第11話:わたしの過去と好き

 わたしの前世は、いわゆる社畜だった。


 思い出すだけで疲れる程度には膨大な仕事量。

 上司の小言にセクハラ。同僚の半ば強引な飲み会。


 そりゃもううんざりだった。

 忙しくて多忙で、基本的にエナジードリンクばかり飲んでいた気がする。

 というか主食か。毎日飲んで体力を付けていたはずだった。


『はぁ……。疲れた』


 それでも疲れるのはどうしようもない。

 どうしようもないから、動画を見ながら夕飯でも食べてそのままベッドイン、とかも考えていた。

 そんなときだ。彼女の動画を知ったのは。


『ASMR? なんだろ』


 検索エンジンの先生は、直訳で自律感覚絶頂反応であるということだけ言って、ウィンドウから消えていってしまった。

 なんのこっちゃ。絶頂って書いてあるから、ちょっとエッチな内容なのかな。

 興味はある。疲れを癒せればそれでいいか。なんて考えから、わたしはその動画を開くことにした。


 動画が始まって数秒して、違和感に気づいた。

 これ、PCのスピーカーで聞くものじゃないな。

 だって左右から別の音が聞こえるんだもの、なんか変だ。


『あ、これイヤホンで聞く感じなんだ』


 検索エンジン先生はそう仰っているので、支持されたとおりに耳にイヤホンをつける。


『ひゃっ! な、なにこれっ?!』


 その瞬間、世界が変わった。

 目を閉じれば、まるで別世界に引き込まれたような立体的な音響。

 サワサワと、こそばゆく触っていく声色。

 その場にいるような彼女の言葉。


『今日も一日、お疲れさまでした』


 吐息まで再現しているような気さえする。

 労いの言葉に背中がぞわりとした感覚が襲いかかってくる。

 なんか、いいな。これ。


『しょうがないですね、横になってください。私が膝枕してあげますから』


 うぅ。本当に眠くなってきた。

 ささやき声から繰り出されるゾワゾワした触感。

 ついそれに従って、ベッドで横になってしまった。もうすぐレンチン終わるのに。


『兄さん、そういう時に限って頑張りすぎですよ。もっとゆっくりしたらどうですか?』


 頑張りすぎ、か。

 確かにそのとおりだ。身を粉にして働いて、稼いだお金はどこにも逃げずに溜まっていくだけ。

 そんな生活に何の意味があるというのか。

 でも。でもなぁ……。仕事が終わらないんだもん。


『よしよし。私がそばにいますから。困ったら、相談に乗りますよ』


 タオルをなでているのだろうか。そんな心地いい音が耳の中を通り抜ける。

 あー、レンチン終わっちゃったのに、全然抜け出せない。この膝枕から逃れられない。


『今日はよく、頑張りましたね』


 うん、頑張った。

 当たり前のことを、さも当然のように口にする。

 でもそんな言葉が、今のわたしに必要だったのかも。


『ゆっくり、おやすみなさい』


 まるで魔法のように。フッと意識が睡魔に溶けていく。

 あー、そういえばご飯レンチンしたのに。

 まぁいっか。今日はいい言葉をもらえたんだし、それだけで十分お腹いっぱいだ。


「……そういえば、こんなだったっけな」


 気持ちはいつでも変わらない。

 あの後、動画のタイトルを見てゲームを知り、幸芽ちゃんを知り。

 何度も何度も幸芽ちゃんの動画を聞き返して、そして頑張りすぎちゃった。

 体は休まってないのに、精神面ばっか回復してたんだから、そりゃ追いつかない。

 そう、死因はそれが原因だったのだろうね。


「でも、幸芽ちゃんに出会えた」


 昼間に約束した場所でわたしは待つ。

 時刻はおおよそ6時ぐらいかな。最終下校時間が迫っている。

 この屋上から見る夕日を二人で望むことができたら、彼女の夕焼け色に染まる顔を見ることができたら、勇気が出るだろうか。


「呼んだんだ。頑張れわたし」


 胸の前でふんっと拳を作って、自分を鼓舞する。

 大丈夫。ただただ出会ってから約1年間の想いを口にするだけなんだから。


「姉さん、何か用事ですか?」

「……幸芽ちゃん、来てくれたんだね」


 桜色の髪を揺らして、振り返る。

 そこにいるのは、栗色の髪の毛をしたかわいらしい乙女。

 わたしが恋するたった一人の女の子。


 ドキドキと緊張で心臓が早鐘を始める。

 夕日に照らされた白い肌はわたしの想いを映し出しているのだろうか。

 なんて、そんなバカな話はない。だから、息を吸って、吐く。


 覚悟は、固まった。


「えっとね。わたし……。わたし……っ!」


 部活の喧騒。

 吹奏楽部の笛の音。

 屋上の風のざわめき。

 そして、わたしの想い。


「わたし、幸芽ちゃんが好き!」


 高鳴る鼓動を口から吐き出して。

 わたしは、愛の言葉を口に出した。


「……突然、ですね」

「あはは、驚いちゃうよね、こんなの」


 愛想笑いで、わたしは眉をハの字に曲げる。

 やっぱダメだったかな。出会って一年。向こうは二日。そんな時差は限りなく大きいわけで。


「冗談だったりは」

「しないよ。わたしが幸芽ちゃんのこと好きなのは事実だから」


 嘘はつかない。つきたくない。

 だって、わたしの好きはわたし自身を支えてくれた魔法なんだから。


「……正直びっくりです。記憶が消えて二日だけなのに」


 どうして。そんな言葉が飛び出る。

 そりゃそうか。自分の立場になったら、わたしだってびっくりすると思うもん。

 だったら、納得する理由ぐらいわたしてあげよう。わたしを好きになってくれるのであれば。


「昨日の晩のこと、覚えてる?」

「はい」

「あの時、すっごく嬉しかったの。不安を取り除いてくれた、あなたがいてくれたから」


 いつもそうだ。

 わたしが不安になったらすぐに励ましてくれる。

 それが架空の登場人物だったり、動画だったとしても。

 わたしの支えとなってくれたのだ。あなたがいてくれたから、わたしはここにいるんだ。


「……私は、あなたが分からないです」


 少しだけ遠ざけられたような、そんな言葉が心を掠める。


「でも、気持ちは分かりました」

「幸芽ちゃんは……」


 ――わたしのこと好き?


 その答えに、きっとNOと答えるだろう。

 涼介さんのことが好きなんだ。しょうがないよね。


「……いいですよ」

「へ?」

「何度も言わせないでください。お試しです、お試し。兄さんの代わりです」


 それでも。だとしても……っ!


「ホントに?!」

「何度も言わせないでくださ――」

「ぃやったーーーー!」


 鳴り響く歓喜のわたし。

 震えるのは心。

 やれやれと言わんばかりに、ため息を一つ吐き出す幸芽ちゃん。


 いま、この時。わたしの願いは成就したのだ。

 わたしのハピネスライフは、これからも続く! なんちって。

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