第33話 いいんじゃない? ボサボサの髪も似合っていると思うけど、私(加筆修正分)

 ***


 意識が醒めると、そこは僕の家だった。しかも、季節が巻き戻っている。夏祭りには半袖のシャツを着ていたのに、今は長袖だ。ということは……、今は夏手前の梅雨か春か、そんなところなのか。


 僕はズボンのポケットにしまってあるスマホを取り出して、現在日時を確認しようとしたけど、


(……え? か、体が動かない……? どっ、どうして……!)


 自分の思い通りに手は動いてくれず、さらに意思と関係なく僕の足は台所へと向かい始めていた。


(ど、どういうことだ……? た、タイムリープできてない……? で、でも間違いなく季節は遡っているのに……)


 視界も勝手にずれていく。さながら、一人称視点の映画でも見ているような気分だ。


「……梓―、お湯沸いているけど……」

(は? 今、僕喋った? って、っていうことは……)


 過去の「僕」のなかに戻ってきたってことなのか? これって。

 そ、そんなややこしいことが、どうして今になって……。


 「僕」はやかんにかかっている火を止めて、コーヒーメーカーにお湯を注ごうとした、が。手にしたやかんにおよそ水が入っているような手ごたえはなく、瞬間。


 「僕」の顔が引きつるのを自覚した。……この場合、自覚っていう単語が適切かわからないけど、区別するのも面倒だ。


 そして、トイレに行っていたのであろう梓が、ハンカチで両手を拭きながら台所に戻ると、

「あ、ごめん火止めてくれたの? すぐ戻るつもりだったんだけど……」


 もしかして、これ。……一度目の世界であった、僕と梓の喧嘩の場面なのか?


 ──私がやかんを空焚きしたことに凌佑が怒ったこと、それに私も売り言葉に買い言葉でね

 ──本当の世界で、私と凌佑、大喧嘩してね?

 ──仲直りできないまま、凌佑、事故に遭っちゃって。……喧嘩中の私の代わり、に、居眠り運転の車に当たっちゃって、打ちどころが悪かったみたいで


 間違いない。シチュエーション的にも合致している。けど、なんでこのタイミングでこの時間軸に戻ってこれたんだ。


 ……梓のストラップを使ったからか?

 いや、違う。そんなことはあり得ない。だって、梓自身が何度か試したけど、できなかったって「」んだ。


 ……だから、そ、そんなことが起きるはず、ないんだけど……!


「……何かあったらどうするんだよ」

 ああ、そんな理屈を考えている暇はない。そうこうしている間に「僕」は梓に怒ろうとしている。


 違う、これは僕が言うべき言葉じゃない。本当にやるべきことは、もっと、もっと違うものなんだ。この言葉の先を言ってしまったら、


 ふと、脳裏に幼少期の記憶がフラッシュバックする。そう、浴室に倒れた母親と、空っぽになった詰め替え用の洗剤のパックと。

 当時抱いた、見えない底から湧き上がって来た恐怖と、そこから追い立てられるように必死で助けを求めたことも。

 病院に駆けつけた父が、嗚咽交じりに「俺がもっとちゃんとしてたら」の悲鳴も。


 わかる。わかるよ、僕も「僕」だから、それを許せないのはわかる。でも、言いかたってのがあるだろ、今のまま続きを口にしてしまったら、

「……もう、いいよ」

 梓だって、そりゃカチンと来るって。


「飲む気なくなった」

 ……駄目だ、もう手遅れだ。こうなったらもう。


 「僕」がそそくさとコーヒーメーカーの後片付けを始めると、途端に眉をひそめた梓は、

「……何もそんな言いかたしなくてもいいでしょ」

 花びらに隠れた棘を露わにしたみたいに、あるいは、凍りきった声音で返した。


「……確かに、目を離したのは私が悪かったけど、何もそんなきつく言うことないでしょ」

「そんなこと言って、もし盛大に事故ったらどうするんだよ」


 ああ、駄目だ。梓の言った通りになってしまう。売り言葉に買い言葉だ。

 言いたくない、こんなこと言いたくないのに「僕」はそれを止めてくれない。


 どうすれば止まるんだ、この不毛な喧嘩は。


 しかし、僕の葛藤とは裏腹に、「僕」も梓もどんどん口調がキツくなっていく。普段からあまりお互い怒るということをしない僕らだけど、生きていれば僕と梓のこと関係なく積もるものも積もるわけで。もしかしたら、知らないうちに溜まっていたものを、一気に吐き出していたのかもしれない。


