第19話

 翌日、ついに大本命であるキャラントゥール山の山頂付近にある遺跡に訪れた。

 この高度になると飛ぶことが難しくなる。ふらふらとしてしまい、思い出したかのように重力が仕事をし始める。ティッカさんによると、この山を越える高さを飛ぶことはできないとのことだ。魔力の消耗が激しのだ。実際少し浮いただけでも相当量の魔力が削れた。


 妖精たちがたどり着ける最高地点がここになる。


 ここまで来ると植物らしいものは見当たらず、岩肌が目に付くようになる。果てしない空の青と大地に伸びていく茶色。空と大地が交わるこの場所にある遺跡は山に埋め込まれるように作られていた。というより、元々あった洞窟に作ったという風だ。


 太陽を遮るものが雲以外にない山頂付近において、一切の光を拒んだ洞窟の遺跡は、これまでの遺跡と比べてもいい状態だった。入口は人工的に装飾がなされ、内部の壁に僅かな補強がされているだけだが。


 ただ、状態がいいと思ったのはそういう部分ではない。

 それは洞窟の最奥にあった。祭壇のようにも見える積まれた石材と、その左右に作られた燭台。そこに明かりを置き、洞窟内部が光に揺らされるようになってようやく分かる。


「凄い……」


 ティッカさんのその呟きは、松明に照らされた祭壇の奥に描かれた壁画に向けられたものだった。

 色彩豊かに、縁どられた壁の一面に描かれた絵は、もちろん所々剥げたり欠けたりしている部分もあるが、描かれているものが一目でわかるほどには綺麗だった。 

 影を小さくし、こつこつと音を響かせた羽白は壁画に優しく触れた。撫でるように、なにかを感じ取るように。


「ティッカさん、これってもしかして」

「ええ……。〈五つの恩恵〉、それを授かる場面を描いたものだと思うわ」


 簡易的ながら何のかを明確に伝える絵は、今に通ずるものがある。芸術と言うよりは、実用的な方面に発展しているものだ。故に、美術には疎い俺にも分かる。

 壁画に描かれたのは遠い昔、神代と呼ばれる時代。神が妖精たちに授けたという〈五つの恩恵〉がまさに授けられる場面だ。

 煌びやかに複雑は模様で表現された後光を背負った神の手からは五つの線が引かれ、これもまた独特な模様を描くように入り混じるが、辿ればその先は飛び出している。五つ分だ。


 一つ、描かれた陽炎から突き出された純白の〈太陽槍〉。

 二つ、渦巻く雲を割くようにして突き立てられた紫紺の〈雲作りの剣〉。

 三つ、頭を垂れる王らしき者の前に鎮座する翡翠の〈運命石〉。

 四つ、自らから溢れ出す光に埋もれる黄金の〈聖なる大釜〉。

 五つ、抜け出た線が作った円にある、空白。 


「やっぱり五つ目は不明ですね」


 羽白の言葉が壁画に描かれた五つ目の恩恵を正確に現した。

 円の中は空白だ。整えられた洞窟の壁であり、鈍い茶色。初めから何もなかったように、何かが描いてあったような痕跡すらない。


「本当にね……。ちゃんとと残して起きなさいよ、もう」


 不機嫌そうに頬を膨らませるティッカさん。そうは言うが、これはもうこれが描かれた時代の時点で五つ目は不明だったという可能性があるのではないだろうか。

 二人が壁画に寄って色々と見ているのを、俺は少し離れた場所で全体的に眺める。というか、これ本当に大きいな。


「……ん?」


 縁どられている壁画の下、そこには空白があった。問題なのは、何もないはずのそこが縁どられているということだ。

 燭台からパチッと炎が弾けた。


「もしかして……」


 もしそうなら、これは本来どうやって気が付くものなのだろうか。これまでの旅で取りこぼしたものでもあるのだろうか。いや、でも、あれはまるで——だ。


「どうかしましたか、倉見さん?」


 羽白の顔が近くにあった。


「いや、なんでもない」

「そうですか? 壁画は一通り見終わったので、入口まで戻って一回休憩しましょう」

「まだ見んのかよ」

「まだまだ見るところはありますから」



***



 壁画以外、目ぼしいものはなかった。祭壇のあったことからもわかるが、ここは祈りを捧げたりする場合だったのだろう。故に、他にはなにもなかった。それがメインであり、それだけがこの場所の目的なのだから。

 予定していたよりもかなり早く調査を終えてしまった。太陽も未だ天頂に届いていない。洞窟から出た時には眩暈がしたものだ。


「お父さんも、ここに来たのよね」

「突然どうしたんですか?」

「ヲーカさんが言ってたじゃない。お父さんもここに来て、あの壁画を見たって。だとしたら、お父さんには何がわかったのかしら。……私には、なにもわからなかったわ」


 焦りと尊敬の混ざった言葉だった。

 ティッカさんの言う通り、ここにはティッカ父も訪れたことがあるのだそう。同じものを見て『涙の大釜』に至った父と、現状特になにもわかっていない自分を比べているのだろう。


「ライラさん……」

「あ、ごめんごめん。まだ旅は終わっていないものね。諦めないわよ、私は」


 今度は力強い言葉だ。


「はい。頑張りましょう」

「クラミ―もね」

「まあ、はい」

「なによもー。元気ないわね」


 とは言うが、いい加減これが俺の平常運転だと言うことがわかっているのだろう。ティッカさんの顔には笑みがあった。


「これなら今日も語れたわね……」


 本来、ここの調査には時間をかけて夕方ごろまでする予定だった。だから村での語りを今日はしないと言って来たらしい。


「うーん、見習いさんの所にでも行こうかしら。丁度いいかもしれないわ」

「でしたら、早く山を下りないとですね」

「……ここまだ山の上だったわね」


 腰を掛けていた石から立ち上がると、ティッカさんは言う。


「休憩終わり! 戻るわよ」


 それに羽白が続き、俺が金魚の糞になる。

 太陽の時間である今は、まだ月が見えない。ここまで来れば少しは近づけているのだろうか。それとも未だ遥か遠くにあるだけなのだろうか。いくら手を伸ばしても、答えは得られない。

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