第2話 人形姫


 国境の丘。


 この場所で先だってはドアナ国との戦端が開かれたのは記憶に新しい。今回の騎士十人のうち二人の騎士はここでの戦闘に加わっているから、苦々しくこの景色を見ている。


 馬蹄で荒れた草原は、今は雑草の旺盛な繁殖力によってその痕跡を隠しているが、ところどころ地面に突き立つ矢はそのままであったりもした。


 カートはその時期は白い塔に囚われており、アーノルド達は彼の救助に向かっていたから、ここは初めて。

 丘の一番高い場所に登れば、天候に恵まれている今日なら海が見えるという事で、少年達ははしゃいで一気に丘を駆け上がる。


 大人の騎士達はそんな彼らを苦笑で見送りつつ、約束の場所に向けてゆっくりと馬を進める。



 少年達は丘の頂上にたどり着くとカートでさえも歓声を上げた。



 アーノルドとカートは丘の一番高い所に馬を立てたが、他の二人は少しでも海に近づきたいと思ったのか、丘を下って少し離れた場所に馬を立ててはしゃいでいる。


 澄み渡る青い空の向こうに、空より濃い青が太陽を反射して煌めく。地平線は緩く弧を描いて見えた。


 遠いから、視界の中に海は本当に僅かだが、大きな湖沼がないラザフォードで生まれ育っていれば、こんなに距離がある向こうに一面の水があるのを見るのは本当に初めて。


 もっと近くで見てみたい衝動に駆られる。


「海はおまえの瞳より、濃い青なんだなぁ」


 アーノルドも感動しきった声色でカートに話しかける。


「綺麗ですね。太陽が反射してキラキラしてます」

「もっと近くで見てみたい」


「いつか、行ってみましょうね」


「ドアナの状況が落ち着かないとだな。それにしても、ドアナ国民はよくあんな王に仕えてるな」


「歴史に誇りがありますし、建国の際の王家の活躍が大きくてその崇敬が根底にあるのと、リドリー三世になるまでは良い治世だったんです。心理的に王族には逆らいにくいようですね」

「なるほどなぁ。王子でもいれば、王を排斥しようという動きもあるんだろうが王女しかいないとなると」


「海、近くに行ってみたいですね……」


 ピアの授業で、命は海からやってきたと習っていたから、そういう意味でも少年は海にとても興味が惹かれる。だがドアナの状況が落ち着かなければ、少年の身では難しいと思われた。


 海の方角から柔らかで優しい風が吹いて、少しだけ伸びた金茶の髪が揺れて煌めく。


 アーノルドはいつしか海を見るのをやめて、そんなカートの横顔を見つめていた。


 見つめられている事に少年は気づいてアーノルドを見る。そばかすの少年は、はっと我に返った。


「先輩、どうかしましたか?」

「いやぁ、おまえも他の国だったら王子様なんだなあって」

「はい?」


 カートはいまいちピンとこなかったが、言われてみれば他国では国王の子は王子王女である。世襲制ではないラザフォードにその概念はないが、カートは先代女王の遺児である。カートの瞳の秘密を知る事となったアーノルドには、ピアとヘイグからその事が伝えられていた。


 確かに国が国なら王子となる。


「先輩も、物語に出て来る王子様みたいですよ。軽やかな金髪の巻き毛に切れ長の目、そして白馬。女の子のあこがれる要素が揃ってます」


 アーノルドの愛馬は白い。

 カートが珍しくアーノルドをヨイショするような事を言うので、彼は急に空を見てキョロキョロとしはじめる。


「先輩?」

「いや、雨でも降るのかなと」

「なんでそんな」


 カートは明るく笑った。作った笑顔ではない事に満足し、アーノルドもにんまりと笑い返す。


「あ、そろそろ時間みたいですね。戻りましょう」


 カートが大人の騎士達の合図に気付くと、アーノルドは丘の下に行った二人に大声で戻るように呼び掛ける。

 

 しかし二人は前の方で騒いでいて、慌てふためく様子で。


 カートとアーノルドは顔を見合わせると、馬を駆って彼らの元に走り寄った。



「おい、どうしたんだ」

「あ、あれ! 馬車が賊に襲われているみたいです」


 細身の少年が指さす方向、丘を下り切った場所で複数の人間に囲まれている豪奢な馬車の姿。

 何人か応戦している様子だが、人数的に明らかに劣勢。


「盗賊でしょうか?」

「おい、おまえらは隊長に報告、カートは一緒に」

「はい!」


 少年二人は丘を駆け上がり応援を呼びに行く。

 アーノルドとカートの二騎は、馬車に向かって。

 



