第30話 じゃあ、はじめては私のほうが先だね

 〇 ***


「──これが、最初のやり直し、のお話かな。凌佑の場合も、原因は簡単でね。所沢さんっているでしょ?」

「う、うん」

「……所沢さん、かなり長い間凌佑のこと好きだったみたいでね? ちょっと私が油断している間にすぐ告白しちゃうんだ」

 それで、と梓は話を続ける。


「でもね、私がそのことに気づかなかったり、逆に凌佑が私に気を使ったりしていつも通りでいるから、色々事態がややこしいことになっちゃってね。……決まって、凌佑が辛い目に遭うことになった。一回目と、同じように」

 ……だから、なのか。だから、


「所沢さんが凌佑に告白する前に、私が気持ち伝えちゃえばいいんじゃないかって思って、何度も何度もやり直したんだ」

 あのとき、梓は僕に所沢さんからの呼び出しに応じて欲しくなかったんだ。


「結局、その告白も、凌佑に回避されちゃったんだけどね」

「それは……その、なんていうか……ごめん」

「あっ、べっ、別に避けられたことを怒ってるわけじゃなくてね? というか、凌佑のほうが多分辛かっただろうし、全然、気にしてないって」


 そこまで話したところで、思わず僕は、グウとお腹の虫を鳴らしてしまった。

「……ごめん、大事な話してるときに」

「……くふふ、いっ、いいよいいよ、だってもう八時回ってるもんね。お腹空くよね。遅いけど、晩ご飯作っちゃおう? 話は、その続きでもできるし」


 梓は子供みたいに可笑しそうに笑ってみせては、リビングから立ち上がって台所に向かった。僕も、それに追従する。

「今晩、何食べたい? といっても、買い物してないから冷蔵庫の中身はそんなにないけど」

 冷蔵庫の中とにらめっこをする梓。僕は彼女の話を聞いて、


「なら、チャーハンとかでどう? ご飯炊けばチャーハンの素使ってすぐにできるし、卵はあるよね?」

「たまにはそれもいいかもね。じゃっ、そうしよっか」

 メニューの提案をした。無事に決まったことで、僕はお米の準備、梓はありあわせでつける野菜のカットを何も言わずとも始め、晩ご飯の準備をスタートさせていた。


「やっぱり市販の味だね。間違いのないオーソドックスな感じ」

「まあ、それが売りなんだろうし、いいんじゃないかな」

 出来上がったチャーハンをふたり向かい合わせで食べ進めていた。小皿には、梓が手早く簡単に支度したサラダがちょこっと載っている。


「んー、でもなんかモヤモヤする、時間あったらもっとちゃんと晩ご飯用意したんだけどなあ……」

 パク、と小さな口を開けてチャーハンを食べる梓は、どことなく悔しそうな表情を浮かべる。


「時間なかったし、仕方ないよ。それに、普段から朝昼晩作ってもらってる身分であまり大きなこと言えないし」

「でも、晩ご飯はいつも一緒に作ってくれてるでしょ? そんなに気にすることじゃ」

「……いやいや、毎朝何時起きしてるの……? その苦労考えたら頭上がらないって」


 学校のある日は七時になると起こしてくれて、しかももう朝ご飯はできているので、多分六時くらいには僕の家に来ている計算になる。そのときにはもう梓は制服も着ていて、学校に行く支度も整っているので、下手をすれば五時起きとかなんじゃないかって思ってしまう。


「……へへへ、褒めすぎだよ、凌佑」

「こういうときは素直に褒められときなって」

「もっ、もう、この話おしまい。おしまいっ」


 照れてしまった梓は今の話を打ち切ったので、僕が何か変わりの話題はないかと探していると、少しだけ火照っている頬を斜め下に向けながら、梓は落ち着いた口調で言い出した。


「……あのね。そ、その……話戻すんだけどね」

 カランと響くスプーンがお皿を叩く金属音に、僕も一度食事の手を止める。

「……や、やり直しているとは言え、わ、私の告白、凌佑は受けてくれてた、ってこと、なんだよね……?」

 もぞもぞと両肩を小刻みに動かしては、いじらしい口調で話す梓。


「……ま、まあ、そういうことに、なるけど」

 あれ? こういう場合はどうなるんだ? これでもう、はっきりと明言はしていないけど、お互い「好き」って伝えたようなものなのでは……? 一抹の不安を感じつつも、僕は梓の話の続きを待つ。


