南15・雨天決行

 ジーグン暦1027年12月25日。早朝6時。夜明け前の闇に沈む南方司令部の参謀次長室に、黒月はいた。


 今日は奇襲作戦実行当日。予想どおり、この一週間は雨が降り続いている。今日も冷たい雨が降りしきり、窓を叩き、滴る。


 奇襲は、夜明け、つまりは日の出と同時に開始される。ミラレットらペンギン隊一行は一昨日の内にリスカフに戻った。そして、作戦通り、本日明朝に海中飛行を開始したと連絡が入っている。予定通りいけば、日の出の時刻には山脈を越え、Ⅱ駅近くに到達するはずだ。


 黒月は、参謀次長室の真ん中に置かれているソファーに腰掛け、特製の砂糖入れすぎの紅茶を嗜んでいる。まだ空調が効いておらず冷たい室内に、紅茶の湯気と黒月の息が白く曇る。


 本来なら、ここに桂樹かつらぎがいるはずだったのだが、今日は金曜日。しかも聖祝福記念日ということで、桂樹は休みを取っている。参謀次長はふたりいるから、片方がいればいいだろうという上の判断で、奇襲作戦実行当日にも関わらず、桂樹は休みを取れた。


 黒月は、紅茶をまた少し口に含み、鼻から香りを抜いて、嚥下したあとに軽く息を吐く。窓に映る広大な庭には、未だ夜の静けさが漂っている。流石に、朝4時からこの部屋で待機している黒月は眠気にまとわりつかれているようで、重いまぶたを手の甲で擦る。


 「うーん。ちょっと眠いな。まだ奇襲開始までは時間があるし、ちょっと横になるか。」


 黒月は誰へとでもなくそう呟くと、ソファーに横になった。もちろん、黒月は作戦実行中に寝るつもりなんてなかったが、眠気を抱えた状態でソファーに横になったら、寝てしまうに決まっている。


 ご多分に漏れず、黒月もいつの間にか眠りについてしまった。スヤスヤと寝息を立て、黒月はソファーに沈んでいった。





 場所は変わって半島東沖の海中。ミラレットらペンギン隊一行は、海中を飛行していた。夜の黒と雨の音に隠れ、敵に察知される様子は全くなく、Ⅱ駅の真東付近まで順調に飛行してきた。


 ミラレットは、計器を見ながら隊の先頭を飛ぶ。計器の示す緯度がⅡ駅と同じ数値になったところで、浮上するためだ。数値がその値に近づくにつれ、ミラレットは速度を落とす。


 そして、隊がちょうどⅡ駅の真東に来たところで前進をやめ、後続の隊員に向かって浮上の手信号を送る。隊員たちは合図を受け取ると、次々に浮上してゆく。


 隊員の皆が無事に揃っていることを手早く確認すると、ミラレットは海中マスクを海に投げ捨てた。未だ暗い海上ではあるが、特注の飛行服に身を包む隊員たちが良く見える。隊員たちも、ミラレットに倣ってマスクを脱ぐ。


 脱ぐのはマスクだけではない。背中に背負う銃が濡れないように包んでいた防水の銃ケースも、サッと取り去る。


 「それでは、これより山脈を越え、Ⅱ駅の奇襲に向かう。これ以降は、というより既に我々は敵陣地後方に侵入している。くれぐれも隠密飛行・隠密行動を心掛けるように。それでは、行動開始!」


 ミラレットの声量控えめな掛け声に合わせて、隊員たちは皆一斉に陸地へと向かっての飛行を開始する。数時間ぶりの空中飛行に、若干の違和感を覚えながら、冬の洋上を飛んで行く。


 陸地に着くと、とは言ってもそこは既に山脈の裾野だ。所々は崖のように切り立っている。隊員たちは、飛行服から水を滴らせながら、山脈の山肌に沿ってグングン高度を上げてゆく。


 「さ、寒いですね。この特注の飛行服じゃなっかったらもう凍え死んでますよ。」


 ミラレットの横を飛ぶキールが、震えた声でミラレットに話しかける。体は飛行服に守られているが、顔はむき出しなので、風をもろに受けてかじかむ。


 「ええ、こんに南下してきても、高度が上がるとこんなにも寒くなるなんてね。技術課に感謝ね。あ、技術課と言えば――」


 ミラレットはそう言いながら、胸ポケットにしまっていた、黒月から渡された液晶が付いた新型無線機を取り出す。特にまだ司令は来ていない。いや、むしろこの段階で変更があった方が困る。


 「なんですか?それは?」とキール。


 「ああ、これは新型の無線機よ。声を出さなくても通信できる新型。それより、これからもっと敵地に近づくんだから、あまりしゃべらないの。ほら、もう少しで山頂に着くんだから。」


 そう言うと、ミラレットは前方を指さした。山脈の尾根付近は、万年雪が覆っている。


 「ええ、そうですね。集中しなくては。」


 キールはそう言うと、加速してゆくミラレットの後に続いた。隊員たちも、ふたりの後に続く。


 それから、ペンギン隊は敵に察知される様子は一向になく、無事に山脈を越えた。山脈を越えれば、眼前に広がるのは広大な平野。ジークメシア帝国は、この肥沃な大地を欲して、戦争を始めたのだ。


 ミラレットは、隊員全員が揃っていることを確認すると、サッと手信号を出した。隊員たちはそれに合わせて、慣れた三角編隊でⅡ駅に向かって西進を始める。


 その時、平野を飛ぶペンギン隊の後方、山脈のある東側から、太陽が顔を出した。いや、正確に言えば、雨天なので太陽は見えない。しかし、空が白み始め、それが夜明けを知らせている。


 そんな白む空の下、雨に打たれながら飛行を続けるペンギン隊の前方遠くに、Ⅱ駅が見えてきた。先頭を飛ぶミラレットは、双眼鏡を取り出してⅡ駅付近の様子を観察する。


 「待て!」

 

 双眼鏡を目に当てた途端、急にミラレットがそう叫んだ。


 「な、なんなのよあれは……!?」


 双眼鏡を持つ手を細かく震わせながら、同様に声まで震わせるミラレット。


 「ど、どうしたんですか?隊長。一体何が見えたんですか?」


 ミラレットの横で止まったキールが、ミラレットにそう問いかける。ミラレットは、無言で双眼鏡をキールに手渡す。


 キールは、恐る恐る双眼鏡を目に当て、Ⅱ駅を見た。

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