第三十一話 昴宿と明星

 半円形に覆われた黒い膜の裂け目から、強烈な火柱が夜の闇に勢いよく吹き上がった。


 黒い膜の裂け目から、青白い球が突き破るように飛び出してきた。地面を覆うがれきの上を、青白い球が勢いよく地面ごと削るように転がり止まった。


「クソが!」


 割れた青白い球の中から現れた昴宿ぼうしゅくが、吐き捨てるように吠えた。


 遠く、火を噴いていた真っ黒な半円形の膜は、すでに形を成していなかった。飛び出した黒い膜の内側、黒い膜を支えるように走っていた青白い膜は、完全に砕け、黒いもやと共に小さな光をきらめかせながら夜の空の中でゆっくりと飛散していた。


 遠く、宙に浮くものが見えた。


 桃色の法衣の者が、浮いていた。右手の上、飛散した黒いもやを集めるように渦を巻き、あたりの虚の破片を吸い込んでいた。その左手、無造作に下げられた腕の下に、ぶら下げるように白い法衣の者の生首がつかまれていた。


 昴宿が地を蹴り跳ねた。


 黒い蛇のような何かが、昴宿を横から薙いだ。宙で切り返すようにかわした昴宿が、大虚の触手を蹴りさらに宙へ跳んだ。


「いいのですか?」


 宙に浮いた桃色の法衣の者が、静かに声を発した。


「あなたが甲斐甲斐しく世話を焼くその子供。それを放置しても」


 駆けていた昴宿が目で地を追った。


 がれきに沈んだ明星めいせいが、右胸を抑えていた。


「明星!」


 うずくまる明星の右胸から、何かの芽のようなものがうごめくように生えていた。


「貴様何をした!」


「私の魂魄を撃ち込ませていただいた」


 生首だけとなった白い法衣の者から、声が響いた。


「十二年ぶりに漂着した、純粋な虚。その種を肉で包むなど、到底許されるものではない。打ち込んだ私の魂魄がじきにその肉を食いつくす。そうすれば、あの草木妖の若木は本質を取り戻し、我々と共に来ることになるだろう」







