第弍部 第十五話 目指す場所

「…なんだ、急に改まって。それより身体はもう平気なのか?」


不思議そうにこちらを覗き込む影虎。


本当に輝虎と瓜二つのその顔が、心配そうに眉をしかめて兼続を見つめる。


「いや、えっ…と……あ!」


返す言葉を探している途中で、兼続ははたと気づく。


この光景、見覚えがある。


確か七年前に、熱を出して寝込んだことがあった。

後にも先にも自分の身体が不調を訴えたのはこれのみということもあって、当時のことは今でも鮮明に覚えている。


ということはつまり、ここは過去の記憶の中なのか。


混乱に次ぐ混乱の中で、兼続はある一つの考えに至った。


もしまだ死んでいないのであれば、今ここで自分がやれることはただ一つ。


「…はい、もう大丈夫です。……それよりも影虎様、少し剣の稽古を付けては貰えませんか」



まだ寝てろという影虎を半ば強引に説得し、二人は外の修練場へと出た。


わざわざこの場所を選んだ理由はいくつかあるが、その中でも”もう一度「月光」のオリジナルが見たい”というのがやはり大きかった。


現状兼続が使っている月光は影虎のそれとは異なり、幼い頃の記憶から技の要点を抽出し、それが兼続自身のクセとないまぜになったもの。


言ってしまえば、影虎の劣化コピーである。


しかしそんな兼続も、今や越後でも指折りの武将へと成長した。

そんな彼にとって、オリジナルを見て自身の無駄に気付くというのは、まさに最高の修行と言える。


そして、もう一つの大きな理由。


影虎が伊達氏へ婿養子に行くことになるのが、恐らくここから二年後。

そしてそれから程なくして、彼は越後に対して反旗を翻し……そこで輝虎に殺されることになる。


だが兼続の知る限り、影虎は越後を裏切るような人間ではなかったはずだ。


しかし恐らく今、彼に対し未来のことを話しても、この先の未来は変えられない。

過去の記憶の中で自分の意思を持てていること自体が奇跡に等しいことであり、それ以上を求めることはできないのだ。

それを、兼続には直感的に理解することができた。


だからこそ。


「…影虎様は、輝虎様のことをどう思っているのですか」


隣り合わせになって剣を振りながら、兼続は口を開いた。

突然の問いかけに影虎は少し困ったような顔をすると、ポリポリと左眉をかきながら答える。


「どう、かあ……まあやっぱり化け物だよな」


思っていたのとは少しベクトルの違う答えだが、たしかにそれは同感である。

長年この二人と関わっている兼続にとっては、ハッキリ言って輝虎は”完璧すぎる”。


家臣団の印象はどちらかと言うと影虎のほうが悪いらしく、なにを考えているか分からないという

イメージがあるようだが。


兼続からすれば、影虎はただ自己表現が苦手なだけの普通の人間であり、そういう意味では誰よりも”人間らしい”と言える。


その一方で、輝虎は本当に非の打ち所がないのだ。

輝虎の人となりを一言で言えば、極めて社交的。

誰とでも平等に接する彼は一介の召使いにも笑顔で話しかけ、時には城下の子供たちと遊んでいる姿すら見られる。


しかし彼は、ただ愛想がいいというだけではない。

公の場でも年齢に見合わず完璧な立ち振る舞いをし、しかしてそこには一才の嫌味もない。

その完璧さゆえに他者から買うはずの妬みすら、彼の纏い持つ雰囲気の前では入り込む余地がないほどに。


秦の始皇帝然り源頼朝然り、史に名を残す傑物たちは、得てしてこういった特有の空気感を持つものではある。

そしてその傑物たちに割って入るほどの才能を、輝虎が持っていることに疑いの余地はない。


だが兼続が感じ取っている輝虎のそれは、ただの”才気”とは異なる異質なもの。


何か——


「……輝虎はさ、きっと寂しいと思うんだ」


兼続の思考を待たずして、影虎はさらに言葉を紡ぐ。


「あいつはなんでもできるからさ。…自分と同じだけできる人間がいないなんて、そんなの寂しいだろ?」


その言葉は、さしもの兼続もハッとさせられるものがあった。

兼続も、将来的に彼らの第一の家臣となるべくして幼少期から二人のそばで過ごしてきた。


しかしそんな彼でも、輝虎のことを能力や才能でしか見れていなかったのだ。


だが兄弟という縁は不思議なものである。

輝虎本人の口から語られたわけではないが、影虎のその言葉は何か、長尾輝虎という一人の天才の本質を突いているようであった。


「……だから、俺はこれからも必死に努力して。あいつの隣に居てやるんだ。…寂しくないように」


「…影虎様は、輝虎様のことが大好きなのですね」


兼続のその言葉に、影虎は少し照れ臭そうにしながらもはにかんでこう言った。



「もちろんだよ。…俺たちは、たった二人の双子だからな」




「……若君、お待ちください!まず先に傷の手当てを!」

「ぎ、義銘様!…お気持ちは分かります、しかし……軍の指揮をお取りください!もはやこの右翼の将は若君しか…」


赤龍隊と暴雷の残党軍は、義道の捨て身のしんがりによって戦線後方まで撤退し、そこで一時の休息をとっていた。


撤退中に織田軍も同じく後退したという報せを受けた彼らは、このまま戦線を維持するか、それとも他の戦線に向けて援軍を発するかという判断をしなければいけなかった。


そしてその判断をするのはもちろん、義道の死によりこの一団の指揮官へと繰り上がった彼の子供、義銘である。


が、しかし。


大いなる精神的支柱を失った今の義銘に、そのような決断ができるほどの余裕はなく。

そんな彼は、茫然自失の面持ちでただ足を進めていた。


別にどこへ行こうというアテもない。

ただ今は、そうしないと心が保たないのだ。


部下たちの声も届かず。

しばらく後方拠点の中を歩き回っていた義銘の足は、自然と高台へと向かっていた。


俯いたまま高台への階段を一段一段ゆっくりと登っていく義銘。


少し一人きりで外を眺めてから戻ろうか。

そう思った義銘であったが、そこには既に先客がいた。


「…お、まえ……意識が、戻ったのか…」


直江兼続である。


「義銘、今すぐ軍を動かすぞ。…赤龍と、暴雷はお前に任せる」


開口一番に、いつになく鋭い眼光と共にそう言い放つ兼続。


そんな彼の様子に、義銘は意図せず顔を上げた。


「…父上が、…父上が討ち取られたんだ」


「…ああ、聞いている。……だが動かなければいけない。…俺たちは、越後の将なのだから」


本当に、この友は。


ぐっと涙を拭って前に向き直った義銘は、いつもの毅然とした面持ちで言う。


「ああ、そうだな。…俺たちは将だ。…それで、どこに軍を動かす。さらに戦線を後ろに畳むんで一部を他の戦線に——」


「違う、全軍を動かすぞ」


自身の言葉を遮って飛び出した兼続のその発言に、義銘は言葉を失った。


全軍をここから移動させる。

たった一万ほどの軍勢ではあるが、その全てがいなくなるということはつまり。


「…バカな。それでは、右翼はいなくなるぞ。…そもそも、動かすと言ってもどこに」


「織田軍の背後には、今川という憂いがある。俺たちがいなくなろうと、奴らが再び右翼から動いてくることはない。……その隙に俺たちは、中心部に向かう」


「中心部だと…?……っ、まさかお前!」



「そうだ、すぐに全兵に向けて号令をかけろ。…向かうぞ、上田城へ」



















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