第2章 反撃 4

    4


 ファルシールはがらにも合わない雄叫びをあげて馬を駆け、けしかけては火を放って回っていた。


 馬の群れの中央に紛れ込み、外側には出ないようにして、時に端へ出て松明をほろに当てて火をつける。


 キースヴァルトの兵士たちが慌てふためいて逃げ惑う様はファルシールには痛快で、一時の敗北と民への劣等感を覆い隠すことが出来た。昼間の戦でもここまで高揚したことはない。


 おかしいほどに燃えていくテントを尻目に、ファルシールは先程まで隣に居た"賢者もどき"の姿がない事に気がついた。陣に突入してより5ヒリー(10分)が過ぎようという頃である。


 ファルシールは辺りを見回して賢者もどきの姿を探すが、暗闇と混沌の中で見つからず、言い知れない悪い予感を覚えたのだった。しかし止まる訳にもいかず、馬の流れが赴くまま陣の中を巡って回っていると、いつの間にか同じ場所に戻っていた。


 賢者もどきの策によれば、馬をひと通り放って暴れ回らせた後、頃合いを見計らってファルシールの指笛を鳴らしてキースヴァルトの馬を引き連れて逃げ去る算段であったが、肝心の賢者もどきが居ないのでは、頃合いの計り方が分からない。


 そろそろキースヴァルト側も態勢を立て直す頃であろうし、森の中に散った歩兵が気付いて戻って来ているかもしれない。悠長に賢者もどきを探す事は出来ない。かといって、放って行くという選択を選ぶのも差し支えた。町で動けなくなっていたのを助けたのも、この策を捻出したのも、あの賢者もどきであったからだ。


(あいつは私を見捨てなかったではないか......!)


 そこに、キースヴァルト兵が短剣を両手で逆手に握りしめ、何か地面にあるものを刺そうとしているのが見えた。


 進行方向に居たその兵士は、地面に横たわっている人影に刃を剥いていた。


 さらに近づくと、人影があの賢者もどきであることに気づいて、ファルシールは慌てた。


(このままでは賢者もどきが......!)


 ファルシールは右手に握っていた短剣アキナカに目を向けた。己の持つこの"刃"が何を意味するのか。それが解らないファルシールではなかった。


 駆ける馬の上での判断は一瞬である必要がある。


 ファルシールは短剣を順手から逆手に持ち換えて、強く握りこむと、馬の腹を蹴って加速させた。


 馬が兵士に猛烈な速さで近づいていく。


 ファルシールは身体を傾けさせ、剣の師匠から教わった事を思いだし、駆ける馬の力を使って、ふっと羽根が風に舞うような軽い挙動で、小さな白刃を兵士の横くびに刺して抜いた。


 刺した切れ目が馬の勢いで拡がって頸の半分までがめくれあがり、切断された頸動脈から大量の血飛沫がファルシールの白い腕に飛び散る。


 すぐさま馬に制動を掛けて、20アリフ(20メートル)ほど通りすぎて止まると、後ろを振り返った。


 兵士はファルシールの軽い刺突に立ったまま噴水のように血を吹きあげている。それは兵士が痛みを伴わずに息絶えたことをファルシールに確信させた。


 同時に恐ろしくもなった。己がひとつの生命いのちを奪ったのだ、と。


 戦場において殺生は日常茶飯事の事と心得てはいたが、いざ殺す側の立場となった時、その覚悟がいかに浅く甘かったのかをこの一瞬で思い知った。


 馬は主人の気持ちを映すように淋しげにいないた。


 ファルシールはつかの間立ち竦んだが、すぐ我に帰ると剣を鞘に納めて賢者もどきの所まで馬で戻っていった。


「おい! そなた、無事か!?」


 賢者もどきは倒れ込んでいた兵士の身体を退けて半身を起こしていたが、目の焦点が合っていない。


「おい、しっかりせよ! 馬はどうした? 大事ないなら早く立て。さっさと退散するぞ!」


 賢者もどきは動かない兵士をじっとりと虚ろに見つめているだけで、呼び掛けに応じる気配はなかった。


(こやつ、なにをやっている!? 血迷ったか......!!)


