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 ルルちゃんは涙の残る目で、ウララちゃんに笑いかけました。


「ウララちゃんだよ。これはウララちゃんだよ。ルルのこと忘れてしまっても、でもウララちゃんなんだよ。思い出が消えてしまったけど……でもまたつくればいいんだよ」

「ええ」


 ウララちゃんも、ルルちゃんを見て、笑顔になりました。


「はじめまして、ルルだよ」


 ルルちゃんはそう、ウララちゃんに言いました。ウララちゃんの顔がますますやさしくなり、こう返しました。


「いい名前ね」

「うん」




――――




 ウララちゃんが戻ってきたのです! 記憶をなくしていても、けれども、戻ってきたのです! ルルちゃんの心によろこびがあふれました。


 けれどもわからないこともいっぱいありました。


 ウララちゃんはそもそも、どうして出てこなかったのでしょう。そしてなぜ、ルルちゃんのことを忘れてしまったのでしょう。ルルちゃんはフジタさんにそのことをたずねてみました。フジタさんは首をひねって、言いました。


「故障……いや、病気だったのだ、ウララは……。それで記憶をなくし……」

「記憶がなくなるほどの病気って、それ、たいへんなものじゃないの!?」


 ルルちゃんは不安で声をあげました。フジタさんがあわてて否定をします。


「いや、大丈夫! たしかに記憶はどこかにいってしまったが、けれどももうすっかりよくなったんだ! これで大丈夫! なにも問題はない」


 それでもずいぶんしんどい思いをしたでしょう。ウララちゃんは平気な顔をして立っていますが、まだ休んでいたほうがよいのかもしれません。そんなことを考え、ルルちゃんはふと、あることに気づきました。


 ここはウララちゃんのお父さんの家なのです。ウララちゃんのお父さんの家であるということは……それは、ウララちゃんの家であると同じことなのです。


「……ウララちゃんはいますか?」


 緊張が、ルルちゃんをおそいました。ルルちゃんは顔をこわばらせ、少し変な声になりながら、フジタさんにたずねました。


「え?」


 フジタさんがけげんな顔をします。ルルちゃんは続けました。


「ここはウララちゃんの家だから、どこかにウララちゃんがいて……」


 フジタさんとルルちゃんが現在いる部屋の、その扉があいて、ひょっこりとウララちゃんが顔を出すのではないかと、ルルちゃんは思いました。ほんものの、ウララちゃんです。ちゃんと、ふれることのできるウララちゃんです!


「あ、いや、ちがうよ、ウララはいない……」フジタさんが、困った顔であわてて言いました。「ウララはいない……遠いところにいるんだ」


「外国?」

「うん、そうなんだ、外国に……。あ、そうだ! わたしは宇宙飛行士だろう? わたしはいろんな国の船に乗るんだ。だから世界中に家があるんだよ。そのうちの一つに、うららがいる」


 そう言って、フジタさんはゆかいそうに笑いました。


 ルルちゃんはがっかりしました。と、同時に、ほっとしました。ほんもののウララちゃんに会うことが、少し恐ろしくあったのです。会うのなら、きちんと心の準備をした状態で会いたかったのです。


「ウララちゃんのお母さんはどこにいるの?」


 ルルちゃんはまたたずねました。フジタさんが答えます。


「ええっと、また探検にでかけたのだよ。しょっちゅう探検に行っててねえ」

「さみしくない?」

「そりゃあ……さみしいと言えば、さみしいけれど……」

「どんな人なの?」

「うーん、それは、もちろんやさしくて性格がよくて、それに……。――ああ、そうだ、写真があるよ。ちょっと待っててくれないか」


 そう言って、フジタさんは立ち上がり、部屋を出ていきました。


 これはちょっとした、フジタさんの遊び心でした。でもそれ以上のことはよくわかりません。どうしてこんなことを思いつき、さらに実行しようとしているのか、フジタさんにもうまく説明できませんでした。ともかく、フジタさんは、別の部屋から一枚の写真を持ってきて、ルルちゃんに見せました。


「これがウララのお母さんだよ」


 集合写真でした。フジタさんと同じ年くらいの人がたくさん集まっていました。その中の一人を、フジタさんは指差します。地味でぽっちゃりとした女の人がそこに映っていました。


 ウララちゃんとあんまり似てないな、とルルちゃんは思いました。ウララちゃんは、お父さんにも、お母さんにも、似ていません。たぶん、おじいさんとかおばあさんとか、はたまたおじさんやおばさんに似ているのでしょう。


 でも、やさしい笑顔の女性でした。そこはウララちゃんに似てるかも、とルルちゃんは思いました。


 この女性はいったい誰なのだ、と読んでいる人は思っていることでしょう。そこで、説明をしておきますね。この女性は、フジタさんは知り合いで、子ども時代に同じ学校にかよっていた人なのです。


 子ども時代、同じ教室で、フジタさんとこの女性は勉強をしました。大人しくやせっぽちの女の子でした。本が好きで、ごくまれに、フジタさんと本の話をしました。でもそれだけです。二人は特別に仲がよいということはありませんでしたし、学校を卒業してからは、会うこともありませんでした。


 フジタさんはその後、何人かの女の人と付き合いました。けれどもどの人とも結婚するまでにいたりませんでした。そしてフジタさんはときおり、ふと、その女の子のことを思い出すのでした。


 何年か前に同窓会がありました。そこでフジタさんはその女の子と再会したのです。といっても、もう女の子ではありません。中年の女性です。やせっぽちではなく、ふくよかになっていました。けれども、優しい笑顔はそのままでした。


 女性は、フジタさんが本を書いて有名になったことを、よろこんでくれました。そして女性は結婚していて、子どもも二人いて、その子どもたちももう大きいのだ、ということを話してくれました。


 同窓会のあと、帰りの電車で、ふいに、フジタさんはウララちゃんのことを思い出しました。ウララちゃんはフジタさんがつくりだした、どこにも存在しない、理想の女の子です。でも――ウララちゃんをつくったときに、ちょっぴり、心の片すみで、あの女の子のことを、大人しくてやせっぽちで本が好きな、あの女の子のことを思い浮かべていたのです。そのときになって、気づきました。

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