 飛散したがれきの中で、明星がゆっくりとその足で立ち上がった。


 汗が止まらなかった。右胸から生えるこの草の根が、自分の体を貫いているのがわかる。


 服を貫き生えた何かの芽を、明星が両の手で強くつかんだ。

 引き抜こうとした同時に、強い痛みが右胸を走った。張り巡らされた根が、引き抜くと同時に肉を持っていこうとしている。体中から汗が噴き出していた。


 咆哮とともに、一気に芽を引き抜いた。肉を割いた根が、血しぶきをあげながら体から離れた。地面へ叩きつけるように投げ捨てた後、左手に持った弓を宙へ向けて構えた。


「無駄だ」


 遠く、宙から声が聞こえた。


「お前と我々は本質的には同じ。同じ力で我々を砕くことはできない」


 矢をつがえた。倒れそうになる強いめまいの中、胸の痛みが逆に意識をはっきりとさせていた。


 明星の震える右手が、弦を引こうとして止まった。強く張られた弦が、残った力で引き絞ることを許さなかった。


 真後ろから、何かが明星の手を強く覆うように握った。左手で握っていた弓を抑え、弦を引いていた明星の右手ごと、後ろの人間が弦を引いた。


 望天ぼうてんだった。望天が、明星の腕を握り弓を共に引いていた。

 明星の真っ黒な弓が、極限までその弧を描いていた。


「火よ!」


 望天が叫んだ。


「汝の力をその炎で示せ!」


 望天の言葉と共に、虹色に輝く炎が生まれた。一瞬にして明星の腕を伝い、虹色に輝く炎が弓を包み込んだ。


「お前が、放て」


 背の後ろを見る明星に、望天が、静かに強く言葉を発した。


「続く言葉は、その弓に問いかけろ」


 明星が左手を見た。虹色の炎を纏う、真っ黒な虚の弓。


 言葉が脳内に響いた。あの黒結晶に溶け込んでいた中、自分の背後から支えていた女の声。


 明星が空を睨み据えた。矢の先を、宙に浮かぶ法衣の者に向ける。


 望天が、明星の声に合わせるように同時に言葉を放った。


「汝人にあらざれば、即ち死して滅ぶべし!」


 明星から、一筋の強烈な光が放たれた。


 瞬間、真っ暗な宙で何かが遮るように立ち昇った。


 大虚だった。黒く、太いその触手が、とぐろを巻くように何重にも宙で重なった。


 一筋の光が、何の抵抗もなく、その肉の壁に吸い込まれるように貫いた後、遅れるように肉が爆ぜた。


 巨大な穴を開けた触手の奥で、青白い壁がいくつも現れた。

 法衣の者が、宙を滑るように矢の軌道を逃れながら印を切っていた。


 許さなかった。宙に浮く青白い壁を打ち砕きながら、一筋の光が追尾するようにその軌道を曲げた。


 光が貫いた。


 爆ぜるように何かが砕けた後、一筋の光が、そのまま空の果てまで届くほど立ち昇って消えた。







「結構な威力だな」


 望天から思わず笑い声が出た。


 真っ白な何かが、地に降りるように落ちてきた。


 昴宿だった。

 落ちると同時に口を開いた。


「あの草木妖どもに当たったのは見た。だがどうなった? 逃げたのか?」

「わかりません。ただ——」


 望天があたりを見回した。


「あいつらの気配はない」


 がれきに何かが当たる音がした。

 望天の前、矢を構えていた明星が崩れるように膝を折った。


「明星!」


 明星が、小さく苦痛を声に出しながら震えていた。

 右胸を抑えた手の隙間から、新たな小さな芽が隙間を縫うように生えていた。


「望天!」


 昴宿が叫んだ。


「なんとかならないのか!」


 明星の右胸から生えた芽から、輪のような葉がその姿を現したかと思うと、みるみるうちに茂らせ始めた。

 右胸の奥、えぐれたように空いた真っ黒な穴の底で、青白い炎が燃えるように光っていた。


 瞬間、明星の右半身が強く光った。


 突如宙に出現した青白い杭が、貫くように明星の胸に深く刺さった。


「貴様!」


 昴宿が叫んだ。


 視線の先、従者を引き連れた監正かんせいが立っていた。印を切った手を青白く光らせたまま、三人のいる場所へ歩いてきていた。


「動かないことです」


 監正の声に、一瞬で昴宿が尾を広げた。飛び掛かろうとしたその瞬間、昴宿の前に望天が滑り込むように割り込んだ。


「その少年を助けたいならば」


 監正が、表情を変えないまま、唸る昴宿の前で止まった。

 座り込んでいた明星の前で足を止め、座り込んだ。


 体中から、明星が汗が噴き出していた。右胸を抑え、血の気の引いた顔色をした明星が、強く監正を睨んだ。


 監正が青白く光る手を明星の胸にあてた。


 打ち込まれていた青白い杭が、ゆっくりと、溶けるように明星の右胸へしみ込んでいった。


「この術は、草木妖独自のものです。通常の術では対処はできない」


 監正の手がさらに光を強めた。


 右胸から生えていた葉が、ゆっくりとしおれ始めた。枯れたように色づいた葉と茎が、砕けるように散ったかと思うと、黒く、中にある青白い炎を覗かせていた穴が、肉が盛り返すようにその穴を閉じていった。


