第20話

 社会から隔離された真っ白な箱の中で、私は眼を覚ました。

 何処からか聞こえてくる機械の駆動音を聞きながら起き上がる。

 『おはよう』

 声のする方向。白い扉の前にちょこんと黒髪の少女が膝を抱えて座っている。その容姿は、もう随分と前に、父と母の三人で撮影した家族写真の中の私と酷似していた。

 幼き日の私―――黒条 凜は、口を三日月形に吊り上げ、作り物のような笑みを浮かべていた。

 ここ最近、毎日のように見る幻聴を無視していると、頭に突き刺すような痛みが走った。

 「ぐっ‥‥‥」

 低いうめき声を洩らす私を、少女は微笑みながら見つめていた。

 『大丈夫?』

 「平気よ。それより、今日は一体何かしら? また私の意識を乗っ取りにきたの?」

 少女は頭を振ってから、鈴を転がすような声でケタケタと嗤った。

 『また独りぼっちになっちゃったね』

 「何ですって?」

 ようやく発した言葉に、幼い黒条 凜は嬉しそうに笑う。

そういえば昔、私はよく笑う子だったなと今更どうでもいいことを思い出す。

 『あの子は、どうして私を助けにきてくれないの?』

 「あの子?」

 『フフッ、もう忘れちゃったの? でも仕方ないよね。だって私たちがあんなにも尽くしてあげたのに、あの子は、私がここに閉じ込められてから一度だって会いにきてくれないもの』

 「ねぇ、誰のことを言っているの」

 頭の中にひどいモノクロの砂嵐が広がっているせいで、何かを思い出そうとする激しく頭が痛んだ。我慢できずに、ベッドの上から転げ落ちた私は、冷たい床の上に這いつくばる。

 「―――ッッ‼」

 『ねぇ私たちは本当にこんなところに閉じ込められるようなことをしたのかしら?』

 「うるさい!」

 玲瓏な鈴の音のような声をかき消そうと、私は叫んだ。

扉の前に座る幼い私を払いのけるように腕を振る。

 頭痛はひどくなる一方だ。

 『本当は、もう気づいているんでしょ』

 「一体‥‥‥何を‥‥‥?」

 幻だとわかっているのに、私は半ば反射的に問いかけていた。

 『アナタは誰からも愛されてなんかいないって』

 「‥‥‥‥‥‥‥」

 『だから許せなかった。私たちがどんなに手を伸ばしても手に入れられないモノを、皆が持っているから。それを持っている人が許せなかった。父さんも、母さんも、誰も私たちのことを見ようとしなかった。ううん、むしろ遠ざけた。だって、私たちが本当の子供じゃなかったから―――』

 私がそのことに気づいたのは、十一歳になってすぐの頃だった。常に仕事で家を留守にする両親に構ってほしかった私は、両親の部屋に忍び込み、何か両親の気をひくものがないか探した。その時に偶然見つけたのが、養子縁組と書かれた数枚の資料。幼いながらも、それが何なのかすぐに理解した私は悟った。両親がなぜ私を遠ざけようとするのか。

 両親は長らく子宝に恵まれなかった。そんな時に知人夫婦が交通事故で亡くなり、事故の影響でそれ以前の記憶をなくしていた二人の子供、その内の一人を引き取ったのだ。

黒条財閥の後継者とするために。

 『最初からただの器として用意されただけ。そこに愛情なんてない』

 「‥‥‥‥」

 『アナタは、他人の幸せが妬ましくて、赦せなくて、奪い続けた。そうしないと自分が愛されていない現実を受け入れられないから』

 「違う」

 『そんなアナタにとって、あの子は眩しすぎた。自分よりも他人を大切にするその在り方は、あまりにもアナタとは正反対だもの。だから求めた。あの子なら、私たちが欲しかったものを与えてくれるって。アナタは利用したのよ。空っぽの自分の穴埋めのために』

 「違う!」

 『最後にもうひとつ教えてあげる。アナタと華は、本当はずっと以前から知り合いだったのよ』

 「どういう‥‥‥意味‥‥‥?」

 激しい頭痛に眉間に深い皺が寄る。

 幼き日の私と同じ顔をした少女は、音もなく歩み寄ると耳元で囁いた。

 『七年前、事故で本当の両親を失ったアナタには妹がいた』

 「‥‥‥‥‥‥」

 『華は、アナタの妹よ』

 「‥‥‥嘘よ…‥‥」

 『本当だよ。事故のショックで記憶の一部を失くしたアナタたちは、事故後すぐに別々の家に引き取られた。運命って皮肉よね。生き別れたはずの姉妹が、今度は魔法使いになって再開するんだもの』

 「華が、私の妹? そんな‥‥‥まさか‥‥‥」

 頭の中に広がっていた砂嵐が弱まっていく。

その瞬間、頭の中に幼き日の情景が蘇ってくる。

ピアニストだった母さんの演奏会の帰り道のことだ。

私は隣に座る栗色の髪をした妹の手を握り締めていた。

 そのとき、対向車車線を飛び越えてきた車と衝突した。そのままガードレールを突き破り川に落ちた。辺りは暗く、何が起こっているのか分からずただ泣いていた妹の手を握りながら、私は何度も大丈夫、と言い続けた。

だけど腰まで水に浸かった辺りで恐怖に呑み込まれ、もう助からないと諦めた。

そんな時に、助手席に座っていた母が意識を取り戻し、ダッシュボードから緊急用の鈍器を取り出すと窓ガラスを割り、幼い私たちを車外に逃がした。泳げない妹を託された私は、とにかく必死に妹の手を引いて水面を目指した。

気が付くとどこかの病院のベッドに横たわり、その隣には見慣れない少女が死んだように眠っていた。彼女も同じ日の、同じ時刻に事故に遭ってここに搬送されたらしい。

 白いベッドの上で眠っている少女は栗色の髪をしていた。

 『やっと、思い出した?』

 「‥‥‥‥‥‥」

 しばらく言葉が出なかった。

 顔を離した十一歳の私は、玲瓏な歌声のように続ける。

 『あの夜を境に、私たちの人生は大きく変わった。そして、アナタたち二人の導き出した答えはあまりにもかけ離れている。一人は他者の幸福を憎悪し、一方は他者の幸福を望んだ』

 「まるでシェイクスピアね」

 『なら、テンペストかしら?』

 「いいえ、私たちの物語は喜劇じゃない。悲劇よ。だったらハムレットが相応しい」

 『なるほど。生きるべきか死すべきかそれが問題だ、だったかしら』

 「‥‥‥決めたわ。私は、もう一度、華に会う」

 凜然と呟き、私はゆっくりと立ち上がった。

 『どうやって?』

 「そんなの―――決まってる」

 『いいの? また大勢死ぬことになるよ? そうしたらあの子は、悲しむんじゃない?』

 つくづく的確に嫌なところを衝いてくる。幼い私の言うとおり、優しいあの子はきっと、自分に会うためだけに無関係な大勢の人々が命を落とすことを嘆き悲しむかもしれない。

 だけど、それでも私はもう止まることができなかった――――。

 「構わない。華にもう一度会えるのなら、何だってやる。その結果、世界中の人間を敵に回すことになったとしても――――」

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