第4話 婚約者


 フィーネは最近夜な夜なカートの事を考えてしまって寝つきが悪く、寝坊がすっかり癖になっていて、この日も太陽が高く登ってから目覚める。


「ふぁああ、今日もよく寝たなぁ」


 カートもピアも仕事に出ている時間だからと、いつものようにだらしない恰好で階段を降りかけたところ、侍女の一人に止められ驚いた。


「な、何?」

「お客様がいらっしゃってますので、あの、きちんとされた方がよろしいかと……」

「お客様?」


 挨拶をする可能性もあるからと、フィーネは侍女に部屋に連れ戻されると、あっという間に貴族の令嬢に相応しい上等なレース使いの赤いドレスを着せられて、髪は梳いてリボンで丁寧にまとめられ、軽くお化粧までしてもらう。


 侍女は化粧道具を片付けるべく先に部屋を出て行ったが、フィーネは少しの間、鏡を覗き込み続ける。


 鏡の中の自分がそれなりに見えて、心が弾んだ。こうやって見ると自分もなかなか可愛いのでは? と。

 黒髪に赤いドレスが映えてやや大人っぽく、金色の瞳は蠱惑的。

 左右上下に角度を変えてたっぷり確認した後、しなりを作ってセクシーなポーズをしてみたり。


 胸だって今はしっかりあるし、腰のラインは細い。お尻の柔らかな曲線は十分魅力がある、はず。

 カートはふわふわのお姫様より、妖艶な大人の女の方が、ぐっと来るかもしれないと、やや勘違い方向に気持ちは向かうが、無駄に背伸びをしたらボロが出ると思い直す。


 それに彼は、今の自分を好きと言ってくれたし。


――でも、カートにこういう姿をもっと見てもらいたいな……。


 明日こそ早起きをしよう! と、通算何十回目かの強い決意をし、彼女は階段を軽やかに降りる。

 降りたところで応接間から、ピアの大きな声がして驚いた。


「兄様?」


 そっと扉のそばにより、ぴとっと耳をあてて貴族の令嬢にあるまじき盗み聞きを始める。


 室内でピアと来客……カートの伯父であるフェリス卿の声がして、お互い語調が強くなっていた。


「カートはフェリス家のものじゃないでしょう」

「私としては妹の忘れ形見を手元に置いておきたいのだ」


「大事なのは本人の意志ではないですか」

「そもそも、こちらで引き取りたいという話を断ったのはピア君であってカート君ではない。家族は一緒に暮らすべきだと思わないかね」


「カートにはすでに心に思う子がいるというのに、それを無視しようと言うのですか」

「あの年頃は恋に恋するから。はしかのようなものだろう」


「だからといって、本人を無視して勝手に婚約など」

 

 扉に張り付いたフィーネの体がぶるっと震える。


――婚約? カートと誰が?


 更に全身で扉に張り付く。もはや令嬢の姿ではない。


「思う子、というのはもしや、ピア君の妹御かね」

「そうですが、それが何か?」

「君もそれをダシにして、カート君を手元に置きたいだけでは?」


 ぐっと、ピアは反論の言葉を紡げなくなる。

 フィーネとカートが結婚すれば彼は弟となり、これからもずっと手放さずに済むであろうという期待は確かにあったから。


――兄様! もっと頑張って!


 フィーネは必死の心の声援を送る。


「妹御の事は……噂は聞き及んでいるよ」

「噂?」


 少女は扉に張り付いたまま眉根を寄せる。


「キッシュ家とは、えにしがないと。前宮廷魔導士の子ではなく、異国の名も知らぬ魔導士との間に生まれた子と聞いている」


――!?


