第壱部 第八話 しんがりの役目

「殿、中央軍の損害が5000を超えました!」

「輝虎様!左方の山の哨戒線を抜けて、敵騎馬隊が入ってきています!予備隊の戦力だけでは保ちません…!」

「敵中央軍の勢いも初日以上のもので、そちらに兵を割くこともできないとのこと!」


…完全に、見くびっていた。


連日の敵将撃破の報に、順調だと思い込んでしまっていた。

一転して届き続ける敗戦の報に思わず、輝虎の首筋に冷や汗が伝う。


もともと数で圧倒的に劣る越後は、3日目初動から人海戦術での強行突破に乗り出した朝倉の勢いに、かなりの苦戦を強いられていた。


そして火急の問題は、現在左側の山地を抜けて中央後方に迫りつつある騎馬隊だ。

それなりの傾斜に加え、人の手が加わっておらず木々が生い茂っている森の中を騎馬で走り抜けるのは、かなり馬術に心得が無ければできないものである。

それだけで、敵騎馬隊が普通ではないことが窺い知れるだろう。

この騎馬隊と敵中央軍による挟撃が成功すれば、その時点でこちらの負けが確定してしまう。


「応戦している予備隊を少しずつ後退させろ。……白虎をいつでも出れる状態で待機させておけ」

「はっ…しかしながら輝虎様、中央軍は保ちますでしょうか」

「中央の者たちには申し訳ないが、あそこはもう現地の将の才覚にかかっている。ここから出来るのは、せめて彼らが正面のみに集中できるよう身を捨てることだけだ」


輝虎はそう言ってスッと立ち上がると、正門に待機している白虎隊2000のもとへ歩いていく。

最前列に立った彼は、白虎の一人一人に向けてゆっくりと語り出した。


「これから起こる戦いは、この国の命運を分けると言っていいものだ。戦歴の長いお前たちでも、経験したことのないような修羅場になるだろう。…それでも俺の背中に喰らい付いて来い。お前たちが血を流す時、俺は倍の血を流す。お前たちが右腕を失うなら、俺は両腕をくれてやる!……皆の者、勝ちに行くぞ!」


