第27話 Gの壁

〘マトリックス・レルム〙



 天才科学者タケウチ・サカキが地球連邦政府からの依頼で作った5機の新型ブランクラフトには付けず、同時期に甥のミカド・アキラのため私的に作ったルシャナークにのみ搭載したもの。


 戦闘中のパイロットを超集中状態〔ゾーン〕に誘導するこの装置を連邦が知っていたのは、サカキからルシャナークの設計図を提出されており、そこに記されていたから。


 だが、その段階では未完成だった。


 その方法はコクピットのスピーカーから不可聴領域のピンクノイズを流してパイロットに聞かせるというもので、ハード面では共通規格のコクピットにわずかな改修をするだけで済む。


 問題はソフト面。


 一口にピンクノイズと言っても様々で、どのような音をどう聞かせれば最も効率よくゾーンに入れられるのか?


 サカキが試行錯誤の果て、その解を得てマトリックス・レルムが完成したのは、ルシャナークの設計図を提出したあとだった。


 そして、その解をサカキは連邦に報告しなかった。する義務もない。連邦も求めなかった。マトリックス・レルムは要は催眠術で、胡散臭いという先入観から自軍には不要と判断したからだ。


 そのため再現はできない。


 それでいい、はずだった。


 ところが。


 過日、西太平洋で地球連邦艦隊とルナリア帝国艦隊が激突した戦場に、民間人のミカド・アキラ少年が伯父サカキから贈られたルシャナークに乗って闖入。


 帝国軍に襲われ、マトリックス・レルムの補助によってゾーンに覚醒、逆にその空域にいた帝国軍のブランクラフトを1機残らず撃墜した。


 アートレスかつシミュレーターで操縦を覚えてはいても稚拙なレベルでしかない素人が、ジーンリッチかつ本職のパイロットが操る機体を──だ。


 なんと劇的な効果か。


 連邦は手のひらを返してマトリックス・レルムを欲したが、その時の戦いに負けて帝国に日本を制圧されたため、日本にいたサカキも彼が保管していたデータも回収できなくなってしまった。


 ならば戦闘中に気絶したアキラ少年を保護する際に確保した、ルシャナークに搭載されたマトリックス・レルムの実物を解析するしかない。


 マトリックス・レルムは機体が稼働中は常に作動している。しかし、ルシャナークは生体認証によってアキラ少年でなければ起動・操縦できない。


 連邦はアキラ少年に協力を請うた。


 そして快諾され、ハワイ州オアフ島の真珠湾で入渠中の宇宙戦艦アクベンスの格納庫にて、最初の実験が行われた。


 その内容は──


 マトリックス・レルム作動時、どのようなピンクノイズが流れているのか確かめるためコクピット内にレコーダーを設置。


 また脳波の状態からゾーンに入っているか確かめるためアキラ少年に脳波測定器を内蔵したヘルメットをかぶってもらう。


 アキラ少年にはその状態でルシャナークに乗ってもらい、機体を起動して出力を最小限に絞り、格納庫を歩かせてもらった。



 結果──



 すぐレコーダーにピンクノイズが録音されたが、アキラ少年の脳波がゾーンに入っていることを表す周波数9~12ヘルツを示すことはなかった。


 マトリックス・レルムの効果はゾーン突入への補助。ある程度は自身でゾーンに近づく必要がある。先の戦闘でもアキラ少年は絶体絶命になるまでゾーンに覚醒しなかった。


 元々ゾーンとはそういうもの。


 リラックスしつつ、高い目標を達成するため集中力が研ぎすまされた先で突入する。機体を歩かせるだけでは簡単すぎたのだ。


 また……アキラ少年の脳波の変化に応じてコクピットに流れるピンクノイズの曲調が変わっていることが確認できた。


 マトリックス・レルムは同じ曲を流しっぱなしにしているのではなく、その時々のパイロットの脳波に合わせて最適な曲をかけているらしい。


 つまり。


 ゾーン突入時、継続時にどういう曲が流れているかまで確認しなければ完全再現はできない。そのためにはアキラ少年にゾーンに入ってもらわねばならない。


 そのためには機体に乗ったまま高い集中力を要する作業を、戦闘をしてもらわねばならない。もちろん殺しあいではなく、模擬戦だが……


 他の問題が。


 アキラ少年はパイロットになる訓練を受けておらず、実機での高機動時に肉体にかかるジーの負荷に耐えられない。


 Gとは物体を動かす見かけ上の力、慣性力。その代表が重力グラビティであるため、グラビティGRAVITYの頭文字を取って〔G〕を単位とし、地球上の標準重力を1Gと定めている。


 ブランクラフト──に限らず乗物全般──を操縦する時、肉体は様々な方向へのGを受ける。


 操縦とは半ば、このGとの戦い。


 地球では常に下に向かって1Gで引っぱられているし、機体が加速すれば進行方向の逆へと押しつけられるようにGがかかり、機体が回転すればその外側に向かう遠心力のGがかかる。


 これらの合力が体軸に沿って下向きに強く働くと血液が足下へと引っぱられ、上のほうへの供給が滞る。そうなると血液から酸素を受けとれなくなった細胞が諸々の障害を起こす。


 まず3Gで眼球が酸欠になって視界が狭くなり白黒に染まる〔グレイアウト〕に、さらに4Gでは完全になにも見えなくなる〔ブラックアウト〕に陥る。そして5Gでは脳の酸欠からGによる意識喪失Loss Of Consciousness by G-force──



 〔G-LOCジーロック〕になる。



 それが先の戦闘でアキラ少年が敵機を一掃したあと気絶した原因だと、運ばれた先のアクベンスの軍医が診断している。


 気を失ったアキラ少年は操縦できなくなって機体は墜落した。イシカサ大尉の機体が受けとめていなかったら、海面に叩きつけられた衝撃で死んでいたかも知れない。


 ゾーンは集中力は高めても肉体を強化してはくれない。


 その集中力によって雑念が消えることには弊害もある。


 アキラ少年はゾーンによって驚異的な操縦技術を発揮こそしたものの、その操縦によって肉体にかかるGに対処する術はなく、その苦痛を〔雑念〕として意識から除外して戦いつづけた結果、肉体が限界を迎えたのだ。


 今また実戦さながらの操縦をすれば同様の結果になる。アキラ少年が充分な〔耐G能力〕を得なければ実験は再開できない。


 それこそ正規パイロットが訓練で身に着けているもので、より高いGを受けるまで諸症状が発生しないよう抑制できる。


 ミカド・アキラの耐G訓練が始まった。

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