第21話

 このバリャ・クリーアは中央に流れるリフィー川を境界とした北と南で分けることができる。南の新市街は石畳が裏道にまで敷かれ、多くの店が出展し、活気に満ちた綺麗な街だ。


 対する北が旧市街と言われる区画だ。敷かれている石畳は極わずかな大きな通りだけで、それすらも所々欠けており土が見え隠れしている。比較的整っているとは思うが、新市街と比べると荒れているとか、遅れているという印象を受け、雰囲気も貧しいものを感じる。


「なんか、見られてるね」


 ティッカさんが小さく言った。

 俺たちがいるのは旧市街でもかなりの裏の道。ここまで来ると道は凸凹で、水はけが悪いのか乾いた道の中に水たまり残っていた。立ち並ぶ背の低い家屋も古びており、何度も修繕しただろう痕ばかりだ。


 すれ違う度に向けられる視線には奇異なものを見るものが多かった。


「仕方ありませんよ。明らかに場違いな服装ですから……」


 控えめに言う羽白だがその言葉は間違っていない。

 俺たちと旧市街にいる妖精とでは、服に使われている布の質が明らかに違うのだ。それに加え俺たちは身なりを清潔に保っているが、彼らはそれを保てていないし、きっと保つ余裕がないのだろう。肉付きも違うし。


 俺としては特に思うことはない。外の存在である俺が彼らに出来ることがないからだ。羽白は表情からは読み取れないが、多少は気にしているように見える。それがどのような理由によるものかは不明だが。

 ティッカさんは違う。旧市街に入ってから体は強張り、視線は右往左往し、引き寄せられた眉が苦悩を語っている。


「そろそろで引き返しますか?」


 羽白のそれは質問というよりも、ティッカさんが歩みを止めないようにとかけられたものだった。

 そしてティッカさんは期待通りに首を振り、


「……いいえ、もう少し見てから戻りましょう」


 これは見なくてはいけない気がするの、と。

 旧市街のほとんどを回り終える頃には太陽は沈み月が灯り始め、それに伴って明暗がよりはっきりと浮かび上がった。文字通りに、だ。

 旧市街の明かりは蝋燭や松明だ。揺らめくオレンジの光と共に、熱やら匂いやらが壁や扉の隙間から道に漏れ出ていた。対して夜を無くしそうなほどの灯りに満ちているのが輝鉱石を大量に使っている新市街だ。おそらく、ナバンに次ぐ量の輝鉱石が使われているのではないだろうか。

 たった一本の川で隔たれいるというだけなのに酷く遠い場所のように感じた。闇に沈む旧市街から見た、光に満ちる眩い新市街の光景は忘れないだろう。忘れられない。



***

 


 新市街の一画。光が抑えられた優雅な空気と程よい潮風が感じられる、大きな家が集まった場所。ここにティッカさんの叔母であるエクル・ティッカさんが住んでおり、そこに滞在させてもらっている。エクルさんに顔を見せることは、旅を始める時にティッカ母に言われたことでもあるらしい。


 正直、ここで聞ける話には期待していないというティッカさんからすれば、エクルさんに会うことが主目的で他はついでだ。


 海の見えるエクルさんの家もそれはもう立派だ。クリーム色の塗り壁と白い砂の庭が、産出量の少ないという青白い光を放つ輝鉱石でライトアップされている。間取りも一人暮らしには多すぎるくらいだ。


 月と星と輝鉱石に照らされる中、庭に並べられた席に座っているエクルさんが問う。ティッカ父の妹さんらしいの相応に年を取っていると思うのだが、お酒に潤った瞳とそれを隠すように伸びたまつ毛が随分と色っぽい。


「どうだったかしらライラちゃん」

「……私が子どもの頃よりも酷くなってるよね?」

「確かにそうねぇ……。小さくて可愛かったわね」


 エクルさんはふふふ、と目を蕩けさせる。ティッカさんの幼い頃を思い浮かべているのだろう。


「おばさんは、どうして旧市街のことを私たちに教えたの?」


 消え入るような声だ。

 昨夜、久しぶりの姪との再会に喜んだエクルさんは豪華な晩餐で「旧市街、見てみるといいわよ」と零した。何も知らなかった俺と羽白は疑問を抱いたが、ある程度のことを知っていたティッカさんはもっと疑問を抱いていた。その答え合わせが今日のことだったのだ。


「老朽化の激しい旧市街から綺麗で快適な街を作ろうと目指したのが新市街。港と造船技術でナバンと並ぶ商業都市。でも、その目覚ましい発展の影では、旧市街に住む妖精たちが犠牲になった。結果、旧市街と新市街の間には格差が生まれてしまった。……ライラちゃんはどう思う?」