その声の主が、まだ十八がそこらの若者だと誰が思うだろうか。これから死地に向かうというのに、まるで動揺を見せない。そしてこの部下への激励。


理路整然とした態度で話す輝虎からは、すでに名将の風格が立ち昇っている。


そしてその一言一言が、わずかながら不安に駆られていた隊員たちの闘志に大きな火をつけた。

この方を信じて走る。そうすれば、俺たちは無敵だと。


「いい表情だ。…出るぞ白虎、出陣だ!!」


敵が普通でないなら、こちらも相当である。うっそうと茂る森の中を馬で直走りながら、輝虎は後方に向けて叫ぶように言葉を発する。


「狙いは伸び切った敵後列だ!側面を打ち砕いて即時離脱、旋回して再び横撃!基本的にはこれを繰り返して敵の戦力と士気を削り続ける!」


報告によれば、予備隊と接触している敵騎馬隊の陣形は、基本に忠実な錐形突撃だ。

この形の利点は、バランスが保てているため背後からの攻撃に対処できることと、何より一点突破に必要な吶喊力を長時間維持できること。


しかしどんな布陣にも、弱点は存在するものだ。


森林の中で、ついに眼前に朝倉の騎馬隊を捉えた。数人がこちらに気づいて声を上げる。

だが、もう手遅れだ。


「なっ……横から敵の騎馬突撃だ!早く回頭しろ!」

「間に合わない…!それどころじゃない、俺たちも一歩も動けないぞ!」


対処が間に合わず、最初に白虎隊と接触した敵騎兵は、輝虎による矛の一振りによってなす術なく粉砕された。

そう。この通り、錐形陣形は側面の守りが極端に弱くなるのだ。

縦への推進力を上げるには、騎馬の一騎一騎が鮨詰めになって密度を上げるのが一番手っ取り早い。

しかしそれをすれば、今のように俊敏性が失われて側面からの強襲に対応することが困難になる。


この状況で間近に迫った白虎に対応できるのは、せいぜい最前列の兵くらいのもの。そこさえ抜いてしまえば、あとは入れ食いである。

唯一こちらを足留めできる可能性のあった敵前列だが。

やっとこちらに向き直れた数人の騎兵は今しがた、最前列を打ち破るや否や勢いそのままに飛び込んできた先頭の輝虎と打ち合って、文字通りバラバラになった。


「このまま前に抜ける!そのあとは伝えた通りに!」 


そう後方に叫ぶと、主君の暴れっぷりを見せつけられた白虎隊の部下たちはより一層勢いづく。

それに、こうなった錐形の横腹を食い破るのがどれだけ楽な仕事か、戦歴の長い彼らは知っているのだ。

敵も、まさかこの位置で追いついてくる奴らがいるとは夢にも思わなかったことだろう。

とは言え先頭を行く輝虎も、あまりの手応えのなさに違和感すら覚えるほどだった。


しかしもうすぐ突破できそうだ。突撃を開始した時に確認したところでは、この部隊の対岸は昇り坂になっていた。それなら、旋回後は勢いも乗ってさらに上手く削れるだろう。

ついに最後の一列を打ち砕いて敵騎馬隊の横腹を食い破り、敵の波から抜け出した輝虎は……信じられないものその目で捉えた。

旋回に利用するはずだった坂道には、突入した時点では存在しなかったはずの火縄銃部隊が待ち伏せしていたのだ。


ハ、ハメられた……!!


そこで初めて、輝虎はここまでの動きが全て敵将に読まれていたことに気づき……全身から血の気が引いた。

黒光りする銃口が一斉に輝虎へ、その後ろに続く部下たちへとゆっくりと向いていくのを感じる。

両者の距離はもう、5メートルとない。


間近に迫った死の気配。

次第にゆっくりとなっていく視界の中で輝虎は、火縄銃部隊の中に一人、物々しい甲冑を付けた男を見つけて歯噛みした。


やはりいたか。

朝倉五将最後の一人、雑賀惣兵衛!


「ここで沈め、長尾輝虎!!」

 

