【中編】来世の僕に、よろしく

音乃色助

1.「強いて言うなら、輪廻の導きだ」


 乾いた音が二つ、タンッと静寂のさ中に響いて、何かの気配を感じた一人の少女が脊髄反射でクルリ振り返る。そのまま、条件反射でギョッと目を丸くする。


 老朽した廃アパートの屋上階にて一人ポツン、彼女は錆びついた鉄柵にもたれかかっていた。時代遅れの黒髪おかっぱを秋風に揺らし、夕焼けに焦がれる都会の街を細い目で眺めていた。彼女が纏う紺のブレザーからは、等間隔のひだが重なるスカートがまっすぐに生やされており、いわゆるセーラー服姿の彼女は誰の目から見ても女子高生だ。鉄柵から手を離し、身体を反転させた彼女の視線の先、奇天烈奇妙な二人組が屋上のど真ん中に突如として現れる。


 一人は三十代半ばと見られる風貌の男性だった。藍色の着流しをだぶつかせ、丸眼鏡を鼻頭で保ち、無精ひげを生やしていた。一言で印象を称すならば、ひどく胡散臭い。もう一人は烏羽色のローブを全身に纏った背の低い少女だった。亜麻色の巻き毛をたゆませて、なぜか片手にわら帚を持っており、柄の部分を地面に突き立てている。一言で印象を称すならば、魔女っ子猛々しい。


 女子高生は思案した。入り口の扉は閉めていたはずだ。開閉音が鳴っていない事実からも、そのドアが開け放たれた形跡はない。そもそも、このアパートはずいぶんと前から住居としての役割を失っており、明日には取り壊し工事が開始される運びとなっている。自分のコトを一旦棚上げすると、こんな秘境に訪れる輩は廃墟マニアくらいしか思いつかないが、彼らがカメラを肩からぶらさげていない事案からも、その可能性は早々に斜線を引いて差し支えないだろう。


 では何故、彼らはココにいるのか。というかどうやって現れたのか。そして元より、一体全体何者なのか。彼女が思案を重ねるほど、しかし疑問符は増殖を増すばかり。得体の知れない突然の邂逅に彼女はただ困惑しており、怒涛に溢れる質問事項の優先度を付けあぐねていた。彼女の混乱をよそに、二人組のかたわれ、胡散臭い男がひょうひょうと声をあげる。


「キミ、怖がらなくていい。我々は怪しいものではない」


 無理だ。女子高生は心の中で即否定を漏らした。怪しさの羽衣を纏ったような奇人と平気で挨拶を交わす好奇心を、彼女はあいにく持ち合わせていない。彼らは女子高生の胸中など丸ごと無視するように、順繰りと言葉を連ね始める。


「自己紹介でもしよう。僕はこの街、吉祥寺に住んでいる天狗だ。隣の彼女は、魔女の皮を被ってはいるが、曰く死神らしい」

「へへっ、お見知りおきをっ」


 やっぱりヤバい人たちだった。女子高生の抱いていた一抹の疑念が、百抹の確信に変わる。

 彼女はその場からの緊急脱出を試みようとした。だがしかし退路は断たれている。背後ろに伝わる鉄柵の冷たい感触がその事実を彼女に伝えていた。困惑に混迷が二乗された彼女はとりあえず情報収集に努めてみようと、半ば投げやりに気味ではあるがようやく小さな口を開いた。


「あなた達は、どうしてココに」


 数多ある疑問符の中の一つ、取り急ぎ目に入ったソレをこわごわと放り投げてみる。而して、この世界にはびこるあらゆる謎は、単純なQ&Aでは解消されない事象もまた自明の理ではあった。天狗の放った回答も例にもれず、ひどく要領を得ない。


「そうだな、強いて言うなら、輪廻の導きだ」


 お話にならなかった。同じ日本語を使っているのにも関わらず。会話がドッジボールにしかならない。白旗をあげるようにタメ息を漏らした女子高生ではあったが、次の天狗の言葉にゴトリ心臓を動かされる。


「僕は、キミの命を救いにきた」


 相変わらず天狗の台詞は文脈の外堀を爆走していた。しかし、その感想は第三者の視点で語られた場合に限った。とある事情を抱えていた女子高生にとって、天狗の提案は聞き捨てならないものだった。彼女は、その真意を確かめたい衝動に駆られた。