「例えそうであっても問題はありませんよ。フィーネは間違いなくボクの妹ですから、キッシュ家の一員です」

「カート君は由緒あるフェリス家直系の子だ。フェリス家としてはそのような娘との婚姻は許せるものではない」

「彼はフェリス家の人間であることを望んでいません!」


「正直なところ、そらの青という力がある点でも賛成しかねる。もし妹御の実の父がろくでなしで、カート君の力を悪用しようとしたらどうする。そんな危険を彼に背負わせるべきではない」


 口論は続く。続いてはいたが、少女の耳にはどの言葉も入らない。


 フィーネは扉から耳と体を離し、パタパタと走って母親の部屋に向かうと、母親はバルコニーに椅子を出して刺繍をしている所で。


「母様」


 恐る恐る声をかけると、金色の瞳が優しく細まり、笑顔で迎えられた事に少女は安堵する。彼女の精神は不安定で、時々娘の事がわからなくなることもあったから。


「フィーネ?」

「……あたし、キッシュ家の子じゃないの?」


 促した椅子に座らず、立ち尽くしたままそう言葉を発した娘を見て、母親の手から刺繍の枠が離れ、床に落ちて跳ねる。


「どうして、それを……」

「兄様がお客様と話をしてるのを聞いて」

「……いつかは、話さなければと」


 母親は床に落ちた刺繍枠を拾い上げると机の上に置き、目を閉じて自らの過去の過ちを静かに告白する。


 フィーネはそれを大人しく聞いてはいたが、両手はスカートを握りしめ、震えていた。


 フィーネを宿した経緯を言い終えてふっと彼女が目を開けると、娘は怒っているのか悲しんでいるのか、わかりにくい表情。


 謝罪しようとする母の言葉を遮ると、少女は部屋を飛び出し、勢いそのままに玄関前で来客の男性にぶつかる。


 「へぶっ」と潰れたカエルのような声を出すと続けて尻餅をつき「きゃん」という可愛い悲鳴を上げた。


 相手の男性は狼狽しつつも、そんな彼女を助け起こしてくれる。


「だ、大丈夫ですかお嬢さん」

「はひ、ごめんなさい」

 

 慌ててスカートの埃を払うと、茫然とする男性をそのままに、少女は外に走って行った。





 夕方いつものカートの帰宅時間。


「ただいま帰りました」

「カート様!」


 侍女の一人が駆け寄って来たので、少年は怪訝そうに首を傾げる。


「どうしました、何かありました?」

「フィーネ様がお戻りにならないんです」

「え? フィーネが? 何処に出かけて」


「それが。お昼前に飛び出されて、それっきりなのです」

「飛び出すなんて、一体どうして」

「ボクから話そう」


 振り向けば金色の瞳に疲れを湛えたピアが立っていた。


 応接間にカートは連れてこられ、ソファーに座るように指示されると素直に従う。


「フィーネは話を聞いてしまったようなんだ」

「何の話を?」

「今日、フェリス卿がいらっしゃった。カートとアリアの婚約の件で」


「えっ!? 僕が婚約って……」


「その際に、フィーネが宮廷魔導士だった父の子ではない話が出てしまったのだ。どうやらそれを聞いたらしく、母に問いただし、真実を知って飛び出して行ったようだ。落ち着けば帰って来ると思っていたが」


「僕、探しに行きます!」


 立ち上がり部屋を飛び出そうとしたカートは、同じく立ち上がったピアに肩を掴まれ、足を止めた。


「……カートはフィーネの事をどう思っている?」

「とても好きです」

「その好きは、どういう意味の好きなんだ」

「どういう意味って……?」


 好きな気持ちに種類なんてものがあるものだろうかと、少年は返事に窮する。


「フィーネとどうなりたい?」

「どうなりたいって……」


 いつまでも一緒にいられたらと。飾らない彼女の傍で、飾らない自分のままで。気を遣わずにいられる唯一の相手だ。ピアに対しても、自分のすべてを常に曝け出すのは難しい。


 微笑めば、微笑み返してくれる彼女が好き。我儘で自由気ままな所も猫のようで可愛いとさえ思える。自分を求め甘えてくれるのも、今では嬉しい事になっていた。


 青い瞳がまっすぐにピアを見つめる。


「ボクも人形で探しに行く。心当たりがあるから一緒に迎えに行こう」

「はい!」


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