣を振るうことはおろか、自由に停止することさえ難しい。純粋な速度でさえカインの半分以下だ。


 しかし今は構わない。矮小なアベルの魔法でも、馬車との距離を少しずつ詰めることはできているのだから。


「──ぉお」


 馬車のすぐ上に辿り着く。そのまま勢い任せに天井へ落下。崩れそうになる体幹を無理やり保持して、どうにか着地した。


「なんだぁ? 親分、何か変な物音が」


「……この辺りに兵団は?」


「情報通りならいないはずですぜ。偽のアジトを避けて通ってるんで」


「──御者を代わるんで、馬車の上を確認してくれやせんか?」


「了解っす」


 まずい。勘付かれた。とは言え、いきなり攻撃するわけにもいかない。彼らが人売りの犯罪者だとは、まだ決まったわけではないのだから。

 ならばすぐにでも確かめなくては。足元から感じる大勢の人の気配の正体を────。


「はぁっ!」


 剣を引き抜き、馬車の天井へ突き刺す。それを何度か繰り返して穴を開けていく。


「上に──!?」


 御者台から顔を覗かせた男と視線が絡み合った。それを無視して、アベルは馬車の中へ顔を突っ込んだ。一斉に視線が集中するのがわかる。恐怖に震える女性たちがアベルを見上げていた。

 どう甘く見積もっても、自ら乗り込んでいるとは思えない。間違いないだろう。王国では禁止されている非認可の奴隷だ。


「ルミ! いるか!?」


「あべ、る……」


 呼びかけに答え、見知った友人が顔を上げる。

 一度見たら忘れることがない、異様なまでに整った容姿。本人は元男と主張し、実際にそういった片鱗を感じていたものの──泣きそうな瞳でアベルを見つめるルミは、どこからどう見ても憔悴しきった少女にしか見えなかった。

 彼女だけではない。他の女性たちもまた、酷く怯えている。許せない。沸々と湧き上がる義憤のままに叫んだ。


「全員、出来る限りでいい! 頭を庇って衝撃に備えろ!」


「アベル!? 何を……」


「全員だ! 言うとおりにしてくれ!」


 ルミが初めに従えば、困惑していた女性たちもそれに続いた。アベルは顔を上げる。すぐ眼前、身を乗り出した御者台の男が銃を構えていた。


「──っぁ!?」


 強風に煽られる馬車の上。素早い回避なんてできるはずもなく、どうにか身を捩ったアベルの頬を鉛玉が掠めていった。焼けつくような痛みが走るが、それだけだ。

 男の方も振動で上手く狙いが付けられなかったのだろう。運が良かっただけ。肝を冷やしながらも闘志は絶やさない。


「てめえは何なんだ!? 商売敵か!?」


「誰でも構わないだろ……っ! それより馬車を止めろ!」


「無理な相談だぜ! 急がないと約束の時間に間に合わないんでな!!」


 もう一度、向けられる銃口。見た限り、使っているのは魔術製のものだ。装填数が多く弾切れは期待できない。


「ちっ!!」


「そう何度も──!」


 再び発砲。僅か頭上を通り過ぎる。それを確かめることもせずアベルは左手を振りかざした。男へ吹き付けていた正面からの風が急激に変化。横薙ぎに打ち付けられる風に男はバランスを崩して──


「落ちろッ!!」


「う、おぉぉっぉぉぁ────!?」


 トドメとばかりに放たれたアベルの峰打ちを受け、御者台から転落していった。これでまずは一人。残りは御者台で馬を操る中年の男性のみだ。転落しないように少しずつ前進し、座席の空いた御者台に飛び降りる。

 そして、中年の男性の首元にナイフを添えた。


「抵抗するな。すぐに馬車を止めろ」


「……全く、随分と乱暴っすね。ご丁寧な兵団のやり口じゃない。どこの誰っすか?」


「どうでもいいだろう。口を閉じて、言うとおりにするんだ」


 命を握られているにも関わらず、中年の男性はニヤニヤと笑うばかり。アベルのことなど意にも介さず馬を走らせ続ける。


「何をしてる!? これで最後だ! 馬を止めろッ!!」


「何をしてる、ってのはこっちのセリフでやんすよ。──一体どこに、ナイフを突きつけてるんすか?」


 男性の言葉が嫌に脳裏を過ぎ去り、一瞬の眩暈に襲われる。視界が僅かにぼやけ、数秒もしないうちに晴れて。気が付けば、アベルは虚空を睨みつけるばかりで、男性の姿は何処にもなかった。


