妹でもヤンデレでも幽霊でも、別にいいよね? お兄ちゃん?(完結)

熊吉(モノカキグマ)

プロローグ

0-1:「新しい家」

 3月。

 昼は暖かな陽光が降り注ぎ、夜はまだ肌寒い。

 冬の荒涼とした世界が、徐々に芽吹き始める、新しい始まりを予感させる季節。


「ここが、オレの新しい家、か」


 18歳の、もう少年というには少し大人びて、まだ青年と呼ぶには早い年齢の男子、百桐 丈士(ももぎり たけし)は、故郷から遠く離れた都会の近郊に広がる街、高原町(たかはらちょう)の一画にあるアパート、[タウンコート高原]を前にしながら、やたらと感慨(かんがい)深そうにそう呟いていた。


 丈士の背格好は、身長は170センチと180センチのちょうど中間、筋肉質の体は太っても痩せてもおらず、黒髪の短髪に、茶色の瞳を持つ。

 高校を卒業したばかりの彼は、スーツケースに身の回りの物を詰め込み、地方の田舎にある故郷から遠く離れたこの場所へと、新幹線や電車を乗り継ぎ、やって来た。


 念願の建築士になるための勉強をするため、この春、4月から、大学に通うことになっている。

 タウンコート高原は、そんな丈士が新しい住家(すみか)として暮らすことになる場所だった。


 どこにでもあるような、少しだけおしゃれで、直線を多用した使い勝手のよさそうな3階建ての建物だ。

 建物の外観は年季のいったものだったが、よく管理されていて小ぎれいで、痛んだところは見当たらない。

表面は明るい、オレンジ色に近い茶色の、レンガ風のタイルで覆われているが、内部は鉄筋コンクリート製で、安普請(やすぶしん)ではなくしっかりとした構造になっている。


 3階建ての建物で、その2階、201号室が、丈士が借りた部屋だった。

 間取りは1DK。洋風の6畳間の居室と、小さくとも設備のしっかりとしているダイニングキッチン、それぞれ独立している浴室とトイレがある、一人暮らしをするには十分な余裕のある物件だ。

 加えて、冷蔵庫、コンロ、洗濯機、エアコンなど、持ち込みが大変でそこそこお値段のする家具まで、最初から部屋についている。


 その家賃、月々なんと、1万5千円。

 家具のリース費用もかからない。

 しかも、敷金、礼金なし。


 不動産屋に仲介してもらって大家に直接確認したから、間違いなく丈士はこの破格の家賃でここに住むことができる。


 この間取りで、丈士が通うことになっている大学まで徒歩圏内で、このお値段。

当然、裏がある。


 丈士が借りる部屋ではないが、そのとなり、202号室がいわゆる[事故物件]なのだ。


 もう何年も、10年以上も昔のことになるそうだが、その部屋、202号室で、ある女性が亡くなった。

 その死因は過労によるもので、体力を消耗していたその女性は、健康な人間であれば簡単に回復するような軽い病気をこじらせてしまったのだ。


 心配した大家が様子を見に部屋を訪ねた時には、すでに女性は息絶えていた。

 以来、202号室は封鎖され、ずっと空き部屋となっている。


 それだけでも十分減額の理由にはなるが、直接事件のあった202号室ではなく、その隣の201号室、もっと言うなら203号室までも、家具つきでこれだけの値段であるのには、まだ理由がある。


 化けて出るというのだ。

 202号室で亡くなった、女性の幽霊が。


 格安の値段の理由について、大家は一切の隠し立てをせず、その幽霊についての噂を丈士にしっかりと説明してくれた。

 何でも、202号室を含め、その両どなりの部屋でも、夏なのに急に部屋の気温が下がったり、夜な夜なすすり泣く女性の声が聞こえたり、誰もいないはずの202号室で足音の様なものが聞こえてくるというのだ。

 鉄筋コンクリート製でしっかりと防音対策のされているタウンコート高原では、これまでほとんど騒音の苦情が出ていないにもかかわらず、その声や音だけは、はっきりと聞こえてくるのだという。


 それで、まったく借り手がつかないから、家具までつけて月々1万5千円。

 入居者がいても数日で逃げ出して行ってしまうため、敷金も礼金もなしということになっているのだそうだ。


 大家は、丈士に何度も、「借りてくれるのはありがたいのだけれど、本当に大丈夫なの? 」と念を押すように確認してくれたが、丈士には他の部屋など考えられなかったし、そもそも、幽霊の噂など怖くはなかった。


 幽霊の存在を、信じていないからではない。


 丈士が、幽霊という存在に[慣れきって]しまっているからだ。


────────────────────────────────────────


 丈士には、およそ3年前から、ずっと、1人の幽霊がとり憑(つ)いている。


 その幽霊の名は、百桐 星凪(ももぎり せな)。

 丈士の、ふたつ年下の妹、[だった]。


 星凪は、およそ3年前、不慮(ふりょ)の事故で亡くなった。

 暑い夏のある日、丈士と星凪は家の近くを流れる二枝川(にえがわ)に川遊びに行き、そこで、星凪は川の流れにさらわれた。


 星凪を助けようと丈士は川に飛び込み、流されていく星凪に必死に手を伸ばしたが、その手は届くことはなく、星凪は、暗い川底へと沈んでいった。


 目の前で、妹を失った。

 自分は、妹を救うことができなかった。

 丈士は自分の無力さを呪い、後悔に押しつぶされそうになり、何も考えられずに、捜索隊によって引き上げられ、棺(ひつぎ)の中に納められた星凪の遺体(いたい)を前に泣き続けた。


 だが、通夜が行われた夜、奇跡が起こった。


 丈士の妹、星凪は、幽霊となって丈士の前に姿を現したのだ。


 最初、丈士は戸惑う他は無かった。

 その半透明の少女は間違いなく星凪の姿をしており、星凪のよう振る舞った。


 だが、丈士は生まれてからずっと、霊感など無かったし、幽霊などというものは見たことがなく、すべて「作り話だ」としか思っていなかった。


 星凪の遺体は、冷たいまま、棺(ひつぎ)の中で眠っている。


 それなのに、その魂は、幽霊となって丈士の前に姿を現した。


 奇妙なことは、それだけではなかった。

 星凪の姿は、丈士にだけしか見えていなかった。


 星凪の幽霊に驚き、大騒ぎしてしまった丈士に、両親は怪訝(けげん)そうな、そして、(とうとう気が狂ってしまったのか)と、哀(かな)しそうな視線を向けるだけだった。


 星凪は、確かにその命を失ってしまった。

 だが、幽霊となって、帰ってきてくれた。


 その現実を理解し、受け入れた丈士は、嬉しかった。

 星凪も、自身の死を悲しんではいたが、新しい現実を受け入れ、丈士が思っていたよりもずっと早く立ち直り、兄妹は自分たちの新しい生活を前向きに歩み始めた。


 だが、この場に星凪の姿は無い。

 丈士にとり憑(つ)いていたはずなのに、星凪は、丈士が新しい家に引っ越すのについて来ていない。


 星凪は、もちろん、それが当然であるとでも言いたそうに、丈士についてくる気でいた。


 だが、丈士は、そんな彼女をあざむき、故郷に置き去りにしてここへ来た。


 丈士は、星凪から逃げてきたのだ。

 幽霊になってから3年の間に、すっかりヤンデレと化し、兄である丈士を独占しようともくろむ様になった、ヤンデレ妹幽霊の星凪から、丈士は[自由]を勝ち取りたかったからだ。

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