「どういう、意味でしょうか」


 自然に、ごくシンプルに、女子高生が聞いた。

 端的に、およそ具体的に、天狗は声を返した。


「キミは、屋上から飛び降りようとしているな。それを、止めにきた」


 女子高生の表情筋が固まった。阿呆のように口を半開きにしながら、目の瞳孔がきゅうっと縮こまる。天狗はというと、切り揃えられた彼女の前髪が秋風になびく様を、涼しい顔で眺めていた。


 女子高生は言葉を失った。眼前に佇む見知らぬ珍妙者が、自分の胸中を、一切言外していないはずの決意を、どうして知っているのだろうか。一時の静寂が流れて、再び口を開いた女子高生の声は震えていた。


「飛び降りるなんて、そんなコトしませんよ」


 彼女は、何かをごまかすように天狗から目を逸らした。何かを隠すように両手を背後ろにやった。而して、彼女を見据える天狗の視線はまっすぐに伸びており、彼女を捉えて離そうとはしなかった。


「ふむ、ウソは吐かなくていい」

「ウソなんか吐いていません。大体、なんでそんなコトがわかるんですか。証拠でもあるのですか?」


 地面に目を伏せたまま、やや語気の強い口調で女子高生が声を飛ばす。自身の領域に土足で踏み込んだ無法者を、力づくで追い出すように。


「証拠か、キミは刑事みたいな口を利くんだな。将来が有望だ」


 口元に手をあてた天狗が何か思案するようなそぶりを見せ、やがて着流しの袖口をごそごそとまさぐり始める。何事かと訝し気な表情を浮かべたのは女子高生であったが、天狗が取り出した謎のアイテムはおよそ展開の支離を滅裂させており、彼女の眉間にますますシワが寄ったのは必然であった。


 天狗の右手、人差し指と親指につままれているのは一枚の葉っぱ。およそ醤油皿一枚程度のサイズを誇るソレは、「ヤツデの葉」と称される人の掌に酷似した植物ではあるのだが、学者でもクイズ研究部でもない彼女が正式名称を知っている道理はなかった。


「どれ」


 下から上へユラリ。艶めかしく、かつゆったりとした所作で、天狗が自身の右手を振り上げた。上空に面されたヤツデの葉が空気に抗うように揺れる。自身の頭上の位置あたりまで腕を上げやった天狗はピタリ動きを止め、女子高生の耳にはシュールな静寂が流れた。一体全体なんの真似だろうと、彼女がポカンと大口を開けるのは自明の理であり、しかし次の瞬間。


「きゃっ」


 唐突に巻き起こった突風が女子高生を襲う。

 あらゆる自然法則を無視した竜巻が彼女の足元からとぐろを巻き、全身を絡めるようにと舞い上がる。思わず目を瞑った彼女の意識は防衛本能に支配されており、彼女は背後ろにやっていた右腕で顔を覆い尽くし、左腕で腹部をかばった。スカートの先があばれるようになびき、線のように細い黒髪が無秩序に乱れる。


 事の終焉はあっけなく、女子高生の一瞬を奪った強風は一瞬で鳴りを潜めた。瞬時の防衛本能から意識が還ってきた彼女は恐る恐る目を開き始め、視界いっぱいに広がったのは、いつのまにか眼前に迫っていた天狗の顔だった。鼻先三十センチメートルの距離。時代遅れの丸縁メガネがずずいと彼女ににじり寄っており、ギョッと身を反らせようとした彼女の右手、ギュッと握り込まれていたソレを、先ほどまで後ろ手に隠し持っていたソレを、霞めるような素早い所作で天狗が奪い取った。「あっ」と彼女が思った時には時すでに遅く。奪い取ったソレをまじまじ見やりながら、天狗がニヤリと満足気な笑みを浮かべる。


「キミ、これはなんだろうか。見たところ白い封筒で、中に手紙が入っているようだが、どれ、遺書と書かれておるな」


 天狗がわざとらしく説明口調なのは、女子高生の虚言を追及する以外に理由があるはずもなく、言い訳の一つも持さない彼女はヘナヘナとその場にへたり込むことで、降参の意を表明した。彼女の頭上で数多のクエスチョンマークがラインダンスを舞って止まないが、津波のように押し寄せる疑問符に胸やけすら覚えていた彼女は、もはや考えるという行為そのものが億劫になっていた。


 亜麻色の死神が呆れたように肩をすくめて。


「天狗さん、あれですか、パンチラってやつですか、いやらしいっ」

「たわけ」


 奇天烈な二人組の戯れが、彼女の耳から耳へと流れて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る