 近づいて気付いたのは、馬車を取り囲んでいるのはどう見ても一般の民衆だということ。それぞれの武器も農機具やただの棒。剣を持っている者もいるが、農民や町民といった感じで訓練されている様子はない。


「何をしている!」


 アーノルドが大声を張り上げると、人々の目線が一気にこちらに向く。

 

「ラザフォードの……騎士か」


 そのうちのリーダー格らしき背の高い男がぼそりと言葉を発する。黒い髪はくせ毛でうねり、長い前髪の隙間から緑の瞳が見えた。年齢は四十歳にさしかかるといったところだろうか。


 他の民衆はどうしたらいいのかわからず、キョロキョロとしているが、得物をぎゅっと持つ手に力をこめているのが手の筋の出方でわかる。



 こちらに対する殺意はなさそうだが、アーノルドもカートも剣に手をかけて相手の出方を待つ。


「国内の問題だ、他国民は黙っていて欲しい」

「この丘の周辺は国境の緩衝地帯です。そこで起こる問題は両者協力の元、解決するという条約があります」


 カートはそう宣言するとアーノルドに目配せをし、彼だけが馬を降り、敵意がない事を示す。



「あなたが代表者でしょうか? 少なくとも今の状況を説明していただかないと、こちらも引くに引けないのですが」


 相手が少年騎士という事で、相手はあまり警戒心を持たなかったのと、ドアナ国民はラザフォード国民に対して友好的である。先だっての戦いも、無理やりの徴兵で集められた者達だった。本当なら戦いたくなかったのが本音。ここで余計な争いをするのは望ましくない。



「もしやそちらの馬車は、ラザフォードにおいでになる使者の方では」


 カートの言葉に民衆は顔を見合わせてヒソヒソと会話をしはじめたところ、そこに大人の騎士達が駆けつけて来た。民衆たちはびくりと、武器を構え直したが、代表格の男が手を挙げて制する。



「これは一体何事なのか。そちらの馬車は?」


 隊長騎士も馬から降りると、カートと会話をしていたリーダー格の男に向かって言う。


「この馬車は王家の馬車だ」

「王家の? なら取り囲んで一体何を」


 カートが馬車の方を見ると、馬車の護衛の兵はびくびくして蒼白でいる。民衆と戦いたくもないが、国王の命令に背くわけにもいかない板挟みなのだろう。


「国王が使者にかこつけて、財産を国外に持ち出そうとしているという情報が入った。馬車の中をあらためさせろと我々は言っただけだ。税金で私腹を肥やすだけに飽き足らず、国の財宝を持ち出して、いざというときの逃亡資金にするつもりだというなら許しがたい」



 突然和平の使者を派遣すると言って来た理由がそのためなら、本当にあの国王は目も当てられない愚王である。



「ラザフォード国としては、御使者の方を王都まで無事にご案内したいと考えている。国と国の和平条約を結ぶ事は両国の今後を考えると重要だ。それはご理解いただけるか」


「我々としても、ここでラザフォード国と争うつもりはない」


「ではこうしよう。我々も立ち会わせていただく。馬車を検分なされよ。問題がなければこのまま、御使者を我々の手で王都までお迎えしたい。馬車の方々もそれでいかがだろうか」


 最後の言葉は馬車に向かって投げかけられる。兵の一人が慌てて馬車の扉のそばにより、その言葉を中の人間に伝える。



 ややあって馬車の扉が開く。


 まず、一人の侍女が降りて来て、手を出口に差し出した。

 その手を取って、馬車から降りて来たのは女の子。


 白い肌に艶やかに映える真っすぐな赤毛、海と同じ濃い青の瞳、おっとりとしてみえる垂目がちな少女。

 身長はカートと同じぐらい。ドレスで目立たないが、体型は全体的にほっそりすっきりとしていて、可愛いさより美しいという印象を受ける。年齢はわかりにくく、幼くも見えるが成人しても見えるのはその落ち着いた雰囲気のせいだろうか。



 アーノルドは口をだらしなく開け、頬を染めて彼女を見つめていた。


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