第七集 下邽の屈辱

 晋帝・司馬しばしょく救出の為、北宮純ほくきゅうじゅん率いる涼州遠征隊は、黒煙を上げる洛陽らくようへと向かった。

 現在洛陽城内では、匈奴漢きょうどかんの主力軍が仲間割れを起こして乱戦となっている、まさに好機。

 だが洛陽の城壁が見えてきたところで、北宮純は進軍を止めさせた。城門の前に布陣する敵の一軍が見えたのだ。その軍を率いていると思しき将は、遠目でも分かるほどに筋骨隆々たる偉丈夫で、騎乗している馬もまた他の馬よりも一回り大きい。そんな巨漢の将は、まるで北宮純らを待ち構えているかのようであった。


「北宮将軍、待ち構えているとはいえ相手は寡兵。正面から打ち破れましょう」

「我ら涼州兵の力を再び見せる時です」


 左右両翼の部隊を率いる張斐ちょうひ郭敷かくふの両将が威勢よく声を上げた。

 北宮純はさすがに敵の伏兵の存在を疑ったが、ここまで来て引き返しては皇帝奪還の機会は失われてしまうのも事実である。多少の危険を冒してでも突破し城内に突入するべきと最終的には判断した。


 鬨の声を上げて一斉に進撃する涼州軍。敵将は動じる事なく落ち着き払っている。距離が縮まると、北宮純にもその顔が良く見えてきた。口を一文字に結んだまま表情が読み取れぬ巨漢の男。その眼光は北宮純でも気圧されるほど、深く全てを見通しているような感覚を覚えた。

 一瞬、これが漢帝・劉淵りゅうえんかとも頭をよぎる程であった。しかし劉淵が先年に崩御したのは確実であり、仮に生きていたとしても七十歳を超えているはず。一方で目の前の将は四十前後であり将としては未だ最盛期である。

 北宮純はそこで、洛陽から逃げる民衆の話に出てきていない将の名を思い出した。


 鎮東ちんとう大将軍・石勒せきろく

 晋軍十万を壊滅させた男……。


 目の前にいるこの男こそ、まさにその石勒であると北宮純は確信し、この突撃が間違いだったのではないかと頭をよぎった。しかしここに至っては先に進むしか道はない。

 大刀を構えて石勒へと斬りかかる北宮純。石勒は慌てる様子もなく、腰に下げた巨大な手斧を構えると北宮純を迎え撃った。

 受け流しただけとは思えぬほどの重い一撃。さらには無言のまま落ち着き払い呼吸すら乱れていない。また城門の前にいる兵士たちも全く混乱する様子はなく、見事に統率されている。これでは城壁を突破するのは不可能だ。


 そうこうしている内に、城壁の両側から騎兵が押し寄せてきた。漢軍、それも恐らくは石勒の配下である。

 かつての洛陽攻防で、漢軍を散々に苦しめた北宮純であったが、今回は自分が同じ罠に飛び込んでしまったのだと思い知った。ただ大きく違うのは、今回の敵は大将自ら少ない護衛で城壁の外に出て、自身を囮に引き付けたのである。


 左右から迫る小規模の騎兵が十数隊にわかれ、それが交互に押しては退き、味方を削り取っていく。

 個々の機動力や突破力だけならば、同じ戦法で戦っている時の北宮純の方が上であろう。しかし相手はそれを二十隊近くも用意しているのである。包囲し攪乱する事に関しては遥かに脅威であった。

 北宮純には知りえぬ事であるが、彼らは後世に「石勒せきろく十八騎じゅうはっき」と呼ばれる軍団である。


 彼らを統率する石勒は、けつ族と言う少数民族の族長であり、部族を率いて匈奴漢の劉淵の軍門に降った男だった。

 だが石勒十八騎は羯族で統一されているわけではない。匈奴、鮮卑せんぴ、漢人なども加わっており、民族出自はむしろバラバラである。共通しているのは全員が石勒と言う男に心服している事であった。それだけ人を惹きつける器を持っているという事だ。

