少女グランギニョル-変身-

透骨ガラナ

第1話 黒い青春

 電灯が灯る。パチパチと通電した音をたて二、三度点滅を繰り返す。人の往来が減ってゆく。夜がはじまる。


「ただいま」


 返ってくるのは虚しく反響する声。ヒナは誰もいない家に帰宅を告げる。これが日常である。両親はまだ帰ってきておらず、学生にとってはこれでも遅い帰宅であったが出迎える者はいなかった。

 明かりは落ちていた。街灯の光が差し込み、玄関に一人ぶんの影を生む。吸い込まれるような闇が室内に満ちていた。

 家に息を吹き込むとヒナは制服を脱ぎ捨てた。日中、親しい友人らに会うためのパスポートであり、自身を束縛する拘束衣でもあるそれは彼女にとって息苦しさの象徴であった。

 学校に通う理由はただやることがなく暇を持て余していたからで、他に熱中できるものが見つかれば未練など持ち合わせていないである。

 友人の一人が言うようなブランド力なるものは微塵も感じない。ただ煩わしいのだ。

(制服はなあ……ほかの子が着たらかわいいけど……あたしはなぁ……)

 張り出した胸はヒナにとって少しコンプレックスだ。私服にはこれを違和感なく着こなせるものが多く売られていたが、制服だとどうしても体型が大きく見えてしまうことが気がりだった。

 とびぬけて目立つものではなかったのだが、本人の意思に関わらず否応なく強調されるものであるから非常に厄介なもので、すれ違うたび人間の無遠慮な視線が刺さり不快な思いになった。特に夏場は顕著にそれがあった。

 決められた服装によって年齢を悟られ、また体型で性別を悟られカテゴライズ化される。当然それは他者によってなされるものであるが、それゆえにたまらなく不愉快であった。そのためヒナは体型を、ひいては性別すらも隠す着こなしを好んだ。

 そそくさと普段着に着替えると、踵を返しまた玄関へと向かう。

 居場所が外にあるのだ。ここではない場所に。

 少し前までは仲間の誰かが住む家の敷地内やアパートの玄関先、近くのコンビニで談笑していたのだが、神経質な隣人による警察への通報、または大家からの張り紙。

 あるいは仕事熱心な教師らによる指導によって解散せざるを得なくなってしまった。

 派遣されてくる警察官はどれも見覚えのある顔で、強硬策に出ないことが分かりきっている以上、適当にあしらっておけばどうにでもなったのが、それよりも怖いのが仲間の父親だった。

 話が盛り上がっているときは関心を示さず一切の忠告もしてこないのに、いざ通報されるとなると途端に保護者然とした態度をとる。尊大に振る舞い時には我が子でない者にも暴力を振るう。無論、教育的指導の名のもとに。

 隣人というのもまた厄介な人間で、こちらを見るなり見下したような目をこちらに向けてくるか、目を合わせると鬱陶しそうに顔をそむける。まるで腫物に触るかのように、居ないものがそこにいるかのように扱うのだ。

 やれ低学歴だ社会の屑だと呟いているのを聞いたこともある。

 そういった嫌なことが何度か起こったものだから、何も文句が言われなさそうな場所を探す必要があった。それがどこにでもある電灯の下。住宅は近くになく、教師の   見回りエリアからも離れている。たまり場に最適だった。

 セルの切れた原付を蹴り飛ばしてヒナは走り出す。ツーストロークエンジンのけたたましい音が去った後には、大袈裟なくらいの排気ガスが狼煙のようであった。


 そのどこにでもある電灯の、他と比べて若干黄ばんで見えるそれが彼女らの集合場所。自宅のリビングより眩しく、穏やかに輝く光は、同じくして居心地の悪さを抱える仲間が安らげる唯一のスポットライト。

 あるいは誘蛾灯であろうか。本来明るいはずの家は暗く、光を求めひらひらと夜の世界へと誘われてゆく。得られたはずの安寧が振り返れば遠く、偽物の優しさを振りまく人間が手招きをしている。

 原付に跨り、夜風を全身に浴び髪をたなびかせて現れたヒナ。道路交通法など知ったことではない。

 皆より早く着くことが多い彼女であるが、今回は先を越されたようだ。知り合いから借りたのか、古ぼけた一台の外車が停まっている。車に関してもからっきしなヒナだったが、ハンドルが日本車と異なる位置に取り付けられていることに気が付いた。兄が洋画好きだからだ。

 街灯に照らされたその車はちょうどいつも集まる場所に駐車されているから、なおさら気にかかった。それなりに手入れはされているようだが、かといって高そうには見えない。

 大衆車にも高級車にもなりきれない中途半端な印象だ。乗り手もぱっとしない萎びた中年がお似合いといったところか。

「へんな車」

 ボンネットを指でなぞり、コンビニで買ったタバコを咥え使い捨てライターで火を点ける。見上げた夜空は雲一つなくまるで海であり、天地がひっくり返ったかのような錯覚を起こさせる。

