第9話 日記の蝶は夢で舞う

これは、今年に入り私が体験したお話です。

一応の解決をしたと思われますので描き留めておきたいと思います。


私は今年に入り、ある夢に悩まされていました。


蝶の夢……。


暗闇の中、蝶が舞う夢です。


暗闇の中、眩い鱗粉を撒き散らし、フワフワと舞う蝶の姿はとても美しく、私はそれに見とれて深い眠りにつくのです。


それからというもの、同じ蝶の夢は続きました。


いつもの様に闇の中で舞う蝶をただ眺めるだけの夢、ですがある変化が、その日は起きたのです。


蝶は一匹ではなく、二匹、三匹と増えていったのです。


気が付くと辺り一面に舞う蝶達、それはとても幻想的な風景で、私はそこで初めてソレを怖いと感じ初めていました。


それからも何度か同じ夢を見て、私はだんだんと怖くなり、それをある日、Twitterで呟きました。


一人で悶々と考えるのが億劫というか、ただ単に怖かったのかもしれません。


最近蝶が舞う夢を何度も見ると……。


そう呟いてから数日が立ったある日のこと、去年亡くなりました母の遺品、膨大にある日記の一部を読んでいた、ある晩の事です。


古びた日記のページをめくっていた私の手が、ふと止まりました。


カサカサと紙の擦れる耳障りな音が、耳に響きます。


指が……震えていたんです。

ページを摘んでいた私の指が、小刻みに……。


それは、母がまだ私を産む前の頃に書き記した頃の日記でした。


母の日記にはこう記されていました。


あの蝶はダメだ。

あの蝶を見ちゃダメだ。

蝶を見ちゃダメ。

気が付いて。

早く気が付いて、私。


気が付くと私は呻き声のような、声にならない小さな悲鳴を上げ、テーブルに置いてあった紅茶を倒してしまいました。


慌ててそれを拾い上げ、テーブルを拭いた後、私は日記を書棚に戻し逃げる様にベッドに潜り込みました。


その日は部屋の灯りをつけたままにし、たいして聴いてもいない異国の声で話すラジオのMCの声に耳を澄ませました。


正直寝たくない気持ちでいっぱいでしたが、気がつくと身体の力が抜け始め、私は朧気な現実の歪みを感じつつ、眠りへと誘われていきました。


夢を見ました。


暗闇……いいえ、夜の……森の中?


僅かに聴こえる木々のざわめき、月明かりはあるものの、鬱蒼とした森に遮られ、光はこちらまで届きません。


僅かに差し込む足元の月明かりを頼りに、私は森の中を歩きます。


ふと、何かが木々の間を横切ります。


蝶です。


これまでに何度も見たあの蝶が放つ眩い鱗粉。


闇に溶け込むように舞う蝶を、輝く鱗粉が形をなして飛んでいます。


やがて、一匹、二匹、三匹と、蝶はその数を増やしていきます。


そしてその蝶の下には、他に蠢くものがありました。目を凝らすと、それは人の様でした。


まるで蝶が誘うかのように、その下には人影があったのです。


フラフラと揺れ動きながら、蝶と人影は森の中へと……。


月明かりが一瞬、その人であろう影に光を差します。


「あれ……?」


照らされたその横顔に、私は見覚えがありました。


幼き頃、自殺した祖母の顔。


生気のない瞳、虚ろな目をした祖母の顔です。


困惑した私は辺りを見渡します。


フワフワと舞う蝶、その蝶の下に、他にも人影がありました。


真っ暗で見えないものもありましたが、フラフラと歩くその姿を眺めていると、やはり見覚えのある顔を見つける事ができました。


学生時代、私をよくいじめていた従兄弟でした。

事故で亡くなったはずのあの従兄弟の姿が、そこにあったのです。


祖母と同じ様に、虚ろな目でゆっくりと歩いています。


私は夢の中であるにも関わらず、思い出したかのように、恐怖に体を蝕まれ、その場に蹲ってしまいました。


ダメだ、立てない、嫌だ、ここに居たくない……。


胸の内に渦巻く恐怖の感情が、私の全身を這いずるように侵食していく中、ふと、あの時母の日記で読んだ文面が思い浮かびました。


あの蝶はダメだ。

あの蝶を見ちゃダメだ。

蝶を見ちゃダメ。

気が付いて。

早く気が付いて、私。


蝶を見ちゃダメ……?


ふと、あんなに重かった体が、急に軽くなった気がしました。


顔を上げます。


相変わらず蝶はその数を増やし、私の横を何者かの人影が通り過ぎて行きます。


気がつくと、私の頭上にもあの蝶が……。


ですが私の視線はその蝶ではなく、蝶の頭上に輝く大きなお月様にいっていました。


大きな満月。

淡い光を夜空に漂わせ、神秘的な姿に見とれていると、僅かに私の目にも光が宿った気がします。


その時です。


「えっ……えっ……うそ……えっ」


思わず私の口から声が盛れます。


瞬間、身体は衝動的に起き上がり、その場を逃げるようにして駆け出していました。


無我夢中でした。


夢の中だと言うのに息苦しく、脇腹がズキズキと痛みます。

叫ぶ事もままならず、ただただ、私の荒い息遣いが夜空に響いていました。



さて、夢の内容はここまでです。


この後、私は三月に入り、人生初のお祓いというものに行ってきました。


ああ、その筋では有名な霊媒師、とかそういったものではないですよ?


普通に神社で予約し、御祈祷して頂いただけです。

知らず知らずのうちに邪気が溜まっていたんでしょうね、と、祈祷師さんにやんわりと諭されて、高い勉強代を払って帰宅してきました。


あれ以来、あの夢を見ていません。


あの、暗い森の中でフワフワと舞う蝶……。


いえ、蝶ではなかった。


あれは……手でした。


干からび黒ずんだ人の手。


それが無数に宙に浮かび、怪しげな鱗粉を撒き散らしながら、既に亡くなった筈の亡者達を、あの森に誘っていた……。


まあ……全て夢、ですけどね……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る