厄日

 朝、ちょっとはマシになった残暑のぬるい空気をあくびで噛み殺しながら正門をくぐり、俺には理解できない何故か朝からテンションの高い生徒たちでにぎわう地獄の中を誰にも目を合わさないように廊下を歩いて教室に入ろうとしたとき、ただならぬ気配を感じてとっさに身をかがめ、そっとドアの窓から教室の中をうかがう。


 は? なにあれ? なんで俺の席の周りに見知らぬ女子が集まってんの?

 犯人は遠山か? 一体何したんだ? 奴らは何の目的で俺の席の周りに集まってるんだ?

 ってかこの状況どうする? とりあえず校内をうろついて始業ギリギリで戻ってくるか……


「おっはよー、オカケン」

「うわっ!?」

「なによ。おばけが出たみたいに。普通に挨拶しただけじゃない。なにしてんの? ひとりかくれんぼ?」


 なにが悲しくて朝っぱらから一人でかくれんぼしなきゃならないんだよ?

 などという疑問を持つ資格はひとりかくれんぼでひどい目にあっている俺にはない。


「……おはよう遠山さん。えーと、あれ、なに?」

「ん、なにって? あー、みんな私の友達だわ。てか、昨日呼び捨てで良いって言ったっしょ」

 この状況でそこにツッコむのかよ。


「いっ、言い慣れないからさん付けいいよ。それより、なんで俺の席に遠山さんの友達が集まってるの?」

「ん〜? そいえばなんか、昨日オカケンに教えてもらった逆こっくりさんをしちゃだめな理由と一緒にくろちゃんと撮った自撮りをシェアしたら、他の怪奇現象も解決してもらいたいってリプついてたなー。やったねオカケン。人気者じゃん」

「はぁ?」


 人気者になりたいなどという願望は俺にとって世に溢れるオカルト話以上に謎だ。

 遠山はなんで俺が人気者になりたがってると思うんだ?


「まぁま、これもオカルト研究部の仕事っしょ」

「ええ……」

「きしし、私も手伝うからさ。このままだと廃部まっしぐらだよー?」


 悪戯っぽく笑う遠山は俺を気遣うように見せかけつつ、さすがに痛いところを突いてくる。我がオカルト研究部は俺の卒業を待たず来年にでも消えてしまうかもしれないのだ。


「はぁ…… わかったよ」

「よっし、決まりぃ! みんなーおはよー! オカケン連れてきたよー!」


 仕方なくため息とともに承諾の言葉を吐き出した途端、遠山は勢いよくガラガラと教室のドアを開け、よく通るデカい声で教室中に挨拶する。


「はぁっ!? いきなりかよっ!」

「あ、おはよー。まつりん。あっ、その人がオカケン君?」

「そだよー。昨日話してた」

「おはよう。オカケン君」

「おはようございますっ! オカケン先輩」

「オカケンさん、よろしくお願いします!」

「おっ、おはよう……」


 にこやかにあいさつしながら俺の席に向かう遠山に続くと、見知らぬ女子達からの注目を集めながら「オカケンさん」「オカケン君」などと呼んでくる女子のひとりひとりに挨拶する。

 いや、初対面のお前らにオカケンと呼ばれる筋合いねぇよ。


「まつりんから聞いたよ。稲荷寿司消失事件も見つからない黒猫ちゃんもオカケン君が解決してくれたって」

「えーと、解決っていうか……」


 この場を取り仕切っていたであろう俺の机に腰かける気さくで緩い女子委員長が足をぶらぶらさせながら言う。

 立場上俺ともたまに会話をする数少ない女子のひとりで、このクラスで遠山の次ぐらいに人気があるらしい。


「逆こっくりさんのこと、オカケン先輩の言う通り絶対しないようにみんなに伝えました!」

「あー、そう。それは良かった」


 中学生に見間違えるくらいの小動物系女子の後輩は生徒会役員と各部部長の集まりで見かけたことがある意外としっかり者の一年生女子代表だ。ってか俺の本名も知ってるはずだが?