 監正の手の光が消えた。

 触れていた手が離れた後は、何もなかったように明星の右胸はふさがっていた。


「右腕を回してみなさい」


 信じられないといった表情の明星が、右手を確かめるように肩から回してみた。

 何の支障もなく、するすると動いた。


 確認したかのように、ゆっくりと監正が立ち上がった。


「貴様、何をした?」

「打ち込まれた草木妖の魂魄を止めました」


 強く睨んだままの昴宿へ、無表情で監正が答えた。


「ただこれは、ほんの一時しのぎに過ぎない。この呪いを根本から取り除くには、この術をかけた術師から解呪を聞き出すか、殺す。そのどちらかしかありません」


「なぜ人間の貴様にそれがわかる? それに明星を生贄にしようとした貴様の言を信用しろと?」


 髪に白いものが差し込んだ監正が、自嘲するように笑った。


「長いこと生きている星の君にしては、おかしなことをおっしゃる。私が、いつ術師になったと思うのですか? まだこの都に虚も草木妖もいた、はるか昔の話ですよ」


 監正が遠くを見た。


「それにこうなった以上——」


 視線の先、都の建築物が立ち並んでいたはずの個所。

 その場所が、何一つがれきも残ささないまま、さらに掘るように小さな穴だけを残しえぐれるように地面を失っていた。


「私がこの子に執着する理由はもうありませんので」


 監正の視線に、明星が困惑したような表情で立ち上がった。


「望天」


 監正が、凛とした声を上げた。


「天狐の契約者となった今。この都を大虚から守るのはあなたです。欽天監きんてんかん所属であったとしても、あなたも武官である以上、それは理解していますね?」


 睨むように見つめる監正に、視線が泳いだままの望天からは、何も回答が出なかった。


 昴宿が、望天を背を、無言で強く尾で叩いた。

 望天が、ばつが悪そうに口を開いた。


「ですが——」

「ですが」


 監正が、遮るように言葉を続けた。


「あの、地面深くに打ち込まれた新たな黒結晶。あれが何のために打ち込まれたのか、私にはわかりません。そしてその元凶であるあの草木妖どもが死んだとも思えません。

 あなたには、あの草木妖どもの追討を命じます」


 元から大きかった望天の目が、さらに強く見開かれた。

 小さく、震えるように声が漏れた。


「よいのですか? 都に、また大虚を引き連れて現れるとも限らないのに」

「だからですよ」


 監正が、右手をひらひらと回しながら口を開いた。


「都を守ることは、当然我々の使命です。ですが、守るだけでは能がない。攻めなければならない。どの道あの草木妖を消さなければこの脅威は終わらないのです。だとするなら、あなたがこの子を連れて討ち果たしてくるのです。術に対抗するには、虚の力を持つこの子がいたほうがよいでしょう」


 昴宿から、大きな笑い声が響いた。


「一体何を隠している? お前がこんなに譲るとは、ありえん話ではないのか?」


「私は合理的に判断しているだけです。現実問題として、あの草木妖をどうにかできるのは現状、あなた方しかいない。そうではありませんか?」


 望天が、静かに声を出した。


「本当によいのですか?」

「くどい」


 監正が睨むように望天へ言い放った。


「私の気が変わらないうちに行ってしまいなさい」


 監正が、立ち上がった明星を見た。


「この子に打ち込まれた草木妖の芽。逆に、これが奴らを探す手掛かりになるでしょう」


 突然、望天が、足につけた金具を鳴らした。

 直立不動のまま、刀をさやに収め、仰々しく前に突き出した。


「望天、たしかに拝命いたしました」


「話はまとまったようだな」


 昴宿が、ゆっくりと、その太くうねる尾を回していた。


「ならば、お前の言う通り、気が変わらぬうちに我々は行くとしよう。このでくの坊は、こう見えて組織人のようだからなぁ」


 嘲笑するような昴宿の視線に、望天が無言のまま嫌そうな表情で答えた。


「乗れ」


 昴宿が静かに、強く言葉を発した。

 望天と明星が、ゆっくりと昴宿の白い背をまたいだ。


 瞬間、風が強く、薙ぐように地面を吹き付けていった。


 砂埃がまう中、閃光弾が打ち上がっていないことに明星が気がついた。それでも、目の前にいる監正の表情が分かった。

 地平に、僅かな橙色の光がさし始めていた。


「望天」


 背に乗った望天へ、監正が声を出した。


「私は、その子が太白たいはくの息子だとは思っていません。それどころか、人だとすら思っていない」


 監正と、明星の視線が交差した。


「十二年前、太白がおのが使命を裏切り残した草木妖の種。たとえ太白の息子がその元となっていたとしても、転生した草木妖が人格を引き継いだ例は一度たりともない。太白が稀代の術師であったとしても、自身の子の転生を成しえたとは私は思っていません」


