5「戦闘訓練」


 深夜二時。宿の外に広がる申し訳程度のスペースで、エイトとエドワードは向かい合った。ここは外観を美しく見せるための庭になっているスペースで、砂嵐対策のために乾燥に強い背の低い草花ばかりが植えられている。硬い表皮に包まれた種類が多く、エイト達が立っている中心部には、何の障害物もない。

「さすがに武器を振り回すわけにはいきませんので、素手での戦闘訓練とまいりましょうか」

「こんな時間にそんなことして、目立たねえか?」

「この宿は冒険者達が利用する宿ですので、武器の確認や訓練をされている方は少なからずおられるようです。外からも塀で見えませんので、大丈夫でしょう」

 ふぉっふぉと笑う姿はいい加減慣れてしまった。素手で構えもしない老人に、エイトは、しかし油断なく構える。

 相手からは凄まじいまでの戦場の気配を感じるのだ。心臓を掴まれたような冷気に生唾を飲み込む。喉が渇いた気がするのは、決して今も吹き荒ぶ砂嵐のせいだけではない。

 潤いの少ない老人の腕は、まだぶらりと下げられたままだ。その鋭い瞳だけが、エイトをじっと見据えている。

 エイトは目の前の老人を、『老人』だとは思わないことにした。その身から垂れ流す殺気そのままの、『軍人』だと考え直す。

 拳を握って目の前に構えて、足で軽くステップを刻むようにして動きに備える。決してその動きがそのまま焦りとならないように、呼吸の深さから意識して集中する。

 エドワードはまだ構えない。元軍人だというのならば、おそらくその構えも軍隊式のものになるはずだ。エイトもさすがに学校で習った範囲のものが、基礎中の基礎であることは知っている。自分を殴りつけた巡回の軍人達は、その動きを元にした更に実戦的な動きをしていた。

 武器を持った相手、もしくは自身が武器を持っていても応用の利くその武術は、この大陸の軍隊ではほとんどの者が習得するものだ。軍のトップのお偉いさんも、特務部隊の連中も、皆が体得している技術なのだという。

 エドワードに動きがないので、仕方なくエイトは自分から攻めることにした。本当ならば相手の動きを見ながら対応したかったが、ずっとこのまま睨み合いを続けるわけにもいかない。

 いくら深夜で目隠しの塀があると言っても、戦闘訓練というものはどうしても目につくものだ。エドワードの考えなんて、エイトにはお見通しなのだ。勉強に対しての頭の回転は悪いが、エイトは戦闘に関しての頭の回転、即ち勘というものはとても冴えていた。自覚もあるし、周りからもいつも褒められていたものだ。

 おそらくエドワードは、エイトとの戦闘訓練は『すぐに決着がつく』と考えているのだ。だからこそ、少しぐらいの時間なら目立つことはないということなのだろう。なめられているのだ、完璧に。

「ざけんなっ!」

 苛立ちを声に出してしまったが、これは自分は悪くないと思う。感情と共に振るわれた拳を、エドワードはひらりと横に飛んで避けた。最小限のステップで、まるで流れるように躱す。

 踏み込みもタイミングも完璧だった。真正面から放った拳だったが、そのスピードはエドワードの想像を超えているはずだった。エイトの動きは既に学生のものではない。それは講師として派遣されていた軍人にも言われたので間違いない。

 老人を追い掛けるために身体を捻って左の拳を突き出す。それも難なく避けられて、ついに老人からの反撃が来た。

「っ!?」

 構えすらもなく、そのまま鋭い手刀を突き込まれた。危うく首に当たるところだったが、その鋭い攻撃を身体を捻ってなんとか避けて、その勢いで苦し紛れに回し蹴りを放つ。

 バン、と激しい打撃音が響く。確かに命中はしたが、その感触にエイトは舌打ち。エドワードはエイトの蹴りを腕でガードすると、老人とは思えない力で戻す前の足をそのまま掴み取る。

