第7章 敗軍と賊軍と 4

   4


 2刻は走っていた。


 西門から飛び出してのち、3騎と馬群は、整備された街道を逸れて岩石の散らばる砂漠を行った。


 風と太古の流水が形作った岩の丘を障壁にしながら馬を駆け、ミナオから南へと下りていく。南には針葉樹の森が広がる山地があり、そこへと逃げ込む算段であった。


 乗る馬が疲れれば馬群の中から馬を選んで換え、ひたすらに駆けた。景色は岩石の砂地から|草地(くさじ)に変わり、平坦であった地形は起伏を伴った丘陵へと変化した。


「殿下。このあたりは遮るものが多いため、馬蹄の跡を追われる心配はございません。しばし馬を休めましょう」


「ああ」


「どおう、どう」


 先頭を行っていた騎士が馬を止めた。山地の麓の針葉樹の森に入り、追手を振り切ったと踏んだらからである。


 騎士は馬から飛び降りて手綱を取ると、体から湯気を立ち上らせる愛馬をゆっくりと歩かせながら落ち着かせた。


 後ろに続いていた2騎も同じようにゆっくりと馬を落ち着かせた。そのさらに後ろでは、ミナオを抜けたときより若干数を減らした馬群がぞろぞろと止まった。


 葦毛の馬に乗った皇子は降りようとして、後ろからしがみついて離さない賢者を睨んだ。


「おいヨイチ。そろそろ放せ。降りられん」


「······ご、ごめん。でも今すっごいヤバいから、ちょっと腹がヤバいから」


 賢者は馬に酔っていたらしかった。


「そなたまさか······っ! 吐くなら離れろ!!!」


「ちょっとだけ、そのまま動かないでくれたら良いから!」


 賢者は執拗に後ろからしがみついていて離れない。


(そういえばホスロイの峠を越えるときも同じ事があったような······)


 無理に動かして吐かれても困るので皇子はしぶしぶ動きを止めて鞍で不機嫌に顔をしかめた。


「············」


 それを怪訝な面持ちで見ていたのは騎士ケイヴァーンである。


「······お怪我はございませんか、ファルシール殿下」


 ケイヴァーンは皇子の馬に同座するもう一人の青年を気にしつつも、ひとまず皇子ファルシールの事を気に掛けた。


「ああ。大事ない」


「それは何よりでございま──」


「それよりケイヴァーン」


 しかし皇子はケイヴァーンの言葉を遮って、自らの後ろで馬に乗る栗色の髪の商人を憎々しげに指差した。


「なにゆえ此奴こやつと共におる」


 ケイヴァーンは険呑な雰囲気を漂わせるファルシールと商人イグナティオを見ると、即座に畏まって地面へ跪いた。


「は。殿下の居場所を知っていると申しましたので······」


「余の居場所を知っているだと?!」


「は······」


 ファルシールの怒気を纏った声にケイヴァーンは驚いた。


 ケイヴァーンは皇子がまだ貴族の家で育てられていた幼少の頃に父ダレイマーニより遊び相手をするよう言われた事があった。年が近いのと、当時のケイヴァーンの邸宅が皇子の住む邸宅に近かったことで、しばしば遠乗りなどの相手をさせられた。


 その頃は無口でどこか斜に構えたように達観した様子がある皇子みこだと思っていた。ケイヴァーンが15の時に西方メギイトへと武者修行に出てからは疎遠になっていたが、戻ってきて万騎将になってから2、3度ほど宮廷や地方で見かけた際にも、昔と変わらず大人しい雰囲気であった。


 それが今は商人を相手に怒りをあらわにして腰に下げた短剣に手を掛けている。


(初陣でお変わりになられたか······?)


「殿下、彼の者とはお知り合いだと聞き及んでおりますが······」


 ケイヴァーンは皇子に頭を下げつつ尋ねたが、皇子はその言葉を聞いて、さらに眉間にしわを寄せた。


「知り合い、だと!? こやつのせいでどれだけひどい目を見たか!! こやつは余を奴隷として娼館に売り付けて逃げたのだぞ!」


「な······っ!?」


 ケイヴァーンは皇子の後ろで面白くなさそうに顔を逸らしている商人を睨んだ。


「貴様、やはり騙していたか」


 ケイヴァーンは低く言うと、剣を抜き放って商人に向いた。アキシュバルの郊外で隠れていたのを見つけた時からの不信感にようやく動かない確証を得た。


 商人は少し冷や汗をかいたように見えたが、悪びれもなく応えた。


「騙した覚えはないな」


「なんだとっ······!」


 商人はケイヴァーンから目を離して皇子へと向いた。


「そもそも、俺はあなたを騙してなどいない。神の名のもとに契約し、対価を頂戴した、それだけだ。違わぬだろう?」


 ケイヴァーンは皇子に確認するように振り返った。すると皇子が商人の言葉に少しひるんでいた。


「だいたい、対価はこちらの言い値。あのとき皇子殿は金貨もなければ何の旨みもなかったではないか」


 商人は語気を強めて皇子に噛みついた。


「そなたは余に馬とつてを要求したではないか?!」


「ほう? なら俺が要求したそのつてというのは、今も頼れるのか?」


「······っ!」


 今、と問われて皇子は答えあぐねたようだった。


「ホスロイが襲われた時点で皇国が敗北したことは分かった。全軍が散り散りになった時点でこの国はんでいたのだ。そんなのをわかった上で、誰が皇家のつてなんざ欲しがる。せいぜい500の馬などで、その伝の価値とが釣り合うものか」


