第1話


うるさい。

まず目を覚まして第一に思ったことだ。

鳴り響く爆音、鼓膜を破るためにだけ作られたといっても過言じゃない音量でなるその物体を目覚まし時計と認識できる人がいるか、いやいない。


そんな物を耳元に置き、あまつさえうるさいだけで済ませる彼の聴覚もどうかしているが。


彼はイラついたのかその音のなる箱目覚まし時計を壁に投げつけ、ベッドから起き上がる。その際積み重ねられた本の山に足が当たってしまい、激しい雪崩が起こる。時間を確認すると朝の七時十五分。

直してる時間はもはやない。


「設定時間まちがえてるし…はぁ、これじゃあ朝御飯は抜きか……」


ため息をつきながら目覚ましを止め、今はもう寝巻きと化している、胸元に辻 優一つじ ゆういちと刺繍された中学ジャージを脱ぎ、制服へ着替える。

夏が近づき、暑苦しいと思いつつブレーザーを持ち、自室の扉をあけて洗面所へ向かう。

独り暮らしは年月が肝だ。掃除は大変だが何より自由だ。


そうして、洗面所へ行き顔を洗う。

鏡に映る寝癖で頭がボサボサの自分の姿は実に滑稽だ。

目を細めて鏡を見つめる。その目付きは悪く、十七歳とはおもえない。

平均よりも少し高い178センチの身長は、猫背によって威圧感が増し、柄が悪そうだ。


そんな男でも、焦げ茶色が混ざる髪を固め、コンタクトを入れれば、好青年に早変わりだ。自画自賛だが、それでいい。


(この顔に生んでくれたことだけは感謝だな)


