6「食事」(2)


 飲食店なんて初めてなので、きょろきょろしながら大通りをゆっくり歩く。エドワードも特に何も言わずに付いてくれていて、たまに看板にエイトが足を止めると、一緒に立ち止まって微笑んでくれていた。そしていつの間にか手を繋がれていて、エイトもついつい笑みを零してしまうのだった。きっと、周りから見たら仲の良い孫と祖父だ。もしかしたら、転倒防止なんて思われているかもしれない行為なのだ。こんなにも甘い感情に支配されているというのに。

 何軒かの店の前を通り過ぎて、エイトはまたひとつの看板に足を止めた。そこには南部ではなかなか見ない、白色の麺類のイラストが描いてある。

「おや、どうされました? この店が気になりますかな?」

「ああ。白色の麺なんて見慣れなくて……美味いのか?」

 看板を指差しながらエドワードを振り返ると、彼は目を細めながら笑った。その笑みがいつもと違うような気がして、エイトは目を離せなくなる。優しい、しかしいつもより柔らかい笑みだ。

「それは正式には『パスタ』というものですよ。クリーミーなソースが掛かっておりまして辛味はないのですが、この地方で食べる麺よりは硬い食感になります」

 どうやらエドワードはこのパスタという料理も食べたことがあるらしい。そして南部の料理との比較までして説明してくれた。全然具体的には想像出来なかったのは内緒だ。

「えらく詳しくね?」

「私の出身は大陸東部でして。故郷の味、というやつですな」

「へー……」

 口では無関心を装いながら、心では彼の知らない部分を知れて喜ぶ自分がいた。エイトの心境等きっと、この老人は見透かしている。だがそれを敢えて表に出すような人間でもなかった。

「こちらに?」

「ああ。この店にしようぜ。オレもパスタ、食べてみてえや」

 肯定はしたものの、これからどうしたら良いかわからないので、エイトはエドワードの後ろに続いて店に入ることにした。老人にしては逞し過ぎるその背中に安心感を覚えながら、彼が開けてくれた扉を抜ける。

 店内は石造りのグレーを基調としたシンプルな造りをしており、白を基調とした丸みのあるデザインが多い南部とは本当に、“地域が違う”と意識させる造りだった。自然の石の模様に見えるが、しっかりと手入れされており無骨さを感じさせない。所々に彩りのように赤や緑といった鉱石が埋め込まれた石のテーブルが、洗練された輝きを放っている。

 砂漠の白に見慣れたエイトの目には、この店内は少し冷たく感じる程だった。石造りからは暖かみを感じられず、テーブルの傍の椅子は辛うじて灰色に着色された木材だと気付く。

「東部は昔からスコールが多い気候でして、そのために石造りの建物が主流なのですよ。ひやりとした独特の凄みがありますが、職人の技を楽しんでいただけると光栄です」

 椅子を勧めながらエドワードがそう言うので、エイトも頷いてその椅子に座る。座ってしまえば外と何も変わらない室温だ。寒いと感じたのは視覚からの感覚に引っ張られただけなのだろう。慣れない環境に少しばかり緊張しているとエイトは自覚していた。

 エドワードも対面の席に座る。椅子の数的に二人掛けの席のようだが、石造りのテーブルは広い。宿もここに至るまでの道すらも、ずっと隣にいてくれた老人が少し遠く感じてしまって、エイトは渡されたメニューに目を落としながら、小さく溜め息をついた。

「看板に書いてあったのはこのパスタですよ。エイトさんはこれで良いですか?」

「ああ。オレはそれで良いけど、あんたは?」

「私は、そうですな……これにしましょうかな」

 そう言ってエドワードはエイトの持っているメニューの一品を指差した。メニューの文字は読めたが、このメニュー表には写真や絵が載っていないので、どういった料理かはわからなかった。

「挽肉を使ったトマトベースのパスタです。エイトさんの頼むものと違って、これは赤みのある料理になりますな」

「ふーん」

 店員を呼んで注文するエドワードを見ながら、エイトは自分に、もしも祖父がいたらと考える。

 エイトを引き取った両親の親は、エイトを引き取った時には両方とも既に亡くなっていた。貧しい生活のせいだろうが、スラム街やそれに近しい地域の寿命というものはとても短い。孫の姿を見ることが出来るなんて、なかなかないのではないだろうか。