「この調子でほかの未解決事件もお願い。急に変な話が広がって、怖がりな子が不安がってるのよ。こんなこと先生も取り合ってくれないし、頼めるのはオカルト研究部部長のオカケン君しかいないの」


 その理屈は分からないでもないけど、奴らのやらかしの尻ぬぐいをこの場で安請け合いするのは絶対に嫌だ。


「と、とりあえず、もうすぐ授業始まるから、また後にしない?」

「もー、みんな急に押しかけてくるからオカケンが困ってるじゃないのー」


 お前が言うのか。遠山よ……


「それじゃ、今朝のところはこの辺にしましょ。ありがとうオカケン君」

「ほらほら、みんな自分の教室に帰りなー」

「はーい、それじゃまつりんもみんなもまたねー オカケン君もまた後でよろしく」

「よろしくよろしく」

「ぉぅょ」


 委員長と遠山が号令をかけると集まっていた女子たちは揃って「失礼しました」と教室を出ていき、見送った委員長も自分の席に戻る。こういう時の女子たちの結束力はあなどれないな。


「んで、どうすんの? オカケン」

「はぁ、どうするって言われてもなぁ……」

「ま、とりあえず放課後まではあの子達の相手しといてあげるから」

「ぉぅよ」


 ってか、どうすればいいんだよこの状況。

 クラス全員の奇異の視線を集めながら荷物をロッカーに入れて人の捌けた自分の席に座り、周りも見たくないから突っ伏して机の天板に頬をつけて頭の中を整理するが、委員長が尻に敷いていたぬくもりと鼻をくすぐる花の匂いで集中力が乱される。

 遠山が言ってた六不思議のうち、いなり寿司消失事件と見つからない黒猫と逆こっくりさんはとりあえず解決済みとして、残り三つはなんだっけ?


 えーと、リリがやらかした食堂の前にあるでっかいタヌキの置物にふんどしがつけられてたふんどしタヌキ事件と、誰もいない音楽室から童謡を歌う声が聞こえる音楽室の幽霊事件と、あとは、夕暮れの校舎裏で小さな女の子が鞠つきして遊ぶ影を目撃したって話だったか……

 悲しいことに、昨日奴らを問い詰めてこれらの三つは裏が取れてる訳だけど、悲しいことに、今から俺はこれらの三つをもっともらしく解決しなきゃいけないって訳だ。


 それから俺は朝のホームルームで苦悩し、一時限目の英語を上の空で注意され、二時間目の数学の難問と事件をごまかす難問に頭を悩まされ、三時限目の体育はくそ暑い体育館でペア組みにあぶれてやる気ゼロのマイルドヤンキーと組まされ卓球のまねごとをする地獄の時間を過ごし、四時限目の全てをあきらめた古典でとりあえずの解決方法を思いついた。


 そして、昼休みを告げる四時限目のチャイムが鳴り響いてすぐに遠山が俺の元にやってくる。


「やっほー、オカケン。随分考えてくれてたみたいだねぇ」

「……まぁね」


 おかげさまで学校生活の地獄の深度が一つ下がったよ。


「それで、謎は解けたのかね? オカケン君」


 そんな気持ちを知ってか知らずか、遠山は探偵小説だかに出てくる主人公に難事件を押し付けてくる偉い人役のマネをして胸を張りつつ先端が丸まった口ひげを伸ばす仕草をする。


「原因はいくつか思いついたけど、調査してみないと何とも」


 ウソだけどな。原因は奴らの仕業だととうに解っていて、本当に必要なのは偽装工作だ。


「そっか、大変だね。私たちのために頑張ってくれてありがと。これ、今日のお礼ね」

「お礼は別にいいって言ったのに……」

「まぁま、そう言わず。じゃじゃーん! まつりん特製のお稲荷弁当だよ。しかも二つ!」

「何で二つ?」

「一つはお稲荷様に上げる用の筈だったんだけど、今日は私のは選ばれなかったみたいで残ってたのよね。だからオカケンにお供えしようと思って」

「お供えしても何のご利益もないよ」


 俺の皮肉に「きしし」と笑いながら手作り感あふれるきんちゃく袋からブルーとピンクの蓋のついた稲荷寿司が丁度三つ入るくらいの大きさのタッパーを二つ机の上に並べ、洗わずにそのまま返してくれたら良いよ、ときんちゃく袋をたたんでその横に添える。

 こういうところは見た目や言動から受けるギャルの印象とは正反対だ。それも人気の理由の一つなんだろう。


「じゃ、忙しそうだからこれで。また放課後ね」


 手のひらをひらひらさせて出ていく遠山を見送った後、クラスの男子全員の殺気のこもった視線から逃れるように二つのタッパーをきんちゃく袋に戻して急いで部室に向かった。

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