「……避けろおおおおおおおお!!」

「総員、撃てえええええええええええ!!」


急いで馬の進路を変更し咄嗟に身を屈めるも、時すでに遅く。


けたたましい銃声。同時に腹部を凄まじい衝撃が襲い、輝虎は馬上の勢いそのままに落馬した。

不幸中の幸いと言うべきか、背後の敵騎馬隊とも前方の火縄銃部隊とも離れた位置まで吹き飛ばされていく。


銃弾が直撃したであろう腹部に走る、肉の中に直接溶かした鉄を流し込まれたような激痛。


これは、まずい。


輝虎の危惧は的中していた。彼の腹部に命中した銃弾は、辛うじて臓器は避けたものの大きい血管を複数引き裂きながら身体の中心まで侵入し、そこで動きを止めていた。


なんとか首を動かして腹部に目をやると、弾が貫通した鎧の隙間から滝のように血が溢れ出ている。

このまま行けば、間違いなく失血死だ。


いや、そもそも。

この状況から抜け出すような手立てさえ、どこにも。


すると、輝虎たち前列の異変を悟った白虎隊中列の兵が馬を降りてこちらに駆けてきた。


「輝虎様、ご無事ですか……!」

「……ッ…ああ…ガハッ、なんとかな……」

「…!…おい誰か手を貸せ!殿はご存命だ、このまま御靖までお連れするぞ!」


その声に反応した者たちの中には、彼の側近である飯田忠重もいた。

周囲を見渡した彼が目にしたのは、ぐったりと倒れる輝虎の姿と、背後から彼らに襲い掛かろうとする敵部隊。 

それに対して応戦しよつとする白虎隊後列と、さらにそれを排除するため再装填を行う敵火縄銃部隊。


はっきり言って、脱出は絶望的な状況……しかしここで輝虎が、さらに白虎隊が討たれては、もはやこの戦の勝敗は決してしまう。


それを感じ取った忠重は、静かに覚悟を決めた。

輝虎を、そしてこの場にいる白虎兵逃すためには、ある程度のしんがりが必要だ。


助け起こされる輝虎の元へと駆け寄ると、懐から一本の短刀を取り出してそれを輝虎の腕に抱かせる。


「じい、これは…まさか」


その刀は、飯田家の次男が継承する銀塗りの宝刀。これを輝虎に手渡すということは。


「……この老骨めが、輝虎様が撤退するまでの時間を稼ぎます。飯田隊、五十騎残れ!殿軍を務めるぞ!」


一切の迷いなく動き出す彼らの様子に、もはや忠重たちを止めることはできないと悟ったのだろう。

輝虎は彼の腕をガシッと掴んでこう言った。


「…じい、約束を覚えてるな」


その言葉に、忠重はゆっくりと頷く。

忘れるわけがない。輝虎様が、私の前で初めて涙を見せた瞬間だった。思えば、あれが最初で最後だったか。


忘れられるわけがない。五年前、夜の森での出来事だ。

あの日以来、輝虎様は二度と刀を握られることはない。


「……輝虎様のお側にいれて、じいは幸せでした。どうかご武運を」


失血で話す余裕も無くなってきた輝虎は、それでも気絶するまで、忠重の腕を掴んだまま離さなかった。


ここで確実に輝虎の息の根を止めようと怒涛の勢いで迫ってくる、敵騎馬を、火縄銃部隊を。

そして忠重たち殿部隊を置いて、輝虎を乗せた白虎隊が撤退していく。


彼らが無事に城まで辿り着けるかは、忠重たちの力量に懸かっている。

鬼気迫る表情でこちらに向かってくる、何十倍もの戦力差の騎馬隊を前にして。

忠重たち隊員は顔を見合わせてフッと笑った。


「副長、ともに戦えて嬉しかったです。ありがとうございました」

「俺もです。副長には何度も助けられましたよ」

「お前たち…儂もだ。悔いはない。……輝虎様の天下を見届けられないのは、少し残念だが」


全員が満足げな顔で、強く刀を握りしめる。

ふと空を見上げると、そこには分厚い雲の間から陽光が差し込めていた。


ついに敵騎馬隊との戦闘が始まった。もう何人斬ったかも、こちらが何人死んだかも分からない。


いつの間にか、西日が山の端に沈んでいっている。

十分に時間は稼いだ。


しかし、分かってはいた事だが。

やはりここから生きて出るのは無理だろう。


時間が経つごとに包囲は狭まり、そこら中から飛んでくる刃を全て受け切ることはできない。先程から、負傷が増えてきた。


……ここまでか。


わずかだが諦観が頭をよぎった、その瞬間。

完全に意識していなかった背後から突き出された刃が、忠重の心臓を貫いた。


後ろを振り返ると、そこに立っていたのは見覚えのある男の姿。


「雑賀、惣兵衛……貴様か」

「老兵風情が邪魔をしおって。…だが貴様の献身など、単なる自己満足に過ぎん。輝虎は、死んだ。…これで終わりだ。貴様らも、……越後もな」


ゆっくりと、引き抜かれる刃。

言葉を返すことすらできない。

一瞬で、身体から力が抜け落ちる。そのまま力無く地に横たわると、もう体をピクリとも動かせなくなった。


徐々に、視界も狭まってきた。


改めて死を意識した忠重の脳内を、今までの思い出がぐるぐると駆け巡っていく。


これが…走馬灯か。


すると、その中の一つ。五年前のある出来事が、他よりずっと鮮明に浮かび上がった。

思えば、あの日からだったかもしれない。

越後の運命が、輝虎様の運命がねじ曲がった日。


くたばりぞこないの老爺の独り言を、どうか許して欲しい。

少しだけ。

昔話をしよう。

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