駅前心霊スポット

バニラダヌキ

 山田静枝は自動販売機である。

 首都圏とは名ばかりの、西に奥多摩山塊を望む終着駅のロータリー前で、昼夜、缶飲料を販売している。

「いやいや、確かに店の看板は『山田洋品店』だし、勝手口の表札には『山田孝吉・静枝』とあるが、店先の自動販売機は山田さんでも静枝さんでもない」と反論するむきもあろう。しかし確かにここ数日、その自動販売機自体が静枝自身なのだからしかたがない。その証拠に、通りすがりの誰かが自販機に向かって「あなたは山田静枝さんですか」と訊ねたら、「はい、私が山田静枝です」と、しわがれた老婆の声が返ってくるだろう。

 ただし、今の静枝の地声を聞くには、ある種の精神的な資質、たとえば稲川淳二翁に類する才能が不可欠である。生得的にその資質がない方は、聞くまでに長い修行を要する。いずれにせよ、今のところ誰ひとり名を訊ねた者がいないので、あえて静枝から名乗ったこともない。

 静枝は幼い頃から口数の少ない女であった。

 だから現在も、日々の購入客に対して「ありがとうございました」とただ一言、若い女性の音声データを再生するばかりである。


 無論、生まれたときから金属製で角張った人間はいない。

 連日の猛烈な残暑に耐えかね、夫婦で山奥の湯治場に向かう途中、夫の孝吉がアクセルとブレーキを踏み違えるまでは、静枝もただの無口な老婆であった。崖上の細道から宙に舞ったとき、夫といっしょに発した絶叫が、生涯で唯一の金切り声だったかもしれない。

 ちなみに現在、隣に並んでいる煙草の自動販売機は、残念ながら孝吉になっていないようだ。昔から何事も鷹揚に受け入れるたちの夫だったから、たぶんすなおにあの世とやらへ直行したのだろう。今、静枝がひとりぼっちで缶飲料を商い続けているのも、孝吉が薄情だったわけではなく、おそらくは静枝自身の粗忽なのである。車ごと空中遊泳した末に、崖下の杉林が眼前に迫ったとき、静枝はなぜか隣の夫でも人生の走馬灯でもなく、店先の缶飲料自販機を思い浮かべてしまった。

 開店以来、店先には二種類の販売機が並んでいた。煙草の商品補充は夫の担当、飲料が静枝の担当だった。もっとも、煙草と違って重量のある缶飲料を、静枝本人が補充するわけではない。飲料会社の若い衆が、定期的に小型トラックで回ってくる。静枝は納品明細書に認印を押すだけなのだが、このまま谷底でぺしゃんこになったら次のハンコは押せそうにないなあ、などと、意識を失う寸前、つい考えてしまった。

 生を終えるとき執着していた物に、死人の気が残る――。

 そんな怪談話を聞いた記憶が、静枝には何度かあった。あのとき極楽のはすうてなでも思い浮かべていたら、今頃は夫婦揃って、そこで涼んでいられたのかもしれない。


 ともあれ機械の体だと、連日のうだるような暑気を感じないのはありがたい。

 商う飲料も、ちゃんと冷やしてある。

 真夏の自動販売機として、まっとうな商売はできているはずだった。

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