 しまいには、もう完全にむくれてしまった梓が、

「もう知らない。そんな酷いこと言うなら全部ひとりでやればいいでしょ。私帰る」

 そう言い残して、強い足取りで僕の真横を通過して玄関へと歩いていった。


(ちょっ、待って!)

 僕は梓を呼び止めようとしたけど、それで「僕」の口は開くはずもなく、ただただ「僕」は歩き去っていく幼馴染の小さな背中を見つめることしかしなかった。


(……どうするんだよ、これ)


 それからも、結局「僕」は梓と仲直りすることなく、高一のゴールデンウィークを終えた。

 迫りくる事故のタイムリミットは、確実に近づいていて、早くなんとかしないと、結局同じことの繰り返しになってしまう。


 毎朝学校のある日は起こしに来てくれていた梓も、喧嘩中は来なくなってしまったし、登下校も一緒にしなくなった。教室で仕方なく話すときも、梓はどこかよそよそしいし、「僕」は「僕」でたかのさんなんてわざとらしく冷たい対応を取っている。


 そんな様子を見て、佑太と羽季は「……出たな、夫婦喧嘩」と呆れ顔で苦笑いを浮かべるだけだし。


「で? どっちが先に折れるつもりなんだ? 凌佑、高野」

「……別に。僕は何も悪いことしてないから、折れるも何もないと思うけど」


「私も、凌佑はひとりで完璧に生きていけるみたいだから、もういらないらしいし」

「……保谷が梓抜きで完璧に生きられるなら、あんな寝癖でボサボサの髪で登校しないと思うけど」


「いいんじゃない? ボサボサの髪も似合っていると思うけど、私」


「「……はぁ、喧嘩さえも惚気にしか見えないこのふたり、ほんとなんなんだろ」」


 佑太たちに引き留められて、半ば強引に一緒に昼食を囲む休み時間も、そんな調子。ちなみに、当然梓は僕の分の弁当は作ってくれていないので、「僕」はふたりと同じ菓子パンにパック牛乳だ。


「……で? 仲直りのご予定は? いつ頃になるんだおふたりさん」

「未定かな。たかのさんがどうしてもって言うなら、別に」

「……それはこっちの台詞だよ」


「……どこまでも仲良すぎでしょこの幼馴染ふたり、私も聞いてて砂糖吐きそうになってきた」「奇遇だな、俺もだよ石神井」


 頼む、早く気づいてくれ「僕」。そんな無意味な喧嘩したって、梓のためにもならないし、僕や「僕」のためにもならない。みんなが不幸になるだけなんだ。

 怒った理由の本質を見失わないでくれよ。


 あのとき「僕」が怒ったのは、将来的に同じことをやって梓が大変な目に遭うのを嫌がったからだろう? 何もここまで話を拗らせることはないじゃないか。


 「言い過ぎた、ごめん」って言えば、それだけで済む話だろ、っていうか済ませてくれよ。でないと、じゃないと、


(そのツケを、僕は今後二年近い時間払い続けることになるんだぞ……!)


 一瞬、僕と梓の視線が絡まり合うタイミングがあった。だけど、そのチャンスでさえ、


「「ふん」」


 消しカスをゴミ箱に捨てるように簡単に、「僕」は逃してみせた。

 せっかく過去をやり直しているはずなのに、うまくいかないもどかしさだけが、着々と僕のなかに芽生え始めてきていた。


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