お願いだから、魔王(さま)って呼ばないで!

@tkns_ruka

第一章

プロローグ(中二病的な意味で)

 それは、唐突に私の前に現れました。

 弾むような文体に、繊細に彩られたイラスト……そのどれもが、暗闇で閉ざされていた私の道程を照らす光となり……

 そう……あの日から……私の世界は輝き出しました。




 山之辺優菜は中学二年生の夏、中二病を罹患した。

 きっかけは、夏休み初日に観た深夜アニメの再放送。異世界の魔王が現代にやってきて、そこで苦労しながらも生きていくという話だ。

 その第一話を観た優菜は「この魔王は私だ」と思ってしまった。


 それまでの優菜は、勉学、運動共に中の中、クラスで目立つわけでも無ければ、地味でも無い、ごく平均的な中学生だった。

 ただ悩み事が一つ、それは友達と呼べる存在がいない事だ。

 勿論、仲の良いクラスメイトはいる。だが、それはあくまで学校内だけの付き合いで、放課後や休日に遊ぶ事は無かったし、誘われることも無かった。

 そんな関係だから、進級し、クラスが変わればもう話すことも無くなる。それどころか、夏休みなどの長期休暇が終わったタイミングでも同じ事が起こり得た。そして、新学期や新学年でまた一から人間関係を作り直す。

 そうして新たにできた人間関係も以前と変わらないサイクルを刻む。

 小さい頃からその繰り返しだったが、それは優菜だけではない、みんなそういうものなんだろうと思っていた。


 それが違うと気が付いたのは、小学校高学年の頃、クラスメイトが遊びに行ったことや誕生会の話をしているのを耳にした時だ。

「昨日楽しかったね」「プレゼント嬉しかった。ありがとうね」という黄色い声を聴いて、まるで自分が、自分だけが違う生き物なのではないかと疑るほど、ショックを受けた。

 その後、あれこれ悩んだりもしたが、優菜から遊びに誘おうにも、まるで経験の無いことをいきなり行うのは難しく、かといってクラスメイトが遊びに行く約束をしているところに自分も誘ってほしいと飛び込む勇気もなかった。

 結果、今の今まで、何も変わることなく、憂鬱な時を過ごしてきた。


 そんな想いをずっと抱えていたものだから、偶然見かけたこのアニメ内に登場する魔王に甚く共感してしまったのである。

 そして、間の悪いことに優菜は中学二年生だった。

 そんなわけで、優菜は見事に中二病になり、自身を異世界の魔王だと勘違いしてしまった。

 だが、図らずしも、優菜の中学二年生の夏休みは非常に楽しいスタートとなった。

 居ても経っても居られずに、二学期のために用意したノートに、自分が魔王であるという設定をこれでもかと書き綴った。

 その時の優菜はまさに神懸かり……いや、悪魔に取り付かれていたと言う方が正しいか。

 何はともあれ、中二病と言わんばかりの妄想をノートに刻みつけ、優菜の夏休みの前半はあっという間に終わった。


 そんな感じで盛り上がっていた中二病も、夏休みの中頃になると急速にその熱を失っていった。

 理由は一つ、全国高等学校野球選手権大会である。

 優菜の夏休みの楽しみといえば、お盆休みの祖父母宅への帰省と、全国高等学校野球選手権大会の観戦の二つである。

 特に後者に関しては全試合余すことなく観戦(テレビでの視聴だが)し、夜にその報道番組を観るのが夏休みの過ごし方となっていた。

 中学二年生の夏休みも例年通り、日がな一日中全国高等学校野球選手権大会の観戦に明け暮れ、決勝が終わる頃には、すっかり魔王設定のことなど忘れてしまっていた。

 そう、優菜の中二病は一カ月も経たない内に完治したのである。


 気が付けば夏休みも残り一週間。

 優菜を待っていたのは、全く手付かずの宿題の山だった。

 いつもなら、全国高等学校野球選手権大会を後顧の憂いなく楽しむために、夏休みの前半にはほぼ全ての宿題を終わらせていたのだが、今年は中二病に罹患していたため、宿題のしの字も終えていない有様だった。