 監正の突き刺さるような視線に、明星の表情が険しくなった。


「——私はそう、思っていました」


 監正の視線が、柔らかくなっていた。


 初めて会った宮中、大広間の中の表情。それよりも、どこか人間味を感じる表情をしていた。


「ですが、思うのです。あの妹を蘇らせるために天狐と契約した太白が、十二年前、真に願った自身の願いが我が子の転生であるならば、それは前代未聞の不可能であると思われたものであったとしても、成しえたのではないかと」


「関係ないのです」


 望天が、他意もなくただ笑った。


「こいつが、転生前の人格を引き継いでいるかどうか。そんなものはどうでもいい。ただこいつは、太白と十二年の年月を共に過ごしたのです。そうであれば、転生したか否か、そんなものはどうでもいい。こいつは太白の子で、私の甥です」


 明星の後ろに乗った望天が、手甲をつけたまま明星の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。


 監正が、少しだけ笑った。


 すぐさま、その表情を真剣なものに変えた。


「必ず、草木妖を殺しなさい。私がその子に施した術は、気休めです。打ち込まれた草木妖の魂魄、いつ自由になるか私にもわかりません。あなたの責をもって、草木妖を殺すのです」


「了解しました」


 昴宿が、強く地面を蹴った。

 土煙が立つ中、宙を駆けるように一筋の光が昇っていった。






「夜が明けたな」


 宙を駆ける昴宿が声を出した。


 地平が、白み始めていた。まだ中天は暗く、深い青の中、大地がゆっくりとその色を取り戻しつつあった。


「さて。どこに行けばいいのか」


 つぶやくように昴宿が声を出した。


「明星。監正の言では、お前にはわかると言っていたが」


 大気を切り裂くように走る中、明星が右胸に手を当てた。


 遠く、どこかで何かの気配がするのを感じる。だが、遠すぎるのか、あまりに漠然としていてわからなかった。


「全くわからん」


 昴宿から、心底楽しそうな強い笑い声が出た。


「まあいい。世界を見て回るにもちょうどいいだろう。それに、お子様のお前には夜通しなんぞ眠くて仕方がないんじゃないのか?」


「お前……」


 明星から嫌そうな声が出た。


「また馬鹿にしてるだろう」


 後ろから、間延びした望天のあくびが聞こえた。


「むしろ、私の方がそろそろ限界に近いですな」

「貴様、私の背に乗ったままお前だけが悠々と寝るなんぞ絶対に許さんからな」

「ひどい扱いですな……」


「――ああ!」


 突然明星から叫ぶような声が出た。


「なんだ」

「どうした」


 固まった明星が、こわばった表情で口を開いた。


「俺の荷物……!」


 望天が思い出したように手を叩いた。


「あのバカでかい袋か」

「今更言われたところでどうしろというのだ」


 落ち込んだような明星に、望天が軽く笑いながら続けた。


「まあ、後で送ってもらうようにしてやるよ」


「さて」


 滑空していた昴宿が、再度宙を蹴る足に力を込めた。


「ではあの草木妖。あれが以前、我々のいた村から飛び立った方角にでも行くとしよう。お前ら、しっかりと捕まっていろよ」


 明星が、昴宿に結び付けたいばらを強く固定した。


 無言のまま、昴宿がその速度を上げた。

 薄明かりが広がり始めた空に、一本の筋が流れた。虹色の輝きに包まれたその体が、宙を流れる星のように地平へと駆けていった。

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