「……格差があるのなら、無くさないといけないよ」

「だよね」


 ふぅ~、と吹いた息は酒臭い。


「じゃあ、その格差を無くすにはどうしたらいいと思う?」


 暗闇の向こう側から響く波の音が静けさを許さない。一つ鳴って思案、二つ鳴って迷走、三つ鳴ってようやくティッカさんが答える。


「わからない」

「ふふ」

「もう、なんで笑うの?」

「ごめんなさい。でも、嬉しくて笑ったのよ」


 嬉しそうに語尾を跳ね上げたエクルさんは、グラスに残っていた飴色の液体を飲み干した。


「どうしたら、なんて聞いたけど、実は私だってどうしたらいいかわかってないの。だから聞いてみたんだけど、あんなに悩んで出した答えがわからない」

「だって、わからないから」


 今度はティッカさんが飲み干した。

 エクルさんが手の中で揺らすグラスに視線を落とした。


「それはね、真剣に考えてくれたってことでしょう。……この間、旧市街の子どもが食べ物を盗んでいたの。気が付かれていなかったけどその時は代わりにお金を払って、今は食べ物をあげたりして、もうしないように言ってる。でも、それじゃあなんの解決にもならない」

「うん」

「私にはそれくらいし思いつかないしできないけど。さっき真剣に考えてくれてるライラちゃんを見てね、あなたなら他に何かしてくれるんじゃないかなって思ったの。だから嬉しかった」

「……わたしだってなにもわかないよ」

「今はね。私だって諦めたりはしないわ。でも神殿仕えの中でも端くれの私とは違って、ライラちゃんは将来有望なバルドじゃない。できることも、知っていることも違うわ。……でも、まあ、これは私の願望であって、気が向いたらでいいの。ライラちゃんにはライラちゃんがしたいこととか、しなくちゃいけないことがあると思うし」

「ここまで話してそれは、狡い」

「ふふ、狡さも賢さの一つよ。……でも、もし暇があるのなら詩を語ってあげて。きっとあの子たちも喜ぶと思うから」



***



 エクルさんが酔いつぶれた。ティッカさんが夜風で体調を崩さないようにと、寝てしまったエクルさんを室内に移したのはついさっきのことだ。ティッカさんはブランケットを人数分持って戻って来た。


「なんで何も言わなかったの?」


 ありがとうございます、と受け取ったブランケットに包まった羽白が苦笑いする。


「とても、加われる雰囲気ではありませんでしたから」

「でも、カサネかクラミ―なら何か浮かんだじゃないの?」

「私はまったく」

「俺も、特には」

「えぇ、本当に……?」

「そうですよ、倉見さん」

「そうせがまれてもでないよ」


 こういうことについては絶対に羽白の方が頭は働くだろう。俺に詰め寄るその瞳には、本当はどうしたら解決できるかが見えているのではないかと、そう思えてならない。

 俺の反応に納得していない様子のティッカさんだが買いかぶり過ぎだ。


「う~ん」

「何ができるか考えているんですか?」

「うん」

「それならエクルさんが言っていたじゃないですか。詩を語ってあげてって」

「そうだけど、それだけでいいのかな?」

「駄目なんですか?」

「だって、エクル姉さんの言うように根本の解決にはならないじゃない」

「ライラさんの詩は心が救われるものだと思います。それはとても大事なことです」


 ナバンでは多くの妖精たちの心を掴んでいた。アーマーでは自身の語りが受け入れられないという状況に出会った。クノックでは語らない方がいいことがあると知り、語らない選択をした。キラーニーでは語ることの楽しさに出会い、同時に語りの継承をどうするのかという問題を抱えた。

 そしてここでは語るべきだと暗に伝えられた。語るべき相手がいると言われた。


「何を、語ればいいの? 心が救われる、じゃあ体は? 現実は?」

「ライラさん、それは彼らが決めることです。ライラさんはその活力を、勇気を、希望を与えられるんです」


 それに、と羽白は付け加える。


「子どもたちに詩を語るというのは、現実的にもいいことだと思います。……ライラさんは、子どもの頃からの詩を聞き続けたことでバルドに成ることができたのですよね。でしたら、旧市街の子どもたちにも詩をたくさん教えることができたなら、彼らもバルドになることができるとは思いませんか?」


 羽白の連ねた言葉にティッカさんの瞳が大きく見開かれた。


「カサネ……それ、凄くいい! もしかしたら、キラーニーみたいな場合の問題も解決できるかも」

「はい。でも、ライラさんはバルドに住まれていますから、ずっとここにいるというわけにもいきませんが」

「それなら、ここのバルド達に話してみる。私、明日もう一回神殿に行ってくるね」

 陰っていた瞳は晴れ、星のきらめきが移った気がした。

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