第二十一話 十二年の目覚め(一)

 息が詰まるほどの空間だった。


 上下左右、全方向を石垣に囲まれたような、正方形の低く狭い部屋。人が数人詰め込まれれば誰かが圧されて犠牲になる。そんな極小の空間の中で、うっすらと青白い光が部屋全体に満ちていた。


 一段と強い光を放つ部屋の中心に、四方を木で囲った護摩壇のようなものがあった。組み上げられた木の枠の中で、真っ黒な何かが浮いていた。


 黒曜石のような何かだった。人間の頭ほどの大きさの、その中から薄く青白い光を放つ黒い塊。それが静かに、木の枠の中でただ宙に浮いていた。


「その後、どうなってる?」


 木枠の手前、法衣を着て着座する男の横で、声がした。

 短い髪の長身の男が、身をかがめながら声を出していた。


 望天ぼうてんだった。石から放たれた青白い光が、無精ひげの伸び始めた顔を薄く照らしていた。


大虚おおうろの動きは何もありません。ただ、黒結晶に動きが」

「へぇ」

「本日の夕方から、ずっと乱れています」


 夕方。

 自分が、天狐てんこたちを引き連れて都に来た時だ。


 正確には、「同じ座標に作った別の空間」に来た時、だ。


 あの時、なぜあの空間に出たのか自分でもわからなかった。兵部の転送陣を使って都に出るはずが、本来の場所ではなく「同じ座標に作った、大虚を隔離した別の空間」に出てしまった。

 引き金は天狐だったのか。それとも明星めいせいだったのか。


「望天殿」


 木枠の前、法衣を着た男が静かに口を開いた。


「我々は、いつまであの大虚を別の空間へ隔離できるんでしょうか」

「というと?」


「我々は、この黒結晶の魂魄を使い、あの大虚の時間を止めているにすぎません。この力が途切れれば、あの大虚はすぐにでもまた動き出す。そうなれば、今度こそ都は大虚に飲み込まれる。我々も皆死ぬでしょう。なのに例の草木妖そうもくようは、地方に大虚を出すだけでここには何もしかけてこない。奴らが何を考えているのか全くわからない……。

 私の様な末端には、命令以外知りようが無いことくらいわかっています。それでも嫌な予感が離れてくれません。この職についている人間が言うことではないと思っています。ですが、怖くて、あまりにも怖くて、気が狂いそうになる時があります……」


 男の声が、後半になるにつれ、明らかにうわずっていった。


 黒結晶を見たまま、望天がつぶやくように声を出した。


「正直言うと、俺は、こんな状況でもまだ覚悟が決まってないんだ」


 法衣を着た男が、軽い口調で出された望天の言葉に驚いたような顔で振り向いた。


 伸び始めたあごひげをさすりながら望天が続けた。


「俺が兵部に入ったのはよ。風穴が閉じて、虚がもう出なくなったって言われた頃でよ。それを聞いて、俺は兵部に入ったんだよ。ああ、これで虚を相手に死ぬ可能性はだいぶ減るだろうなって。それでいて、俺みたいな頭の悪いやつでもそれなりに飯も食える。正直、儲けもんだと思って入ったよ」


 独り言のようにしゃべりながら、望天が小さく笑った。


「でも十二年前、初めて大虚が都で出たとき。あの時俺は嫌というほど思い知ったね。俺たちは、死に方は選べない。ただ本当に、何も知らないまま犬死のようにくたばることも覚悟しなければならない。そんな仕事だったんだなっていうのを思いださせられたよ」


「十二年前、望天殿のご家族が、当時大虚を食い止めるため人柱になったと聞きました」

「ああ。この黒結晶の中にいる」


 目の前で、黒い塊がただ、静かに浮かんでいた。滑らかに反射するその表面の奥、ただひたすらに揺らぐような炎をたたえている。


 炎が、いつもと違う動きをしていた。いつものようにただ静かに燃えるのではなく、何かを探すかのように手を広げるような、中できらめく青白い炎。


 この黒結晶の中に、当時術師であった妹の魂魄が、いまだに閉じ込められている。

 都に発生した大虚を、術師の魂魄で強引に収束させた、人工的な草木妖の種。


「十二年前、あの時ももう、虚を制御できる草木妖は誰一人いなかった。絶望的だったよ。それでも、なんとか俺たちは乗り切って今に至ってる」


 望天が、軽く男の肩を叩いた。

 ゆっくりと、かがめていた身を起こした。


「あんまり悲観的になるな。お前だけがそう思ってるわけじゃないさ」


 望天が、黒結晶の中の炎を見つめた。


 中にある炎が、いつになく不安定に揺らめいている。

 炎が、逆に自分を見ている。そんな気がしていた。


 さあ。十二年前の黒結晶よ。本当に長い夜が今から始まる。どう転ぶのか俺にはわからない。ただ俺は、それが起こるということを確信している。





太白たいはくがここに来たのは、もう二十年近くも昔になる。虚の元の来る風穴を閉じた後、宮中にいた草木妖が軒並み消えた後だった。はじめ、ただの地方の星見ほしみだった太白は、ここに来る予定は何もなかった」