 その後も何度も呼び続けたが、一向に動かない。


 ファルシールは我慢できなくなって馬を降り、座り込んでいる賢者もどきの肩をせっかちに激しく揺らした。


「おい! そなた、しっかりせよ!! おい!!」


 賢者もどきの目は兵士に向いたままである。ファルシールの焦りと怒りはこの時最高潮に達した。


 ファルシールは賢者もどきの耳をまんで引っ張ると、今までに出したことのない大声で忘れかけていた単語を木偶でくとなった賢者もどきの耳に向けて放った。


「ヨォイィチィ!! 目を覚ませヨイチ!!」


 炎上するキースヴァルトの野営地に少年の声が響いた。


 耳を思い切り引っ張られた賢者もどきは、名前を呼ばれて初めてその目に光を取り戻したのであった。


 与一と呼ばれた賢者もどきは、ファルシールの目を見ると、小さく一言だけ喋った。


「......痛い」


 ファルシールはそのひと言を聞いて、いかったら良いのか安堵すれば良いのかまどったが、とりあえず呆れておくことにした。


「行くぞ」


 ファルシールは立ち上がって与一に手を差し出した。


「皇子さまに引っ張り起こして頂けるとは、実に光栄なこった......」


 与一はファルシールの手を掴むと、力を借りて立ち上がった。


「あらかたのテントには火を放って回った。そろそろ森に散った者どもも帰ってくる頃であろう」


「ああそうだな。そろそろ退こう」


 ファルシールはあぶみに足を掛けて自分の馬に飛び乗ると、与一に後ろに乗るよう言った。


 与一は明らかに2人乗りではないくらの後部に目をやったが、ファルシールがさも自然なことのように言うので、鞍の突起に手を掛けてまだりきめないながらも何とかよじ登った。


 その頃陣営のテントは、そのことごとくが燃えるか踏み倒されていた。与一は馬の上から眺望して、自分の悪巧みがこうも大ごとになったことに少し落ち着かなかったが、ひとまずの成功を見て胸を撫で下ろした。


「行こう」


 ファルシールは与一の言葉に頷いて手綱を張ると、馬を走らせた。


 ファルシールの馬は速かった。ふたりを乗せているにも関わらず、その動きは一人を乗せている時にも劣らない。馬の群れに最後の追い討ちを掛けて峠越えの道への退路を拓かせると、踏み荒らされたテントの散らばる道に突進していき、あっという間にキースヴァルトの陣を抜けた。


 抜けた所ですぐに指笛を鳴らし、馬に進路を示す。


 馬たちはその笛の音を聞くと、行き先を得たように従順にファルシールの元へと頭を返し始めるのである。キースヴァルトの兵士たちは、燃え盛る野営地の外に集結して立て直しを図っていたので、自らの馬たちがられる様を見ていることしか出来なかった。


 フラジミルはみすみす盗られていく馬を目の当たりにして、周囲の者が驚くほどの音で歯軋はぎしりをして悔しがった。


「おのれシャリムの蛮族どもめがっ!!」


 今にも暴れだしそうな騎士長の姿は、側近たちの肝を大いに冷やした。


 くして与一とファルシールは、たった2人と9頭の馬で1500のキースヴァルト掃討部隊を軽くあしらってみせたのであった。


    。。。


 燃えるキースヴァルトの陣営にひとつの動く影があった。


 絹の服に幾ばくかの宝石を身につけたその若い男は、監禁されていたテントの見張りが目を離した隙に逃げ仰せて、走り去る馬の1頭に飛び乗り、馬に伏せて陣営を飛び出した。


 男の名はイグナティオ=スー=スーシ。シャリムを終着点とした東方との隊商貿易を生業なりわいとする商人である。


 イグナティオはシャリムと長年の盟友である隣国メギイト王国から、商売のためひと月掛けて草原を横切り、このホスロイへとたどり着いた矢先、キースヴァルトの襲撃を受けて生き残った唯一の"シャリム人"であった。


 というのも、町か襲われた際、彼だけは町を治めるシャリムの高官の邸宅を訪ねており、襲撃を知って酒蔵の空樽からだるの中で最後まで隠れていたのである。


 キースヴァルトの兵士が、酒蔵だけは燃やさなかったことで生き残る事が出来たイグナティオだが、縄を掛けられて処刑されかけた時、隊商の隊員を皆殺しにされた気分をフラジミルに問われて、自分ひとりが助かったことに何の自責も感じず「キースヴァルトの騎士様の良い試し斬り役になりましたことでしょう」と、けろりと言ってのけたのであった。フラジミルはそんな厚顔無恥なイグナティオを面白くないと思い、処刑を保留にしていた。


 イグナティオはシャリムに生を受けたが、そもそも両親は南方の海に面した都市国家ネルヴィオスの大商人で、根っからのシャリム人ではない。商売自体もメギイトでの商会が軌道に乗って順風満帆で、シャリムに恩義はない、というのが本音である。いわゆる柳のような人物である。


 そのような彼が今、駆け抜ける姿をひと目見かけただけの白銀の髪の少年と、血染めの蒼白の衣を着る少年の後を追って駆けている。


 彼がその2人から何かを感じったのは確かだった。







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