すぐに興味がなくなったのか、鏡に背を向け洗面所を出る。

昨日リビングに投げ捨てた、開けられてもいない学生鞄を手に持ち、食パンをひとつ口に入れ、咀嚼しながら玄関へ向かう。


そのとき、制服に入っていたスマホが震える。

突然の着信に驚くも、画面を見て息を吐く。


「……なんだ、恭介か。『さっさとこい』?えーっと、いま、いくから、まってろ、と」


約束の時間まで十分あるかないか。

急いで玄関へ向かい、靴を履き外へ出る。雲ひとつない快晴。

主張する太陽がジリジリと辺りを照らしていた。


「いってきます」


施錠したのを確認し、少し小走りでいつも集合している駅へ向かう。


当たり前の日常、いつもと変わらぬ朝。けれどこの日が最後だということはまだ誰も知らない。



―――――――――



集合場所の駅は、よくある新幹線駅で、優一はいつもそこで幼なじみ二人と待ち合わせをし、高校に向かっていた。

駅近くにはバス停やタクシー乗り場がいくつかあり、その周りには待機するためのベンチがポツポツとある。

優一は走って駅に近づき、一人の少年を見つける。その少年も視線に気づいたのか優一に手を振るのだった。


「おーい、ゆう!おせぇよ!」


大きな声で優一を呼ぶのは三野 恭介さんの きょうすけ。ツンツンとした黒髪と185センチを越えた高い身長が特徴の男子生徒だ。

明るくヤンチャな性格の彼は、友人の中でムードメーカー的存在。


「悪い、遅れた……でも元はと言えばお前が寄越したあのくそでか目覚まし時計のせいだからな。時間設定が予定してた30分は遅かったぞ」


優一は、走り乱れた息を整えながらそう言う。


「はぁ!?マジかよ!しっかり調整したと思ったんだが、そりゃ悪かったわ……。でもどうだった、俺のあの目覚まし時計!お前の耳でもしっかりうるさかっただろ!」


恭介はどこか興奮したように優一に話しかける。

実は恭介、見た目に反して機械や小物を改造するのが趣味で、無駄に手先が器用なため、恭介の家には今まで改造された機械や小物が山ほどある。

その中の一つが、あの爆音目覚まし時計だ。


「しっかりうるさかったぞ、まぁこれで明日からしっかり時間通りの集合ができるといいな。……ん?ところで直は?」


「直は今便所。いや、でも時間通り集合できるかは怪しいな。お前ほんと朝弱いから、起きれてもグダグダするだろ……」


「いや、それはないと信じてる。朝早く起きれれば、俺だって余裕をもって行動できる」


二人はあーだ、こーのと話していると、駅から出た一人の少年が二人に気づき、話しかける。


「おはようゆうちゃん。今、駅中の時計確認したけどそろそろ学校いかなきゃ間に合わないかも」


そう声をかけたのは早乙女 直さおとめ なお。この三人の唯一の良心であり、マスコットだ。

さらさらとした黒髪にクリクリした大きな目が特徴。平均よりも低い身長がコンプレックスで身長が高い二人と並んで歩くのが好きではなく、よく後ろに隠れて歩くことが多い。


恭介は直の言葉を聞くと自分の腕時計を確認し、目を見開く。


「マジだ、やべぇ!さっさといくか!」


そう言うと一足先に恭介は歩きだす。

慌てる様子の恭介に二人は苦笑いを浮かべるも、遅刻は恐ろしいのか、恭介と同じく歩きだすのだった。



――――――


三人は早歩きを意識し、高校へ向かう。

まわりに群がる疲れた顔の働き蟻サラリーマンも同じような速度で行き交う。

まるで、この世の全ての人が生き急いでいるかのように見えた。


(俺もいつかこんな風になるのかな)


優一は一人、周りを見渡し自分の将来について考えていた。まだ十七歳とは言え、早い者では大学受験の勉強を始めている者もいる。

難関大学にいこうとか、そんな考えがあるかといったらそうではないし、夢があるかと言われたらないのが現実だ。

自分にとって今の生活がどれほど恵まれているかを知っているからこそ、将来が実感できずにいた。

とりあえず、近い将来生きていくのに困らないだけの金と、人生を共にしてくれる伴侶と友人がいればいい、と優一は思っていた。なお、伴侶候補は見つかっていない。


「――――でさぁ、その動画がおもしろくて……おい、何ボーッとしてんだよ、あぶねぇぞゆう」


「ん?……あぁ悪い。いや、なんかこう、サラリーマン見てるとさ、俺も生きるために必死に働かないといけないのかなぁと思うと将来が不安でさ」


そう言って笑うと、直は恭介の方へ目線を向けその大きな目を細める。


「優ちゃんより恭ちゃんの方が僕は心配だよ……昨日だって他校の先輩と喧嘩してたし、学校にばれたらどうするつもりだったんだよ!」


「いや、絡んだのはあっちからだし……大体、背が高くて腹立つって絡んだわりには一発で沈んだから時間もそこまで掛かってないし……まぁ、大丈夫だろ、うん」


恭介は見た目通りか、喧嘩っ早い。そして体格もあるせいか、簡単には負けないし倒れない。


「そうゆう問題じゃないよ!……もう、優ちゃんもボーッとしてたら事故に巻き込まれるよ!また悲しい思いしたくないからね?」


「……わかってる。なぁ、直は将来どんなふうになりたいって思う?ほら、もうすぐ進路のこととか考えなきゃだしお前欲とかなさそうだし気になるんだわ」


話の流れを変えようと、優一は直にそう聞く。

直は露骨に話をそらされ、不満げな顔をしつつも自分の将来について考える。


「えー、……僕はお金とか地位とかいらないな。平和が一番。二人の大切な友達とずっと一緒にいて、心から好きになった人と結婚し、幸せな家庭を築きたい、かな?」


直は照れ臭そうにしていたが、心から望んでいるかのように見えた。

優一と恭介の二人はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。


「ははは!いいねいいね、最高にいいね!」


恭介は直の頭をグシグシと強く撫で、自分も将来について考え始める。

そこには直の言葉に対する照れ隠しも含まれていた。


「んー、俺はそうだなぁ…とりあえず、一生守りたいと思えるくらい最高の彼女をつくる!それからたくさん旅行したいな。見たことのない景色や、出会ったことのない人たちと出会い、楽しむんだ!二人ならなんだってできる、どんなことだってやってみせる!って感じだ、どうだ!」