「……でも、付き合っちゃ、いけないんだよね? 私たち……」

 彼女の言葉に、僕は重々しくも首を縦に振り、肯定する。

「……そうなっちゃう理由、私……その、こ、心当たりがあって、ね……?」

 続いて放たれた梓の一言に、僕は全身を硬直させ、あんぐりと幼馴染の顔を見つめる。


「ま、マジで? 何か知ってるの? 梓」

 突如浮かび上がってきた解決の心当たりに、思わず喜色混じりの声を出してしまった。

 いや、だって、こんな苦しいループから抜け出すことができるのに、喜ばない理由なんてない。


 しかし、梓が発した次の台詞は、僕を現実に引き戻すには十分過ぎる威力を持っていた。

「た、多分だよ? 多分。確証があるわけじゃないんだけどね。……私が、凌佑が死んだことを、なかったことにしたのが原因なんじゃないかなって……」


「は、は……? 僕が、死んだ……?」

 さっきまで照れが混ざっていた彼女の表情は、一ミリたりとも残っておらず、あるのは申し訳なさそうに両肩をすくめて俯いている姿だ。


「ど、どういうこと? さっき、僕が死ぬわけではないって言ってたのと、また違うことがあったってこと?」

「……凌佑が、最初にタイムリープしたのは、いつのこと?」


「え、えっと……高一の六月、だけど」

「じゃあ、はじめては私のほうが先だね。……私は、高一の五月が最初、なんだ」


 梓は淡々と、あくまで事実を説明するために冷静な口調で話をしていく。


「……五月のゴールデンウィークあたりにね。一度目の、本当の世界で、私と凌佑、大喧嘩してね? 今思えば、理由は大したことじゃなかったんだけど、仲直りできないまま、凌佑、事故に遭っちゃって。……喧嘩中の私の代わり、に、居眠り運転の車に当たっちゃって、打ちどころが悪かったみたいで。……病院で冷たくなった凌佑の体目の前にしたらさ……もう。あのときが一番泣いたんじゃないかな、私」


 真夏の夜、なかなか下がることを知らない東京の気温と裏腹に、僕の体温はスッと下がっていた。

 まるで、現在進行形で流れている僕の血も、何もかもが、偽りのものなんじゃないかって気がして。


「……け、喧嘩の理由って?」

 今聞くことがそれか、とも思えるけど、震え切った声音で僕は尋ねた。

「……私がやかんを空焚きしたことに凌佑が怒ったこと、それに私も売り言葉に買い言葉でね」

 梓は後悔を噛み潰すかのように、目を細めて、絞り出すように続けた。


「事故に遭った日の朝に、お母さんから凌佑のお母さんが亡くなった理由、聞いて。それで、だからあんなに怒ったんだって、なって」

 ああ、それなら僕も怒るな。


 僕の母は、とてもとても、超がつく間抜けな人だった。何かしらの忘れ物は日常茶飯事、ご飯が芯の残ったままだったりおかゆみたいにべちゃくちゃなのも通常運転。そんな、母親だった。


 そして、母の死因も最後まで抜けたもので。「混ぜるな危険」の洗剤を見事に浴室で混ぜてしまい、当時幼稚園児だった僕が気づいた頃にはもう手遅れ、という結果だった。いや、直接混ぜたわけではない。流し残っていたものと新しく使ったものが反応して、ってことだったんだけど。


「……謝るつもりだったんだ。でも、最後まで凌佑は私のこと『たかのさん』って呼んで怒ったままだったし、謝る間もなく、凌佑は車に轢かれるし……。せめて、せめて、仲直りだけは……したい、そう思って」


 梓はふと、テーブルの上に置いていた自分のスマホを手に取り、つけられている砂時計型のストラップを握りしめた。


「……無意識だった。別に、凌佑を生き返らせたいとか、そんなつもりは更々なかった。ただ、謝りたい、それだけを思ったら」

「……時間が巻き戻った」

「うん。……しかも、ちょうど私がやかんを空焚きさせるタイミングで。おかげでそもそも凌佑と喧嘩をすることはなくなったし、事故に遭うこともなくなった」


 ──だから、ね、


「……本当は結ばれるはずがない私と凌佑が付き合うことで、私に辻褄合わせが来ているんじゃないかなあ……」

 幼馴染は、そう言うと、目線を僕に向けたまま、ポロポロと光る涙を落とし始めた。


「なっ、なんでそれで梓にとばっちりが来るんだよ、それなら僕に来て本来の世界線に戻るほうが普通なんじゃ──」

「知らないよ。……凌佑だって言ったでしょ? そんなの、わかったら神様になれる。……きっと、私に怒ってるんだよ、これ以上何も求めるなって。だから、私に辻褄が合いに来ているんだよ」


 ……それじゃ、僕と梓は、絶対に付き合えない……って、ことなのか?