 ぐんとエイトの身体が宙に浮いた。

 一瞬の気持ちの悪い浮遊感の後に、地面に上半身から叩きつけられたエイトは、それでも両腕で顔面は庇っていた。バウンドした瞬間に庇っていた腕を地面につける。腕の力で強引にエドワードの拘束から足を引き抜くと、すぐに体勢を立て直して飛び退るようにして距離を取った。

「なかなか良い反応をしますなぁ」

 汗ひとつ掻かずにそう言って笑うエドワードに、エイトは苦笑いしか返せない。ここまでの手順で一発も有効打を当てることが出来なかった。今までエイトが相手した者達は、皆、最初の一撃、もしくはそこからの連携で失神するか驚くかしていたのに。

「おいジジイ、本気で戦えよ」

 笑顔の老人に、エイトは敢えて挑発するように言った。それはエイトの本心であった。

 目の前の老人の本気の動きを見てみたくなったのだ。それは強者を求める武人の思考で、高みを目指す挑戦者の目だった。エイトの心を読んだように、エドワードの笑みの質が変わる。

「私が本気を見せてしまえば、貴方は人の形を留めることが出来ないでしょうな。ですが……」

 老人の腕がすっと上がる。まるで挑発するかのように、エイトに向かってそのピンと張られた手刀の先を突き出し、曲げる。腰を落として半歩後ろに下がったその構えは、軍隊式の構えではない。古い武術のスタイルに似ている気がする。

「エイトさんの心に応えることは、私の幸せになってしまったようだ」

 そう言いながら放ったエドワードの一撃に、エイトは目で追うことすら出来ずに意識を刈り取られたのだった。

 時間にして数分程だろうか、地面にそのまま放置されていたエイトが目を覚ますと、エドワードは「おはようございますエイトさん」と笑顔になり、手を差し出してきた。

 頭と共に身体の感覚もはっきりしていたエイトはその手には応えず、「クソジジイ」と悪態をつきながら自力で立ち上がった。笑顔に安心したなんて言えない。あの鋭すぎる殺気を発する瞳じゃなかったから、だから安心したなんて。

「……何なんだよ、あの構え。あれがジジイの本気だってのか?」

 立ち上がっての一言目に、エドワードはまたふぉっふぉと笑った。激しく動いたにも関わらず、その姿にどこにも乱れはない。呼吸も髪も、ただ静かに穏やかに。

「あの一撃が本気、というわけではありませんが。構えは披露させていただきました。南部の軍での型式とは違う、私のオリジナルになります」

「……それ、教えてくれよ。オレはもっと強くなりてえんだ」

 訓練前の間合いのままで、エイトはエドワードに頭を下げる。本来ならば訓練前に行うべきその行為に、エドワードは満足そうに笑った。

「もちろんですとも。さあ早く打ってきなさい。私の技術をエイトさん、貴方の心と身体に叩き込んで差し上げましょう」

「その『さん』付けがよぉ、ずっとむず痒いんだよなぁ」

「……それでは、なんとお呼びしましょうか?」

「エイトって、呼び捨てに」

「……私の背を預けられるようになってから、考えてあげましょうかね」

「クソジジイ」

 笑って言ったその言葉には、きっと悪意以外のものが潜んでいるはずだ。そのことを自覚しながら、エイトはエドワードに飛び掛かる。

 老人がしてくれた約束を、いつか真実にするために。真剣に打ち込む戦闘訓練というものはエイトにとって初めての経験で、そしていくら打ち込んでも相手にこれといったダメージを与えられないことも初めてだった。

 夢中で過ごす時間は早く経つもので、結局二人は明け方近くまで熱心に訓練に打ち込むことになったのだった。

 さすがにそろそろ寝ないと屋敷への侵入に支障が出ると、部屋に戻ったのが早朝五時前。べたつく汗が不快なために軽くシャワーを浴びてから、エイトは倒れるようにして眠りについた。勝手に閉じていく視界の中で、エドワードが部屋から出て行く後ろ姿を捉えた気がした。

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