そう言うと恭介は、そんな未来を想像し、ニンマリとはにかむ。

そんな楽しそうに妄想する二人を見て、優一も自然と笑みが浮かぶ。


「優一はどうなんだ、俺らだけじゃなくて聞かせろよ」


「俺は……そうだなぁ……。第一に平穏だな、森のなかに一軒家を立て、そこで仕事をし、落ち着いた生活がしたいかな。結婚はよくわからないけど、恭介と同じで幸せにしたい人ができたらするかもしれないな」


優一はどこか照れ臭そうに話す。

疲れきった人々が行き交う町中でも、三人は将来に前向きだった。

今だ学生、未来は空のように大きく広がっている。

天気は雨も降らず快晴で、まるで空が、三人のことを明るく照らすかのようだった。


「優一らしいな。そこならお前の好きな本が死ぬほど読めそうだな。俺も遊びにいきてぇなぁ!」


「あ、僕もいきたい!」


二人は食い入るように優一を見つめ、期待した眼差しを送った。そんな二人の様子に、優一は苦笑しつつも嬉しそうな笑みを浮かべた。


「気が早いって。とりあえず高校を卒業してからだろ?」


「た、確かに……結構まだまだ先だろうな……」


沈んだ様子の恭介を眺め、笑う直。


「そうかな?二年なんて楽しいことがあればあっという間だよ?」


「……それもそうだな!」


楽しげな二人を眺めているだけで、将来の不安が消えていくようだ。

この三人ならこれからの高校生活も楽しんでいけると誰もが思っていた。


――――しかし運命は残酷である。


彼らにはすばらしい未来が待っていただろう。しかしそれは偶然という名の運命の導きによって行き先を変えられた。そこにある絶望を彼らはまだ知らない。

その邂逅にどんな意味があるかも……まだ、知らない。


「てか恭介、お前にそんないい人と付き合えるような魅力があるわけ――――――


優一の言葉は最後まで届くことはなかった。


突然の轟音。何かが勢いよくぶつかり、砕け散るような破壊音。ふいに、快晴のはずが地面に影が映る。

空を見上げれば、線路から脱線した新幹線が、空を駆ける、いや天から落ちるように曲を描く。それはまるでスローモーションのようにゆっくりと。

その新幹線は、かのように優一めがけて飛んでくる。

二人を逃がそうと背中を押しやるが、恭介は口をポカンとあけて呆気にとられ、直は腰が抜けたのかその場に座り込んでしまった。


「おい!逃げ―――――」


再び響く轟音。そして新幹線と地面がぶつかり、舞い散る火花、甲高い金属音がアスファルトを破壊しながら奏でられ、悲鳴はかき消される。

ビルをいくつもなぎ倒し、車を吹き飛ばしながら、その新幹線は町を進む。

しばらく進むと、新幹線はひときわ大きなビルにぶつかるとその進行を止めた。


静寂。いや、現実は静寂ではなく地獄が訪れるたのだった。人はそれを表す言葉を地獄以外、知らなかった。

人は現状リアルを受け入れられないのかもしれない。新幹線の中からはなんの気配感じられず、音もしない。ただ、窓は赤く染っていた。


町では喧騒が少しずつ広がる。

母親を探し、泣きじゃくる少女。下半身がないのか這いずり回り、助けを求める女性。瓦礫をどかし自分の左手を探す青年。喉が乾いたと呻き声をあげる男性。


事故によって漏れたガソリンによる火災は町中に広がる。次第に火は燃え盛り、猛威を振るう。

暑い、苦しい、助けて、誰か、どうしてこんなことに。

そんな叫びがそこらで響きだす。


新幹線の落下地点には、学生鞄が三つ。

そこに、生存者の存在は確認できず、誰も目を向けることはなかった。



――――――彼らの姿はどこにもなかった。


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