11「どんな存在になった?」(2)


 エイトはその言葉を信じることにした。彼の言葉には、真実しかない。だから、信じる。信じたい。

「頼む。オレには……オレとデミが生きるには、それしかない」

「エイトさんは、もう……わかっているのですね?」

 エドワードの瞳が怪しく光った気がした。この世の暗部を溶かし込んだような漆黒が、真実の光を宿す。

「……オレの勘は、当たるんだよ」

 エイトには、生まれ持っての野生の勘がある。普通の人間には備わってない、獣の嗅覚というやつだ。その勘が警鐘を鳴らしている。この邸宅には、危険な悪意が渦巻いていると。人間の所業ではない邪悪が、デミの身に迫っているのだと。そして彼女を助けるその時に、その闇を暴いてしまうのだろうと。エイトの心がそう確信しているのだ。

 闇を暴いてしまったら、きっとこの街にはもう戻れない。相手は天下の豪商だ。この街の大きな柱と言っても過言ではない程、多大なる利益をこの街に落としている。金持ちの納税額なんてエイトには知る由もないが、皆が皆名前を知っている豪商なんて、街中探しても片手で数えられるぐらいしかいない。

 使用人――いや、実験の適合者を連れ去ったとなれば、きっと自分は罪人としてデザキア中に手配される。元よりデザートローズの所属であるエドワードは、その混乱に乗じて逃げるだろう。エイトとしてはその逃亡に、なんとか連れて行ってもらうしか生き残る術はない。

 老人の話を聞いていた時は、少し手の込んだ悪戯程度にしか考えていなかった。連れ攫われた幼馴染を助け出した、ただそれだけ。怪しい実験も、逃げてしまえばそこでおしまい。子供じみた考えだろうが、本当にそれだけで済むと考えていた。だって、上手くいけばデミも死なないし、本当に上手くいけばその実験の存在すらも、デミは知らないままに取り返せるかもしれないのだから。

 しかし物事は、エイトが考えていたより深刻だった。本部の特務部隊が既に忍び込んでおり、しかもその身を――視力すらも差し出して、この任務に臨んでいたのだ。そこにはこの邸宅を転覆させ、非道な実験を許さない本部の揺るぎない決定が、無機質な四角として刻まれていた。

「エイトさんは鋭いですなぁ……その通りです。おそらくフリン・スペンサーの実験のことを、特務部隊もある程度は掴んでいることでしょう。そして、その証拠を手に入れるために潜入している。証拠を得るためには多少の荒事も、仕方ないと考えていることでしょうな」

「忍び込んでるのはイース一人だと思う。他に仲間がいるなんて、聞いても真実を教えてくれるとも限らないから聞かなかったけど、多分、そんな気がする。あいつの目は……強者の目だった」

「おそらくそう、でしょうね。エイトさんのお話を聞くに、そのイースさんは特務部隊の精鋭と言われる『狂犬部隊』とも面識があるようですし、それなりに腕が立つはずです。得物が剣一本というところも気になりますし……」

「なんだよ? その狂犬部隊って」

 そう言えば、この邸宅に侵入する前にもこの老人の口からそんな言葉が出た気がする。特務部隊というもの自体が軍部内では充分に精鋭のはずだ。そんな部隊の中ででも、更に精鋭と呼ばれるような者達がいるのだろうか。

「エイトさんには少し刺激が強い内容かもしれませんが……最近噂になっている若い世代の部隊ですよ。デザートローズの調べでは、各地方出身者の寄せ集めながら非常に強固なチームワークで、一部では既に最強という呼び声もある、とか」

「若い、のか? イースは先輩って言ってたぞ?」

「軍部もそうですが特務部隊は特に、年齢での上下関係はありません。力のある者がより早く戦場に赴きます。戦場から無事に戻って、初めて一人前と認められるのです。きっとイースさんは、狂犬部隊よりは実力が劣るのでしょう。戦場に出た数では先輩でも、おそらくその先輩達の方が、年齢では下だと思いますよ。それこそ、エイトさんとほとんど変わらないくらいに」

「オレとほとんど変わらないのに、もう何度も戦場を経験してる奴がいるってのか?」

「稀な存在ではありますが、そういった者もいるのが戦場というものです。果たしてその力を自ら得たのかは、また違う問題になりますが」

 エイトはやはり井の中の蛙だったのだ。学生時代には想像もつかなかったような挫折感だ。だが、ここで打ちひしがれているわけにはいかない。デミのため、自分のために、エイトは立ち上がり、強くならなければならないのだ。

 エイトが決意を新たにしていると、エドワードが何かを考えるように腕を組んだ。しばらく無言の時間が続いて、そっと溜め息をついてから、エドワードはエイトに言った。

「イースさんの得物は、普通の剣だったのですね?」

「ああ。見た感じ、普通の軍用の剣だと思う」

「……この邸宅に使用人として雇われたのならば、武器の類は携行出来ないはず……その剣はおそらく、この邸宅内の装飾から拝借したものでしょう」

「持って入れないなら、現地調達ってわけか」

「いかにも特務部隊らしい手です。彼等は己の得物以外にも、あらゆる状況に対応するための訓練を受けています。元は鋭利なガラスか、装飾の剣か……考えればきりがありません。不確定要素ではありますが、こちらに敵対していないのも事実。このまま様子を見ましょう」

「あいつの目的とオレ達の目的は一緒、だろ? 邪魔するってことには、ならねーのか?」

「それもなんとも言えませんなぁ。鉢合わせしない限りは、邪魔になることもなさそうですがねぇ」

 ふぉっふぉと笑った老人だが、その目は笑っていなかった。この老人にもわかっているのだ。おそらくそう遠くない未来に、彼と敵対するであろうということを。

「……もし戦ったら、殺すのか?」

「……」

 エイトの問いにエドワードは答えなかった。ふぉっふぉと笑う口元から、エイトの望む言葉が流れることはなかった。それが全ての答えだと悟り、エイトがベッドから立ち上がろうとした瞬間、老人の乾いた手がエイトの手を引いた。

「そのイースさんは、エイトさんにとって、どんな存在になったのですか?」

「……イースは……死んで欲しくない。オレには同性の友達とか兄弟ってのがいねえから、あいつといるとそんな感じなのかなって、少し思ったんだ」

「……そうですか。それでしたら……」

 そこまで言ってエドワードも立ち上がる。すっと視線が高くなるのでエイトがその痩身を見上げると、今度はちゃんとその口から、「なんとか戦闘を避けてすむように、これから考えましょうか」と望む言葉をくれたのだった。

 その言葉にエイトが思わず抱き着くと、「私も、エイトさんには随分と甘くなってしまいます」と、エドワードは困ったような笑みを浮かべたのだった。

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