第参部 第四話 全てを託して

「……全兵、無理に突破口を作ろうとはするな!この場で持ち堪えろ!」


「なっ、あれは……隣の戦場の、直江兼続とその親衛隊だ!者どもかかれっ、奴の首を挙げれば千金は下らぬぞ!」


「……ッ、やってみろてめえ!!…いいな、とにかく死ぬなよ!耐えていれば必ず…別働隊が敵本陣を陥落させるぞ!!」


「「オオオッ!!」」




真田幸村によって仕組まれた、朝倉軍本陣への挟撃作戦。

この尋常ならざる作戦を、その必殺の威力を、兼続は外側からではあったが体感していた。


特にまずいのが、裏から義孝らに襲いかかったあの三千。

誰が率いているのかは依然として謎ではあるが、悠然と掲げられた『勇』の大旗を見るに、あそこには幸村の腹心とも言える優秀な武将たち——近年名を挙げている『真田十勇士』の一人がいるに違いない。


ここで、兼続の前には二つの選択肢が浮かび上がる。

一つは、本陣周りの精兵を集めて今すぐ出撃し、なんとか義孝と彼の将校たちを救出する道。


一見、現状でこれ以外にすべきことなど、兼続には無いようにも思える。

義孝が今後、天下を統べるための戦いに乗り出す越後に必要不可欠な人材であること、そこに疑いの余地はない。

彼を助け出さなければ、いずれにせよ越後は。


謙信の夢は、そこで終わってしまうのだ。


しかしここで兼続が自ら義孝を助けるということは、その後の戦闘継続がほぼほぼ不可能に……そしてそれは即ち、越後の敗北を意味する。



脳裏に浮かんだ”撤退”の二文字に、兼続は奥歯を噛み締めた。


それだけはまずい。たとえ何が起ころうとも、この作戦は完遂せねばならない。



此度の寺野高地攻略、そこに投入された十万というこの時代では考えられないほどの大軍は、五年に渡る急進的な富国強兵策によってギリギリで賄われたものである。

この機を逃せば、もう二度と信濃を攻めることができなくなる。


かと言って、義孝が死んでも越後の天下統一は成し遂げられない。



まさに、八方塞がり。



あまりに絶望的な状況の中で、兼続の直感力は——起死回生の一手を叩き出した。



「今すぐ隊を二つに分けるぞ。…一方は俺について来い、義孝の救援に向かう!もう一方の部隊の指揮は、雄一郎!お前に任せるぞ!」


「オオッ、それではもう一方は守備に回るのですね!」


すぐさま反応した側近の声に。

兼続は、ゆっくりと首を横に振った。


「いいや違う。…いいか、できる限りの黒狼隊員を集めて陣形を組み、今から俺が言う通りに動け。…お前たちに、全てを託すぞ」





「幸村様、敵本陣に動きが。…直江兼続とその近衛兵たちが、義孝救出に向かうようです」


部下たちの言葉に、幸村は思わず口の端を釣り上げた。

ここまでの動き、兼続がそう動くのも含めた全てが予想通り。


「……勝ったな」


そう言った幸村の表情には、かなりの余裕と愉悦が見られる。


彼のこの勝利宣言は、決して大袈裟では無い。

三好伊三とその部隊を敵中衛に突っ込ませた時点で、幸村はこの絵図を描き切っていた。

六郎との挟撃、さらには兼続が自ら朝倉義孝の救出に向かうであろうところまで。


「ほんとうに、我が主君はとてつもないお方だ。幸村様、どうして敵将・直江兼続が、自らあちらへ動くとお分かりになられたのですか」


「自分の能力に自信がある将ほど、こういった重要な局面では部下に頼らないものだ。……我が殿然りな」


幸村のブラックジョークに、本陣将校の間で笑いが起こる。


武田信玄に長年付き従ってきた幸村と、その生え抜きの部下たちだ。

当然、彼らの主である武田信玄の暴走癖に頭を抱えたことも、一度や二度ではない。


「たしかに、我らがお館様も…おおっと、これ以上は打ち首でしょうな!」


「ガハハハっ、いやあ違いない!ただまあ信玄様は、直江の小僧とは……器が、ちが…う……?」


馬上で会話に参加していた一人の部下が、何の気無しに直江軍の本陣を覗いた。


その時である。


「きっ、急報ー!敵本陣とその周辺の部隊が、一斉に乱戦を解いてこちらへと向かってきています!その数は四千から五千ほど!」


突如舞い込んだその予想外の報せに、真田軍本陣は一気に大混乱に陥った。

今の幸村ら本陣部隊は、その主力ほとんどを敵の精鋭部隊『黒虎』を殲滅するべく前に押し出している。

現状でこの本陣周辺に展開している部隊を掻き集めたとしても、今なお膨れ上がり続ける敵部隊に、その勢いに飲み込まれたなら。


そして出払っている守備隊をこちらに戻すということはつまり、眼前から動いてきた敵の『黒狼』五千と、右側で守備隊と争っている『黒虎』から挟み撃ちを受けることを意味する。


二方向からの攻撃。つまり、挟撃である。

それはまさしく、幸村が朝倉軍本陣に喰らわせたものと全く同じ。


事前にこの策を練っていた幸村と違い、あの男は——直江兼続はあの状況下で、あの一瞬で、逆にこちらの本陣を。


この首を取るための戦略を練り、実行に移したのか。


正気の沙汰ではない。もし、周辺部隊の取り込みなど失敗すれば。

直江軍は、その主力となる『黒狼』のほとんどを失っていた。


もしそうなっていたなら、こちらはすぐさま打って出て直江軍本隊を散々に叩き、敵後方に控える予備隊にまでその牙は向かっただろう。


そしてその濁流は、この戦いに越後が投じてきた十万もの軍勢、その全滅にすら繋がる甚大な被害を越後に与えたに違いない。



いや、そうはならないと読み切ったからこそ、奴は。

自分の能力を至高とし、仲間や部下に頼らず行動する自信家。それが、直江兼続——。


どこがだ。


奴は自分の仲間を最大限に信用し、彼らならこの真田軍本陣を陥れることができると確信しているのだ。

そこにあるのは、紛れもなく全幅の信頼。


誤算、だったか。


「……本陣を左に移すぞ。こうなれば、どちらの別働隊が敵本陣を攻め落とすかの戦いだ。…奴らに背を向けるのは屈辱だが、このままむざむざ殺される訳にもいかない」


幸村の言葉に、茫然自失の面持ちを浮かべていた本陣将校たちの目にも光が戻る。

そもそもこの状況、危機は当然朝倉軍のほうが大きい。


あと半刻もすれば、『真田十勇士』の二人が義孝と兼続、両将の首を挙げるだろう。


友軍を信じて守る、両軍総大将。

こうなればもはや、半端な決着では終われない。


兼続と幸村。どちらかの首が、飛ぶまでは。


陽も傾き始め、とうとう終局が近づいてきたこの戦場に。

この日、決着は訪れなかった。


誰しもが予想だにしなかった、驚愕の報せが飛び込んできたためである。



「両軍、武器を納めろーー!!この書簡には、両国の主による直々の血判が押してある!これに一兵でも背く隊があれば、その部隊長の首を刎ねるものとする!……ッッ、休戦!!一時休戦だああああッ!!」



















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