「……ねえ、凌佑」

 涙ぐんだ声で、梓は僕に問いかける。


「多分、ね。……もうしばらく放っておけば、所沢さんが凌佑に告白すると思うんだ」

「梓、ちょ、待って」

 言い出した僕にとって恐ろしいことを、慌てて遮ろうとするも、梓は止まらない。


「……だから、私のこと、忘れてくれないかな……? もしくは、嫌いになる、でもいいよ……?」

 何もかも、頬を伝う一条の光さえも、止まらない。


「なっ、何言ってるんだよ、そ、そんなことできるわけないよ!」

「じゃあどうすればいいの? 私が好きって言ったら私が死ぬ、何もしなかったら凌佑が不幸になる、これじゃ同じこと繰り返すだけだよ!」


「そっ、それはっ……」

「……無理なんだよ、きっと。……それなら、私が諦めればいいだけの話で」

 涙でくしゃくしゃになってしまった顔を、片手で拭っては、必死に浮かべた作り笑いで、梓は、


「……好きに、なっちゃいけなかったんだ……私は」

 自分の気持ちを押し殺すように、そう言った。


 駄目なのか、何か、何か方法はないのか? このまま、梓の言う通りにしないといけないのか?

 違う、それだけは、それだけは嫌だ。


「梓っ、待って、まだ、まだ何かあるはず。僕はまだ──」

 諦めたくない、そう言いたかったのに。


「十九回、私は凌佑の目の前で死んだんだよね? ……好きな人が死んじゃう悲しさは、私だって知ってる。たった一度でも、世界が真っ暗闇になった。凌佑は、その比じゃない量の経験をしているんでしょ……? ……これ以上、辛い思いさせたくない。私が諦める、それだけで終わるなら、私はそうすることを選ぶよ」

 終わらない、そんな方法で終わらせたくなんてない。


「凌佑が生きているだけで、私はそれで幸せなんだ。私じゃない誰かと付き合って、結婚して、子供もできて、仲睦まじい家族を作って、仕事だって頑張って、私の知らないところで生きてくれているだけで、それでっ……」


 心の底からそう思っているなら、せめて、泣きながら言わないでよ。嘘だって、本心じゃないってわかっちゃうから、

 五回目のときも、やり直すことを選んだのに。


 空になった食器を持って、梓は立ち上がった。きっと、家に帰るつもりなのだろう。それで、終わりにするつもりなのだろう。そう予期した僕は、咄嗟に立ち上がって、


「梓、待ってっ!」

 離れていく彼女の華奢な背中から、そっと抱き止めた。

「はっ、離して……今、今凌佑にそんなことされたら……」

 すると、ぷるぷると梓の両手が震えはじめて、


「……せっかく、諦めるって決意したのが、揺らいじゃうからっ……!」

 顔だけ振り向いては、潤んだ瞳を瞬かせ僕に懇願する。


「揺らがせているんだよ……。離すわけない。まだ、まだ僕は諦めたくない。何か、探せばきっとまだ何かあるはずだよ」

 けど、梓を離したくない僕は、抱き止める腕の力をちょっとだけ強くさせる。


「……あてはあるの?」

「これから、これから考えるから」

「……ノープラン過ぎるよ、凌佑」

「……褒め言葉として受け取っておくよ」

「べ、別に、褒めたわけじゃないのに……もう……」


 ようやく梓の食器を持つ手がダランと伸びたのを見て、彼女が落ち着きを取り戻したと悟った。両腕を彼女から離すと「……普段は鈍いのに、こういうときだけ思いきれるの、反則だよ……」と弱々しい声で呟いた。

 ひとまずは、ことなきを得た、のかもしれない。

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