 考えるのは己のこと。決断しなければならないことがいくつか控えていた。高校生という猶予期間モラトリアムは半分をとうに超え、社会に出る必要に迫られている。かといって専門的な職を志す意思もなく、勉学に勤しむきっかけもないままにここまで生きてきた。進学の線はヒナには考えられなかった。

 一年もすれば成人を迎える。両親は保護者から血の繋がった人になる。責任は自分自身に負い被さる。食い扶持は己で賄わねばならない。

 世の中の仕組みをほとんど知らない。避けてきた結果であるが。

 教わったような気もするが、本当に大事なところは教えてもらっていない。雲を掴むような、もやもやとした息苦しさが年々強くなっていた。

 入学した生徒の大半の最終学歴が高卒止まりであることもあって、就職にかけては手厚いフォローが受けられる。学生から社会人への遷移は目立った障害を気にすることもなく、興味や憧れの延長線で手引きしてもらえた。

 一種の思考停止状態に学校教育の範囲で陥らせ、躓くことなくあぶれることなく社会規範に従属させる。そこには立ち止まり腰を据えてじっくりと考える余地は含まれていない。

(なにがしたいんだろ、あたし)

 ため息とない交ぜになった呼気をフゥーっと吐き、紫煙が空に吸い込まれていった。無造作に落とした灰がタイヤに触れた。

 ヒナは孤独は嫌いではなかった。家でなにか物思いに耽ることはしたことがないが、外での考え事は好きだった。時間や空間、人間からも切り離され、自由になれた気になるのだ。

 そしてまた人を待っているこの時間も激しい衝動の起こる直前の、その静けさがむしろ好意的であった。ゆえに今を楽しんでいた。


 背後から足音がした。


「遅いよ~またあたしが一番じゃ……ってあれ?」

 仲間の一人が到着したと思い込み振り向きざまに話かけたヒナであったが、そこにいたのは見知らぬ一人の男。誰かの写真に写っていた記憶もなければ、街ですれ違った覚えもない全くの赤の他人だ。

「あ、人違いでした。すみません」

 ヒナの謝罪に笑顔で応えた男はゆっくりとした動作で正面へと回り込んだ。上下を黒の服で身を包み、髪はトリートメントによってしっかりと手入れされている。身なり綺麗な長身だ。

「もしかして、この車……グッ⁉」

 危機感を感じたヒナは男から距離を取ろうとボンネットから尻を滑らせようとした。だが男によって阻まれる。中肉中背の成人男性とは思えない握力と膂力で喉笛を掴まれボンネットに叩きつけられた。

 もがけども体格差は覆せるわけがなく、体力を無駄に消耗する。男は先と変わらない笑みを貼り付け、耳元でこう言った。

「あのね、人のモノに触るなってパパやママから言われなかった?コレ五百万するのワカル?」

 金額に現実味がなくいまいちピンとこなかったが、とんでもないことをしでかしてしまったことは痛いほど分かった。こちらに非があるとはいえ、のっけから他人に暴力を振るう人間がまともな人間であるはずがない。

「す。すみま……せん」

 圧倒的に不利な立場に置かれている者に残されている手段は許しを乞うか為すがままにされるかの二択しかない。これで解放されるとはこれっぽっちも思っていなかっ  たがこう言うしかなかった。

 男は実に愉快だと言わんばかりに口角を引き上げヒナに要求する。

「じゃあさ、一晩付き合ってよ。それでチャラにしてやんよ」

「――ッ!」

 想定内の回答であったがその中でも最も最悪な一つ。要求しているようでその実ヒナに拒否権はない。それに約束が守られる確実性すらも保証されてはおらず、かといって抵抗すればどうなるか予想できず何をしでかすか分からない。

 恭順を示すようにヒナが力を緩めると、男は上体を起こしてそのままタンゴを踊るように手を取った。

「乗って」

 助手席の扉を開けてやり、ヒナをエスコートする。車内からは嗅いだことのない異様な臭いがした。タバコに似ているがまったく異質な何かが繰り返し染みついた臭い。シートのちょうど股の位置にも黒い染みが乾いて出来ていた。

 とんでもない人間に目をつけられてしまったと後悔するには遅く、ヒナは何に祈るわけでもなく手を組んだ。

 車が走り出す。男の運転は荒く、何度も腹立たし気にクラクションを鳴らしているのを見た。言語化することさえ憚られるような罵詈雑言と口角泡をフロントガラスに吐きつける様も。そのたびにヒナは身を竦ませ恐怖に耐えた。下手に動きを見せると怒りの矛先がこちらに向くかもしれなかった。

「あ、キミさ、ケータイ持ってんなら出してくんね?」

 思い出したかのように男がヒナに話しかける。ポケットから取り出したそれを差し出すと、男は窓を開けた。

「これ前の女のとき忘れててよ、今回は覚えててよかったー。はい、さよなら」

 ヒナにとって唯一の外界と繋がれる手段、命綱を空き缶でも投棄する気軽さで断ち切った。

 望みは絶たれたのである。

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