深淵高校 天文学部③

 花木の提案はこうだった。深淵高校から南へ歩いて30分くらいのところに、廃屋がある。壁面が真っ黒に塗装された、三階まである木造の戸建て住宅で、「くろいえ」と呼ばれていた。


 「惨殺された家族の幽霊が出る」とか、「肝試しに行った大学生グループが行方不明になった」とか、そういう噂の絶えない廃屋だ。怪奇町では有名で、太一と中川も名前だけは聞いたことがあった。


 その廃屋に入り、中で撮影をしたいとのこと。花木は動画配信サイト『YourTubeユアチューブ』に動画をアップしている、最近流行りの『YourTuberユアチューバー』だったのだ。


「いいねぇ、面白そうじゃん!俺と磯山も付き合うぜ!」


 中川は二秒で承諾した。


「待て、俺は行くって言ってねぇぞ。それにこれのどこが天文学部の活動だよ!星を見るんじゃねーのか、天文学部ってのは?」


 拒否する太一を中川は細めた目で見つめ、薄笑いを浮かべた。


「あれあれ?もしかして磯山、ビビってんだろ?幽霊が出るんじゃねーかってさ!」


「はぁ?ビビってねーよ。そんなわけねぇし。勝手に決めつけんなよこのスカタン!」


「昔からそうだったよなぁ、お前は。そういうやつだった。大事な場面で打順が回ってくると、いつも空回り……緊張で金玉きんたまが縮み上がっちまうんだろ?」


「おい中川、お前それ以上俺の金玉きんたまの悪口を言ってみろ?舌引っ張り出して固結びにするぞコラァッ!」


「威勢だけは一丁前だなぁ……本当はちびりそうなくせによぉ。花木、ビビリ磯山は置いて俺と二人で行こうぜ。で、YourTuberとして一発当ててやろう!」


「テメェいい加減にしねぇと……!」


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 太一はまんまと中川の挑発に乗ってしまった。結局いま、黒い家へと向かっている。花木が先頭に立ち、意気揚々と道を歩く。


「いやぁ本当に楽しいなぁ今日は!中川くんに、磯山くん!新メンバーと一緒にフィールドワークができるなんてさ!」


「そうだよな!フィールドワークだよフィールドワーク!磯山、機嫌直せ!そんな鬼のようなツラしてちゃ、楽しいフィールドワークが台無しだ。」


「適当なこと言いやがって……まぁいいや。でついてきてるわけだしな。あくまでもで。でも……」


 太一が振り返る。それに釣られて、右隣にいる中川も後ろを見た。二人のニ、三メートルほど後ろを、小池さんが歩いている。視線はまっすぐ前に向けられている。太一と中川は向き直り、声のボリュームを下げた。


「小池さんはいいのか……?で来てるんだよな……?」


「いやわからねーけど、いいんじゃね?本人も行きたそうだったし。」


 太一が中川の挑発に乗ってしまった直後、小池さんが立ち上がり、三人のところへツカツカと歩いてきた。そして「私も言っていい?」と一言だけ放った。女子の中では高い身長もあってか、太一、中川、花木は圧倒され、即座に頭を縦に振った。


「一応女子だしさぁ……何かあったらまずいぜ。」


「確かに……でも、女子がいた方が楽しいんだよなぁこういうの。しかも小池さん、よく見たらかなり美人だぜ。水谷さんは可愛い系だけど、小池さんはクール系っていうか、また違う可愛さがあるから……」


「お前またそんなこと言って……」


コソコソ話す二人は、背中に強烈な視線を感じた。


「磯山くんに中川くん。」


背後から小池さんの声がした。どことなく言葉に怒りがこもっているように感じる。


「は、はい!な、な、なんでございましょう!?」


 中川が振り向きざまに答える。太一は話を聞かれてしまったのかと焦り、心臓がバクバクと鼓動した。もし花木が言ってた噂が本当だったら、小池さんにボコボコにされ、黒い家の前に白い病院に送られてしまうかもしれない。


 二呼吸ほど置いて、小池さんが続けた。


「二人は野球の経験があるの?」


 彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。いや意外ではない。ごく普通の言葉。しかし彼女の風貌からは想像できないほどありふれた問いかけに、太一と中川は一瞬固まってしまった。


「そ、そうだけど……なんでわかったの?」


 中川は少し動揺しながら質問を返した。こういう時でも中川はそれなりに会話をつなげられる。太一にはできない芸当だった。


「手のひら……マメができてる。普段からモノを使うスポーツをしてたんじゃないかなって思って。それにさっき、打順がどうのこうのって話をしてたから。」


「なるほど……なるほどね……」


 小池さんの異様な観察力を前に、さすがの中川も口を閉ざした。理科室での会話は全て聞かれていたようである。


 ということは、金玉きんたまくだりも小池さんの鼓膜はしっかりとキャッチしていたということだろうか。太一は無性に恥ずかしくなった。


「着いたよ。黒い家。」


 花木の言葉が、小池さんと太一、中川との間に生まれていた妙な空気を断ち切った。


 事前に花木がスマホで見せてくれた画像と同じ、外壁が真っ黒い巨大な家が住宅地の中に建っている。行き止まりの路地の一番奥にあり、周りは草木が生い茂っている。壁のいたるところに様々な色のスプレー缶で描かれた「〇〇参上」「幽霊はここです」などの落書きが、肝試しスポットであることを物語っていた。


「じゃあ入るよ。」


「お前すげーな花木。怖くねーの?」


「こういう場所、いくつも行ってるからもう慣れたよ。中川くんも慣れるタイプだと思うよ。」


「……確かにな、YourTuberになるならこれくらいで怖気付おじけづくわけにもいかねーか。」


 花木と中川が呑気な会話を繰り広げる。小池さんは黙ったまま黒い家を見上げている。太一は黒い家の持つ雰囲気に気圧され、来たことを後悔した。

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