 学校の教本で見た家族の話では、祖父母というものは孫に甘いらしい。いつも優しく微笑んで、親とはまた違う『愛情』を注いでくれる。長く生きているからこその生活の知恵なんてものもあるらしい。大概のことには寛容になる程に、深い人生経験を積んでいるのだ。

 穏やかに笑う漆黒の瞳。白髪ばかりのその頭だが、そこに老いというものを感じさせない軍人の顔を持つ。鍛えらえたその身体には、若さだけではどうにもならない強さを秘めて、その乾いた手先には心が擽られるような熱を帯びる。

 話に聞いていた『老人』というイメージとは全く違う。学校で、エイト達よりかは“裕福”な家庭の子が言っていた祖父の話は、『重い物を持とうとして腰を痛めた』だとか、『胃が弱ってるから油物を食べる気にならない』だとか、およそ目の前の老人とは無関係な話ばかりだった。

 そんなことを考えているエイトの鼻に、香ばしい香りが漂ってくる。店内にはそれなりに客が入っているが、エイト達以外はもう食事を始めている。今しているのはきっと、エイト達の頼んだ料理の香りだ。肉を炒めているであろう香りをその中に嗅ぎ取って、エイトの胸が高鳴る。香りだけでもとても美味しそうだ。耳を澄ませば油の跳ねる音まで聞こえてくる。

「……油……」

「どうされました?」

 ふと気になって呟いた言葉に、エドワードは穏やかに反応してくれた。エイトのどんな調子も見逃さないかのように、優しい視線をずっと向けてくれている。

「あんたって結局いくつなんだよ? 胃、とか……油物頼んで、良かったのか?」

 なんだか途中で恥ずかしくなってしまって、意図せず上目遣いになってしまった。そんなエイトの態度にエドワードは、初めて噴き出すように笑った。店内に響く程の笑い声で、穏やかな空気に店員達も優しい笑みをこちらに向けてくる。

「エイトさんにいらない心配をされないためにも、年齢ぐらいはお伝えしましょうか」

 まだ笑いが抑えられないようで、そこでエドワードは言葉を区切る。少し治まるまで待ってから、エイトの目を見て言葉を続ける。細められた漆黒には、孫を想う色合いなんてものはない。そこにあるのは確かに、情欲の色。いくつになっても失われない、いやらしい雄の色合いだ。

「私は六十二歳になります。どうやらエイトさんは散々心の中で、私のことを老人呼ばわりしておられるのでしょうが、厳密には『初老』と呼ばれる年齢ですな。もちろん胃腸の働きも問題はありません。パスタも好きな料理のひとつですよ」

「……ジジイには変わりねえだろ」

 図星だったがなんとかそう返していたら、丁度良いタイミングで料理が運ばれてきた。本当に助かった。

 テーブルに皿が置かれて、それを見てエイトは思わず、大きく鼻から息を吸い込んだ。ニンニクの利いた白色のソースがかかったパスタが、高級そうな白い皿に盛りつけられている。既に匂いから楽しめる料理だが、その色彩も素晴らしい。灰色のテーブルとコントラストはばっちりで、より一層彩りを加えているようだった。

「美味そう!」

「エイトさんの料理はクリームソースですので、違う味を楽しみたければ私の分も少しどうぞ」

 エドワードの前に置かれた皿には、オレンジとも赤とも言えそうな色合いに染まった挽肉がかかったパスタが盛り付けられている。エイトの分だけでなく、この皿もなかなかの量だ。

「元より東部のパスタ料理は、他の人とシェアすることを考えて作られています。量も多めになっているので、これだけ食べれば育ち盛りのエイトさんも、お腹いっぱいになるでしょう」

 そう言って、小皿に自分が頼んだパスタを取り分けてくれるエドワード。取り分けた量的に、確かに胃腸が弱っているようには見えない。セットでついてきたサラダもずいと押しやられた。しっかりと『残さず食べろ』ということらしい。

「老人扱いしたのは悪かったって。じゃあ、いただきます」

 不貞腐れながら食べ始めるエイトに、エドワードも笑い、パスタに手を伸ばすのだった。エイトがこれまでほとんど経験したことのない、暖かい食事というものが、老人との時間にもあった。

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