 ここで「宿題なんて提出しなくてもいいか」と思える性格なら良かったのだが、悲しいかな、優菜は極々平凡な人間で、その様に割り切ることもできないまま、それこそ必死に宿題に取り組んだ。

 結局、全ての宿題を終えたのが夏休み最終日の夜で、急いで登校の準備を行い就寝した時には日付が変わっていた。


 そう……登校の準備の時、鞄に入れた宿題の束の中に、中二病罹患時に書き綴ったあのノートが紛れ込んでいるとは思いもしなかったのである。




 そうして迎えた二学期の始業式、優菜は寝不足による貧血で倒れた。


 見慣れない天井と消毒液の匂いを感じ、朦朧とした意識の中、優菜は辺りを見渡す。

 視線を左に動かすと一面の青。眩しすぎて思わず右に視線を逃がすと、薄暗い闇の中に一人の女生徒の姿が瞳に映った。

 粉雪魅由。

 優菜のクラスメイトで、成績は常に学年一位、運動神経抜群、性格も穏やかで自身の優秀さをひけらかさない、正真正銘の才女だ。

 更には、控えめに言っても可愛らしい容姿に、肩に掛からない程度に切り揃えられた艶やかな黒髪は、上質な日本人形を思わせる。

 当然、優菜にとっては高嶺の花で、クラスメイトと言えども、おいそれと話しかけられる存在ではない。

 そんな才女がどうして優菜を見舞うように見ているのか。

 そういえば、彼女は一学期の保健委員だったような気がする。

 恐らくはそういった理由で、貧血で倒れた優菜を保健室まで運んでくれたのだろう。


 チャイムの音が静まり返った校舎に鳴り響く。

 気が付けばもう放課後だ。優菜は思いの外、長く眠っていたらしい。

 この学校は、始業式の日は部活動もなく、生徒たちも早くに校舎を後にする。

 粉雪魅由も優菜が目を覚ました事で、教室に戻ろうとする。そのまま下校するつもりだろう。

 そんな彼女に優菜は自分の鞄から夏休みの宿題を提出してほしいとお願い事をする。

 二つ返事で答えてくれた粉雪魅由が保健室を後にする。

 優菜がベッドから起きることができたのは三十分後だった。

 いつの間にか戻ってきていた保険医にお礼を言うと、優菜は教室へ向かった。

 まだ日は高いが、早々に帰宅し、明日に備えないと……。

 そう考えながら開け放たれたドアから教室に入ると、優菜の机の近くに一つの影。

 先程別れた粉雪魅由の姿があった。彼女がその手に広げ持つノート。それは、優菜が夏休み前半に書き上げた、所謂『黒歴史ノート』だった。


 その時の優菜の俊英な動きは、饒舌に尽しがたいものだった。

 粉雪魅由の手から電光石火、正確無比にノートを奪い取るや否や、中を見たのかと尋ねる。

 彼女の顔が縦に動くのを見て、優菜は絶望に苛まれた。

 粉雪魅由が何か話している……それらは全く優菜の耳には届かず、ただ一言、この事は内緒にしてくれる?と伝えるが限界だった。

 返事も待てずに教室を飛び出す優菜。

 それが、二学期始業式の出来事。




 次の日、優菜は憂鬱な面持ちで登校していた。

 よりにもよって、あの粉雪魅由に黒歴史ノートを見られてしまうなんて。

 だが、誰にも話さないで、という約束はした。返事までは聞けなかったが、彼女ならきっとそうしてくれるだろう。

 その想いは、教室に入った時に砕け散った。

 教室にいたクラスメイトからの視線。黒板に大きく書かれた「山之辺優菜は異世界の魔王!」という文字。侮蔑、嘲笑、傍観、そして……たった一つの憎悪の瞳。


 山之辺優菜の中学時代は、ここで終わりを迎えた。

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