 昴宿ぼうしゅくの言葉を聞く中、遠く、明かりのないだだっ広い部屋の入り口に、幾人かの人影が見えた。


 小柄な、ゆったりとした服を着た女だった。短めの髪に、白髪がいくらか差し込んでいる。女を先頭に、後ろから手甲をつけたいかつい男女の二名が、連れられるかのように無言のまま部屋の中へ入ってきた。


 机に突っ伏していた明星が、上体を起こした。


 いつのまにか、隣で座っていた昴宿が立ち上がっていた。机の上に乗ったまま、先頭を歩く小柄な女を見据えるようににらんでいた。


 小柄な女を先頭にした三人が、明星の座る机の前で立ち止まった。

 昴宿の視線を受けたまま、柔らかに口を開いた。


「お久しぶりです、星の君」

「ずいぶんと老けたもんだな」


 小柄な女から、大きく笑い声が出た。


「あいかわらず容赦がありませんね」


 笑顔のまま、女が昴宿から視線を外し明星に変えて口を開いた。


「あなたが、明星ですね?」


 無言で明星がうなずいた。


 不思議な威圧感だった。小柄な女が、笑顔のままただ質問をしてきている。特に何かあるわけではない。後ろに控える手甲をつけた二名のほうがよほど圧を感じる。


 それでもなお、不思議な威圧感が笑う女からにじみ出ていた。


「こんな時間まで待たせてしまって申し訳ない。望天から、大切な客人が来るという話を昨日の段階で受けていたのだけれど、会議ばかりで時間が取れなくて。あなたも見たかもしれないけれど、都に大虚がのしかかったままで、なかなかこちらの時間も空きが合わせられなくて——」


「要件はなんだ」


 昴宿の一言で、女の口が止まった。


 全員の視線が、昴宿と女に集まっていた。


 刺すような雰囲気になっていた。

 ぎょっとしたように目を向いた明星が、場の空気に耐えられず後ろに控えた二人に向いた。後ろの二人も似たような状況にあるのか、明星と目が合った後困ったように視線が合わなくなった。


 昴宿がおかまいなしに口を開いた。


「お前が直接来るのは、想像をしてなかったよ。それだけ切羽詰まってるのか? それともこんな無駄話ができるほど暇な役職にでも追いやられたのか?」


 笑顔のまま、小柄な女が昴宿に口を開いた。


「おかげさまで、今はここ欽天監きんてんかん本部の長、監正かんせいをしていますよ」

「偉くなったもんだな。てっきり野心ばかりが先走り、勝手に身を亡ぼすものだと思っていたよ」


 昴宿から出された笑い声に、同調するように小柄な女も笑い返した。


 何がどう楽しいのか全くわからない笑い声の中、明星を含めた三人の視線がどこへたどり着けばいいのかしばらく泳いでいた。


「あの」


 しばらく乾いた笑いが続いた後、場の空気に耐えられなくなったかのように明星から小さく声が出た。


「どんな用なんですか?」


 小柄な女が、相変わらず笑顔のまま、胸の前で手を合わせるように小さく叩いた。


「あなたの話で来たのに、ごめんなさいね」


 小柄な女が、一歩前へ進み、明星の手を取った。


「欽天監の監正といいます。名前ではなく、役職で申し訳ないんだけど、皆監正と呼ぶので監正で。太白、といってわかるのかしら。あなたの養父は何と名乗っていたのかしら?」


 小柄な女が、先ほどの昴宿とはうって変わった柔和な顔で、明星の手を掴んでいた。


「師匠は、銀郎太ぎんろうたという名でした」

「そう。私は、銀郎太の、昔彼がここで働いていたときの上司です」


 小柄な女が、静かに笑った。


 目の前の笑顔に、明星は何も返せなかった。どう反応していいのか、何も思いつかなかった。

 笑い返すこともできないまま、ただ視線が同じ高さの小柄な女から、言い知れぬ圧を感じていた。


 監正が口を開いた。


「望天から、あなたの村で起きたことは聞きました。太白のことも、あなたが虚を殺すため天狐に願ったことも。

 単刀直入に言います。あなたには、この都においても虚を殺していただきたいのです」

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