 匈奴漢において、この石勒こそ最強の将である。北宮純はそう確信した。


 石勒はその巨躯からも容易に想像がつくように、個人の武においても相当な物だった。巨大な手斧を木の枝の如く軽々と振るい、北宮純の繰り出す大刀の一撃をいなしていく。数十合を打ちあっても、呼吸ひとつ乱れる様子が無い。

 北宮純の近くで周囲の敵兵に応戦していた王豊が叫ぶ。


「将軍、このままでは……!」

「分かっている! 撤退だ!」


 立て続けに襲い掛かる石勒十八騎の猛攻で既に多くの兵が戦死していたが、わずかな隙を見つけた北宮純は、即座に号令をかけて包囲を切り裂いて突破する。

 まさに大敗と言える散々な結果であったが、石勒軍は追撃してくる様子はなかった。あくまでも洛陽の城門を守る事が任務だと割り切っているのであろう。


 西へと敗走しながら生存した味方を確認して見れば、張斐、郭敷の姿は見えなかった。二人の性格から察するに、ここにいない以上は、あの猛攻の中で戦死した事はほぼ確実である。兵も実に八割を失っていた。




 長安にいる平昌公へいしょうこう司馬模しばものもとへと身を寄せた北宮純は、長安で兵の補充を受けつつ、長安の東側に位置する下邽かけいの守備を命じられ、王豊ら生き残った涼州兵と共に赴いた。


 しかし首都が陥落し、皇帝が拉致されているという絶望的な状況の中、戦乱続きで食料も枯渇していた関中では、攻め寄せる漢軍に降伏する者が相次いでおり、もはや流れは止められなかった。

 特に最前線の蒲坂ぼはんを守っていた牙門将がもんしょう趙染ちょうぜんが、その軍もろとも匈奴漢に降り、逆に長安の晋軍へ攻撃を始めた時点で勝負が決まったと言っていい。


 北宮純が率いる下邽の守備部隊は、圧倒的な物量で攻め寄せる趙染の軍を寡兵で押し返し、何日も粘り続けていた。その点はやはり墨家に例えられた程の防衛戦の腕が光っていた。

 だが北宮純の本質的な強さは、攻め時、退き時、守り時を直感で見分け、その判断に一切の迷いがない部分。兵書自体は学んでいるが、どちらかといえば動物的な直感の鋭さにこそあった。

 大軍を擁している趙染も、北宮純のそうした面を感じ取り、人間同士の理詰めの戦いではなく、まるで野獣を相手にしているような予測不可能な不気味さを覚えたのでる。


 だが今度ばかりは多勢に無勢。長安を目指すのは目の前の趙染の軍だけではないのだ。

 別の方面から攻め寄せた劉曜の軍によって長安は先に陥落してしまい、司馬模は捕らえられ、後日に処刑される事となる。


 天下の中心たる大都市、洛陽も長安も共に陥落し、晋帝は漢に拉致されている。そんな敵中で孤立した城に立て籠もり、間もなく食糧も尽きるという状態にあっては、もはや下邽の北宮純らに戦う意味など無くなっていた。

 城を守る兵士を振り返ってみれば、挙兵より付き従っている涼州の兵は最後まで北宮純に従うとばかりに強い眼差しをしていたが、それは全体の一部である。長安で補充された兵は、ほとんどが徴兵された農民ばかり。願わくばこの戦いに生き残り、故郷へ帰りたいという気持ちが嫌でも伝わってくる。

 投降を呼びかける趙染の使者に対し、北宮純は答える。


「俺の首が欲しいのならくれてやるが、兵の命は取るな。それが守れないなら全員死ぬまで戦うしかない」


 だがそこは晋の将軍から漢の将軍へとそのまま転向した趙染である。その点は問題ないと自身を証明材料として即座に保証してきた為、下邽はその城門を開ける事となった。


 こうして天下の趨勢は、匈奴の皇族が統べる漢のもとへと大きく傾いたのである。






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