 皇子は苦い顔をした。


「貴様」


 ケイヴァーンは商人に怒りに満ちた足取りで歩み寄ると、離れようとする商人の胸ぐらをその長身から伸ばした手で掴んで馬から投げ落とした。


「俺を騙すのみならず、殿下までもをたばかったのか······この方を皇国の皇子みこだと知ってか」


 ケイヴァーンは詳細なことは把握しかねていたが、商人が、仕えるべき自分の主君を売り飛ばしたことは聞いて理解した。


 ケイヴァーンは砂地に転がった商人を組伏して、剣を首に剣を押し付けた。目線の端で皇子が慌てているのが見えたが、商人が危険な者である以上、押さえるのは当然である。


 商人は投げ飛ばされた時に砂を被って咳き込んだが、目線はケイヴァーンに向けた。


「感謝されることはあっても、殺される筋合いはない。誰があんたらの命を救ってやった」


 商人は喚くでもなく静かに言った。


「何」


「俺はあんたら3人の命を救ってやった。皇子の後ろの小僧が山間やまあいで倒れた時、病を医者に見せて治してやった。死にに行こうとしていたあんたに皇子の居場所を教えて生きる機会を与えてやった。それのお陰で、皇子殿、あなた方は殺されずにミナオから逃げられた。すべて俺のお陰ではないか。その対価を何で支払うのか? もしやこれか? そのすべてに見合う対価はこれだというのか?」


 商人の顔にはしたかないきどおりの色が浮かんでいた。なぜ自分が責められなければいけないのか、なぜ自分が殺されねばならないのか。そのような抗議の目がケイヴァーンに突き刺さった。


 その言にケイヴァーンは剣を押し付けるのを躊躇った。恩はある。主君を見つけ出すためにこの商人が大きな働きをしたのは事実であった。恩を仇を返すのかと叱責されて、呵責がこみ上げた。


 しかし、不信がある。商人は皇子を奴隷とした。それだけでも斬って捨てるに足る。殊、生きて仕える道に限ってはケイヴァーン自身が選んだもので、商人に救われたとは思わない。


 ケイヴァーンは再び刃を商人の首筋に押し付けて力を加えた。商人の肌に血の筋が走った。


「ケイヴァーン待ってくれ! 何も殺せとは申しておらぬ!」


 皇子は慌ててケイヴァーンを止めた。


「ですが殿下。いくら殿下を救ったと弁明しようとも、この者は殿下を売った者。その一点において間違いはございません」


 主君を売る、という事がケイヴァーンには見過ごせなかった。宰相が主君を売ったために、皇都は燃え、兵も民も皇帝も死んだ。


「ケイヴァーン!」


 皇子の二度目の強い制止にケイヴァーンはようやく剣を引いた。商人はケイヴァーンが退いてからしばらくせたが、立ち上がると澄ました顔で息を整えた。


 皇子は立ち上がった商人に馬で寄った。商人は皇子に面と向いて目を合わせた。


「······此度、余を売ったこと、許すことはない。だが、そなたの言い分もとっともだ」


 皇子は続けた。


「そなたは商人であったな」


「······ええ」


 商人は皇子の考えを読めないでいるようであった。


「余は神に誓った事をたがえはしない」


「······」


「何を望む」


 ケイヴァーンは商人の顔がにわかに訝しげになったのが分かった。しかし間も無く商人は得心したようにうっすらと笑みを浮かべた。


「願わくば殿下の寛大なるご沙汰を」


 商人はわざとらしく恭しげにこうべを垂れた。皇子の問いは商人に再び対価の如何を問うものであった。罪と恩とを秤りに掛けて、それでもなお余る罪に対して皇子が求めるものを問うて、商人の罪を帳消しようとしていた。しかしなぜなのかケイヴァーンには分からないでいた。


 皇子はケイヴァーンに向いた。皇子はケイヴァーンに顔を合わせ、真っ直ぐに目の奥を覗き込むように見つめた。


「ケイヴァーン。この者の罪はこれで今後一切問わないことになった。この者を見逃しては貰えないだろうか······?」


 ケイヴァーンは皇子の言動の意味を理解した。皇子はケイヴァーンが商人を許せないことを察していた。その上で罪を認めさせ、恩を対価として贖わせたのである。そして不問にして見逃して欲しいと申し出たのである。


 ケイヴァーンはすぐさま皇子の下に跪いた。


「──は。殿下のお考えのままに」


 ケイヴァーンは動揺した。それを隠すためにこうべを垂れて膝を付いたのだった。


(俺の意志など問わずに下知なされれば良いのに、何故俺の心情をおもんばかる······)


 貴人は下の者を人として見ない。伝統貴族ウズルガーンも宮廷の臣も、武に秀でたケイヴァーンをうわべでは称賛しつつも本心では睥睨していたのは身に沁みて解っていた。それゆえに武の道のみに目を向け、騎士として、戦士アールティーシュとして、大万騎将サーヴァールダレイマーニの息子として功を上げ続けた。


 しかしこの皇子は何なのだろうか。伝統貴族とも2人の皇子とも何か違う。自分を説得しようとしている。それが理解出来ずに、ケイヴァーンは皇子から目を逸らしたのである。


 西の遠くの雲間から斜陽が見えた。


 針葉樹の森は日暮れの様相を増していた。















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