「は──」


「都合の良い夢はどうでやしたかね?」


「……っ!?」


 背後から男性の声。振り返れば中年の男性がそこでまったりと手綱を握っている。


「座標の入れ替え……っ? いやあんたは確か、幻覚系統の魔法を──」


「ありゃ、中々に情報通なもので。お察しの通り、あっしは人売りを営んでおりやす。奴隷商のニバスっすよ」


「そうか……っ、ならここで!」


「やめてくだせい。見ての通りあっしは争い事は苦手でして」


 精神に干渉してくる魔法の使い手を相手に、様子見など許されない。すぐさまニバスの手首を握り、強引に馬を制止させようと力を籠める。

 彼の言葉通り、膂力はさほど強くない。鍛え上げたアベルにかかれば、すぐ制御を奪えて──


「だから、どこを握ってるんすかね?」


「なっ……魔力は確かに纏って……」


 いなかった。再び眩暈に襲われ、正気に返った時には馬車の出っ張りを必死に握っていた。

 アベルだって無策なわけではない。魔法は世界の書き換え。魔力を意識して纏うなどすれば抵抗することができる。幻覚を受けないように頭を中心に防御はしていたはずだ。

 なのに、数秒とは言えアベルは確かにあり得ない光景を見せられていた。


「ええ、そうっすよ。あっしは特別に魔力が多いわけじゃありやせん。調ことぐらいはできても、気を張ってる戦闘中の人間相手にかけられる幻覚なんてたかが知れていやす」


「……っ」


「でもまあ──君の魔力は随分と弱々しいようで」


「黙れ……っ!!」


 生まれ持った魔力は大きく変動することはない。何度も突き付けられた事実だが、アベルの怒りを呼び起こすには十分だった。冷静さを欠いた手がニバスへと伸びる。

 その手首が、手綱から片手を離したニバスに掴まれた。そのままメキメキと万力のような力で締め付けられる。


「ぅ、ぐぁ!?」


「争い事は苦手って言いやしたけど。君程度ならあっしでも片手間に勝てそうっすね」


「あんた、一体どこにこんな力が……っ!?」


 どれだけ力を込めても脱出できない。特段、鍛えられているわけでもないニバスの握力にさえアベルは抵抗しきれない。

 このままではまずい。兵団の作戦をすり抜けたニバスが王都から脱出する方法を準備していないとは考えにくい。彼の思い通りに進んでいるこの状況は間違いなく、こちら側の不利に直結している。

 

 自由なもう片方の手で拳を作り、ニバスの頭部に叩きつけるが。


「っ!」


「ぐっぁ……」


「いてて。何するんすか」


 カウンターのように頭突きを叩きつけられ、逆にアベルの手が痺れてしまう。痛みにバランスを崩し、危うく馬車から転落しそうだ。

 あり得ない。こんな奴隷商如きに手も足も出ないだなんて。


「本当に、本当に、弱いっす。それであっしから商品を取り返すだなんて、大口を叩くのもほどほどにしてもらわないと」


「だから、黙れ──!」


「腕っぷしも低く、口喧嘩も下手くそ。何のために生きてるんすか? 志ばっかりが高い無能だなんて、路地裏で腐ってる方がマシっすよ?」


「だまれぇ──!!」


 激情のままに剣を引く抜く。これまで努力して鍛え上げてきた剣技の尽くが御者台に座っているだけのニバスに捌かれていく。

 届かない。アベルの力は何一つとして届かない。剣は強化された地肌に受け止められ、魔法はただの魔力の防壁で拒絶され、純粋な膂力でも敵わない。


 何故か。アベルが弱いから。凡人が努力しただけでは、努力した天才には届かない。それどころか、戦闘が本業ですらない中年男性にすら負ける。

 嫌になる。お前に生きる価値なんてない。志ばかりを育て、十五になるまで己の弱さに自覚を持てず。現実を突きつけられれば、何も罪のない弟分に醜い感情を押し付けた。


 きっとこのまま。アベルの行動は無為に終わり、ルミを助けることはできないのだろう。


 何故か。お前が弱いから。

 何故か。お前が身の程を弁えないから。

 何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。何故か。






「──あんたが、質の悪い幻覚を使うからだ」


 己の醜さを映した虚空を切り開き、アベルはニバスの首に手をかけた。

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